エピローグ
雲のさらに上。その存在は歪に隠され人の世界からは決して見えなく干渉が出来ない場所に、神の居住区はある。
建物は街のように並び、道もあり、店もある。
ただしどこか奇妙だった。
建物の形は整っているのに、距離感が曖昧で、遠近が歪んでいる。
その一角に、小さな喫茶店がある。
店内にはなぜかチェス台が多く並んでいた。
駒の形は普通のチェスとは違い、城の代わりに都市、騎士の代わりに竜、そして王の駒は星の形をしていた。
まるで文明そのものを盤上に置いているようだった。
その店に隠された個室で、止戦賢神ラジレスが座っていた。
向かいに座るのは大異魂導神パトラ。
金髪の髪を女性。人の姿をしているが、表情は人のそれよりも静かで深い。
ラジレスが頭を下げる。
「報告致します。断絶のアーティファクトは回収。本体は隔離して更に封印済み。
これがそのデータと、私が作成した報告データ……預かっていた宝神石はお返し致します。」
宝神石は圧倒的な存在感を放っている。そこにあるのに、存在を理解した瞬間、視界が軋む。内側には何もないはずなのに、覗き込めば二度と普通の視るという感覚に戻れなく気がする。
それが神の物でも特別であることが示していた。
パトラはカップを置き、満足そうに頷いた。
「よくやりました。新人にしては上出来です」
そう言うと、彼女は宝神石を懐にいれた。…データを凝視している。それぞれのデータは透明であるが存在がある代物であった。ラジレスが報告データと言っていた代物を手に持つ。
「今この報告データを確認してもいいですか?」
「お願い致します。」
パトラはその代物を握る。そして目を瞑った。
♢
量が多いのか数分経つ……
……ラジレスが心配して話し出す。
「量が多く、申し訳ございません。……神の間で解説致しましょうか?」
少し遅れてパトラが返事をする。
「いえ、あの空間は不都合も多いので大丈夫です。“施しは均衡を壊す”……ね。それにしても、よくここまで事を……本当によくやってくれました。ただ、この報告内容は宝玉神にも他言無用です。よろしいですね。」
急にパトラから威圧感が飛ぶ。ラジレスはすぐに返事をし早口で捲し立てる。
「作成に使った端末はすべて破壊しデータはそれしかない。この事は他の神にも言ってない。止戦賢神の名の元に誓う。」
「特に“千年前“の事と“神の戦争“は知っての通り神界でも禁断事項です。肝に銘じなさい。」
「はっ」
「よろしい。」
パトラはそう言い、残っていたアーティファクトのデータを回収した。その代わり小さな箱を取り出した。
さっきの威圧感はどこへやら、にこやかに話しかけた。
「報酬です」
ラジレスが箱を開ける。
中には二つの物が入っていた。銀色の缶と、薄い板のような機械。
「……これは?」
パトラは楽しそうに言う。
「とある星の文明の品です。これは“缶コーヒー”。そしてこちらが“スマートフォン”」
ラジレスはスマートフォンを持ち上げた。
画面が光る。
指で触ると表示が変わる。
「通信はできませんが、記録装置としては優秀ですよ」
ラジレスは缶コーヒーを見つめる。意識がかなり集中しているようだ。
「ほお、これも良くできている。……神界の物ではないな。」
「ええ。神でもほとんど干渉が出来ない星の物です。」
「神でも手が出せない星の代物か……噂には聞いていたが、とんでもない文明だな。はっ申し訳ございません。夢中になっておりました。あの超小型の飛ぶ映写機もこの星の物でございますか?」
「いえ、お構いなく。あの映写機は魔法があって更に文明が進んでいる星の物です。勿論そこも神の干渉はできません。」
「これより更に上……実際に使ってみたが、神の物と間違えられても不思議ではない物であった……」
ラジレスはそう言うとふと棚を見る。
そこには一つの武器が飾られていた。金属製の小さな銃。
「あれは?」
パトラは軽く振り返る。
「その星で作られた武器です。」
ラジレスが興味深そうに手に取ろうとする。しかし触れた瞬間、弾倉が勝手に落ちた。
ラジレスが首を傾げる。
パトラは説明した。
「硝石が再現できないんです」
「硝石?」
