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0. 「いい人生」って、なんだ?

初投稿になります。

誤字脱字ありましたら申し訳ございません。

 人はいつ、【いい人生だった】と思えるのだろう。


 四十年生きても、俺には分からなかった。


 仕事に追われ、家に帰れば一人。休日になっても、特別やりたいことがあるわけじゃない。気づけば、ただ毎日を繰り返していた。


 それでも――母と過ごした時間だけは、悪くなかったと思える。


 棚の上に置かれた母の遺影を見る。そこには、いつものように笑っている母がいた。


 母が亡くなったのは、俺が社会人になって一年目のことだった。


 父親はろくでもない男だった。ギャンブルに明け暮れ、借金を作り、最後には別の女を作って消えた。


 そんな男を、母は最後まで待っていた。


「昔は、いい人だったのよ」


 母はそう言っていた。


 俺には理解できなかった。どうして、あんな男を信じられるのか。


 けれど、そんな母が最後に俺へ残した言葉だけは、今でも覚えている。


『こんな母親で、ごめんね』


 何を謝るんだ。


 母がいてくれたから、俺はここまで生きてこられた。裕福ではなかった。幸せだったのかと聞かれれば、胸を張って答えられる自信もない。


 それでも、母と一緒に飯を食べて、くだらないことで笑った時間だけは――悪くなかった。


 なら。


 母はどうだったのだろう。


 あんな人生を、母は本当に【いい人生だった】と思えたのだろうか。


「……俺には、分からないな」


 缶ビールをテーブルに置き、立ち上がる。


 明日は休日だ。昼まで寝て、適当に飯を食べて、気が向いたらどこかへ出かける。そんな、いつもと変わらない休日を過ごすつもりだった。


 ――明日も、生きているつもりだった。


「……あれ?」


 その瞬間、足に力が入らなくなった。


 身体が、自分のものではなくなったような感覚。視界が揺れ、手から滑り落ちた缶ビールが床を転がっていく。


 カラン、カラカラ……。


「なんだ……これ」


 拾おうとした。だが、身体が動かない。


 頭痛が急激にひどくなっていく。指先が冷たい。視界の端から、少しずつ暗くなっていく。


 まだ四十だぞ。


 そんな言葉が頭に浮かんだ。


 まだ、こんなところで――。


 最後に見えたのは、床を転がる缶だった。


 そこに書かれた文字が、ぼんやりと目に入る。


 ――【乾杯】。


 なんだよ。


 最後がこれか。


 苦笑したところで、意識が暗闇へ沈んでいった。


 ――いい人生って、何なんだ。


 母は、答えを見つけられたのだろうか。


 俺は――。


 俺の人生は――。


 答えを見つけられないまま、俺の意識は深い闇へと沈んでいった。

 

*************************************


 どれほど時間が経ったのか。


 分からない。


 意識が、ゆっくりと浮上していく。


 ……生きてる?


 最初に思ったのは、それだった。


 死んだと思った。けれど、どういうわけか意識がある。

 ゆっくりと目を開けようとする。


 ……あれ?


 開かない。


 いや――開いている……のか?


 ぼんやりと、何かが見える。

 白いような、黄色いような、丸い光がいくつも揺れている。視界は酷くぼやけていて、音も遠い。


 誰かが近くにいるような気がして、身体を動かそうとした。


 右手――動かない。


 左手も、足も動かない。


 まるで、自分の身体ではないようだった。


「……え?」


 声を出したつもりだった。


 だが、自分の耳には何も聞こえない。

 いや――ほんの少しだけ、何かが聞こえた。


「〈ル=ベリテ=フェリア・サラ〉」


 聞き慣れない言葉。女性の声だろう。


 意味はまったく分からない。


 病院……なのか?


 そう思った。けれど、どこかがおかしい。薬品の匂いもしない。機械の音もしない。


 そして――。


「〈ベル・ミテ=サ・ルミ=ウル〉」


 また声が聞こえた。


 別の女性……?


 何を話しているのか、まったく分からない。なのに、その声だけは不思議と心地よかった。


 胸の奥に、ゆっくりと染み込んでくる。


 どうしてだろう。


 知らない声なのに。初めて聞いたはずなのに。


 なぜか、安心する。


 まるで――ずっと昔から知っていたような。

 そんな、不思議な感覚だった。


 もう一度、声が聞こえる。


「〈アーク=シアン=ベルメニュス!=ル=〉」


 今度は男の声だった。


 低く、よく通る声。


 そして、その直後――最初に聞いた女性の声が、静かに響いた。


「〈アルス=アルス=オルフェリア=〉」


 ……アルス。


 その言葉だけが、妙にはっきりと耳に残った。


 アルス――。

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