第8話 先祖の願い
遺物の欠片の中心から滲む光が膨張し辺りに広がっていく。
気づけば足元の感触が消え
……世界が変わる。
ただ、何が起こったのかわからない。
少し覚えているのは赤黒い世界、血臭が漂う。空気が重く気持ちが沈む。
そして視界全体を埋め尽くすような大勢の人達。俺を中心にして跪いて謝っているように見えた。まるで俺のこの場所に“何か“がいてそれに謝罪しているようだ。
一瞬の出来事だった。おそらく時間にしては10秒もなかっただろうが、体感時間は10分以上。その一瞬は多くの経験で死に耐性のある俺を恐怖に陥れるには十分だった。
『これが“先祖の願い“……何が起こった。何だ。何。な。に……』
考えてる間も無く、光が差す。突如瞬間移動したように急に場面が変わる。
現実に戻ったようだ。
『今のは何だ……ハァハァ……落ち着け……』
心臓の鼓動が跳ね上がり息が上がる。気持ちを落ち着かせようとする。
その時だった。
石室の奥に、ぼんやりとした幻影が現れる。
赤ん坊を抱いた女性。
赤ん坊は金色に光っているように見えた。
柔らかな表情で俺を見ている。先祖だろうか。
その光景はあまりに優しく神々しい。心が癒される。さっきまでの恐怖や不安が一瞬でかき消えたようだ。
女性は何かを言った。声は聞こえない。しかし意味だけが伝わる。
━━よくここまで来ました。もう大丈夫です。 あとは私達が何とかします。━━
━━あなたは自由に生きなさい。━━
よく見ると沢山の人達の幻影がみえる。
気付くと幻影は消えていた。
同時に、胸の奥にあった使命感が薄れていく。代々続いていた「土地を取り戻せ」という重い感覚。それが霧のように消えていく。
俺は戸惑った。
「……何だ、今の」
「大丈夫ですか。気分は変わりないですか。」
神物を使用した俺へ、黒髪のアリスは心配そうに見つめる。普段通り冷静な声だが、僅かに呼吸が早いように感じた。
俺は息を整える。
「色々なことがあった。でも……何かを置いてきた気がする」
ラジレスが俺を静かに観察している。
彼は頭の輪っかと羽を展開していて神々しさを保っている。
「断絶の副作用だろう。祖先由来の因子も一部削れたらしい」
ラジレスの言葉に一言一言に重みがある。
アリスがわかりやすく分析する。
「これまで無意識に感じていた祖先の導き……それが消えたのかもしれません」
ラジレスが更に続ける。
「それともう一つ。祖先契約に由来する運命保護……危機を避ける偶然の補正も弱まるはずだ」
つまり、これからは自力で進むしかない。
祭壇の光が弱まり、遺物の欠片が崩れ、砂となって祭壇から零れ落ちた。
光は消え、石室には静寂だけが残る。
ただ、柄の無いハサミである神物はその圧倒的な存在感を示していた。
もう遺物の欠片は粉々になったので、この神物は使うことは無いだろう。
俺はゆっくりと息を吐いた。
「……終わったな」
アリスが頷く。
「ええ」
フォックが肩を回す。自慢の肉体がメキメキと音を立てる。
「じゃあ帰るか━━」
その言葉を、ラジレスが遮った。
「待て」
声は小さいが、明確な緊張があった。三人が振り返る。
ラジレスは空間を見ている。
「……まずいな」
石室の空気が、わずかに歪んでいる。音が遅れて届く。壁の輪郭が微かに揺らぐ。
俺が眉をひそめる。
「何が起きている。」
ラジレスは短く答えた。
「断絶の余波だ。この場所はもう“普通の遺跡”ではない。」
アリスが一歩前に出る。
「具体的には?」
ラジレスは祭壇に手をかざし、残滓を読む。
「因果が露出している。神域に近づいた。……観測される。」
フォックが顔をしかめる。
「観測?」
アリスは少し考えた後、ラジレスに聞いた。
「つまり、このままだと“他の神に見つかる”ということですか」
ラジレスは頷く。
「放置すれば介入が入る。この区画ごと消されるか、回収される」
俺は一瞬だけ考え、すぐに決めた。
「……すぐに撤退ですね。」
アリスも同意する。
「はい。ここは人がいていい場所ではありません」
フォックが自慢のバトルアックスを担ぐ。
「理由は十分だ」
ラジレスは三人を見る。
「今すぐ離脱しろ。処理に入る」
俺はラジレスに尋ねた。
「貴方は来ないのですか?」
ラジレスは首を振る。
「私は残る。これは神の管理案件だ。隔離処理と観測遮断を行う」
アリスが心配そうに確認する。
「時間はどのくらい掛かります?」
ラジレスは淡々と答えた。
「人間の尺度なら、長い。巻き込まれれば存在がずれる」
フォックが苦笑する。
「聞くだけで嫌な感じだな」
俺は頷く。
「わかりました。行きましょう。」
ラジレスがアリスに風呂敷に包まれた何かを投げた。アリスは中身を確認する。中身は水晶のようだ。おそらく、前の仲間達の様子を確認するのに使用した物だろう。
「アリス、その水晶を持っていけ。フォック、ここまで付いて来てくれたことに、感謝する。」
「神に感謝されるとは後世に語り継げそうだ。」
フォックはラジレスに礼を言った。
アリスは水晶をしまい。そのまま石室を出る。
♢
三人は石室を出て通路へ走る。
背後でラジレスが詠唱を始める。低く長い言葉が重なり、空間そのものが軋む。
通路を抜け、町区画へ出た時には異変ははっきりしていた。
建物の端が透け、石畳の一部が遅れて沈む。遠くで壁が崩れる音。だが崩壊は一様ではない。ある部分は消え、ある部分は残る。
アリスが息を呑む。
「……位相がずれている」
フォックが舌打ちする。
「意味は分からんが、長居は無用だな」
三人は入口へ向かって走る。
途中、かつて通った広場が見えるが、そこはもう半分が薄くなっていた。壁画も半分以上消えていた。結局あの絵は何だったんだろうか。
ただこの状況を見る限り我々人が関わるべきではないと感じた。あの大勢の人達も先祖が何とかすると言っていた。
ラジレスは信用できそうだが何をされるかわからない。
いや、知らなくていい。命があれば十分だ。
人が住めたはずの町が、存在の境界を失いかけている。
俺はもう振り返らない。足を止めない。
足を止めずに走りながら、視界の端でアリスが一瞬だけ振り返るのが見えた。
アリスは祭壇の方向に、光の柱が立ち上がっているのを見た。その中心に、ラジレスの姿が小さく見える。
次の瞬間、町全体が揺らいだ。音が途切れ、色が一段薄くなる。砂が逆流するように宙へ舞い、建物の輪郭が溶ける
入口のアーチに飛び込み、三人は外へ転がり出た。
砂漠の熱気が一気に戻る。
振り返ると、そこにあったはずの町は━━半分だけ残り、半分は蜃気楼のように揺れている。
やがて残った部分も、ゆっくりと景色に溶けていった。
何もない砂丘に見える。
しかし確かに“ある”。ただし、もう辿り着けない。この“ある”感覚もなくなるのだろう。
フォックが低く言う。
「……あれ、もう入れないな」
アリスが頷く。
「位置がずれています。偶然では二度と」
俺は短く答えた。
「十分だ」
胸の中は静かだった。
断絶は終わり、場所も閉じられた。
残る理由はない。
「行こう」
三人は砂漠を背に歩き出す。
背後で、何かが静かに閉じた。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
第8話ではラストの展開(町の処理・隔離)は、神の遺物に対する“当然の帰結”として描いています。
次回は主人公の再出発を描きます。
あと2話で完結します。
ここから物語は、静かに終わりへ向かいます