「火薬の材料です。あれらの星では自然に生成されるのですが、神の権能を使っても同じものが作れない。構造は理解できても因果が合わない」
ラジレスが銃を棚に戻す。
「つまり神でも銃は使えない……ただの飾り」
「ええ、神界ではただの置物です。」
パトラはその後、ラジレスの姿をじっと見つめた。
「……あなた、権能を使いすぎましたね」
ラジレスの身体がわずかに透けている。
「断絶のアーティファクトの翻訳と解析。そして地区一帯の隔離。あれは新人が使う力ではありません」
ラジレスは少し黙った。
「任務の為やむを得ず……」
パトラは溜息をついた。
「このままでは消滅します。しばらく休みなさい」
ラジレスが顔を上げる。
「下界の観測は?」
パトラはテーブルの上に小さな水晶の球を置いた。透明な魔道具だ。
「これを持っていきなさい。観測水晶です」
ラジレスがそれを見る。
「たまになら下界を覗けます。ただし頻繁には使えません」
パトラは微笑む。
「神も少しは楽しみが必要でしょう」
ラジレスは少しだけ安堵した顔をした。
「……申し訳ございません。」
水晶の中に、一瞬だけ砂漠の拠点が映る。
市場を歩く一人の男の姿。隣には女性の姿が映る。後ろには……見切れているが誰かいる。
ラジレスはそれを静かに見つめたあと……何故か顔をしかめた。まるで余計な物を見たかのようだった。
パトラは話題を変える。
「そういえば、前の星の管理者は?」
ラジレスは答える。
「大魔神王様でございますか?」
「ええ」
ラジレスは思い出すように言う。
「長期休暇。誰かを見送るため、少なくとも五年以上は別の星におられるそうです。」
パトラは目を細める。
「あの人らしいですね」
そう言うとパトラは立ち上がり部屋を出ようとする。
それをラジレスが呼び止めた。
「行くのですか?」
ラジレスは声を低くして言った。まるで、最期の別れのような響きがあった。
「ええ。」
……沈黙が続く。
ラジレスは続けた。
「あの砂漠の道は大魔神王様がお作りになった。その時は引き継ぎの神が困らないようにするためかと思ったが……あの神には気をつけて下さい。」
「……」
パトラが部屋の扉に手をかける。
ラジレスが立ち上がる。そして手を十字に切る。
「神のご加護があらんことを……」
「……ありがとう」
パトラは部屋を出る。部屋は静寂に包まれる。
ラジレスはっとした顔をした。そして呟く。
「あの商人が持っていた遺物の欠片の解析結果を聞き逃した……彼には思いの結晶と誤魔化したが、あれは神でも人でもあの世界の物でもない。……未知の物質だった。パトラ様……」
♢♢
場面が変わる。
神の居住区の中心。巨大な神殿のような建物。外見は簡素。まさかここに神の最高責任者がいるとは夢にも思わないだろう。
玉座があるとわかるまでに、しばらく時間がかかる。
部屋に入った者の目に最初に飛び込むのは、天上まで続く黒い書架の列だ。
端から端まで隙間なく並んだ記録物━━書物、水晶板、乾燥させた夜草に刻まれた文字━━それらが壁の役割を担い、空間の輪郭を作っている。
書架の列の最奥、もっとも暗い場所に玉座はある。周囲だけが僅かに明るい。光が集まっているのではなく、闇が薄い、という表現の方が正確だろう。
玉座の素材は黒檀と思われるが、長い時間をかけて何かを吸い込んだように表面が深く沈んでいる。
その奥に玉座があった。そこに誰かが座っている。
黒曜石を思わせる長い黒髪は、手を加えた様子もなく重力に従って背へ流れ、玉座の背もたれを超えて床へと触れていた。乱れ一本ない。まるで最初からその形に生まれついたように。
纏うのは金色のドレス。裾は玉座の台座を覆い、一段下の床まで広がっている。部屋の僅かな光を吸収して、その姿はより一層輝いて見える。
その体の各所に、黄色の宝石が埋め込まれている。どれも皮膚との境界が曖昧で、宝石が体に嵌まっているのか、体が宝石を中心に形成されたのかが判然としない。石は光を吸収して目立っている。
宝玉神ハーパー
右の肘掛けに肘をつき、指先を軽く頬に添えて、彼女は何かを見ていた。ふと来訪者が来たことを感じ視線を向ける。
大異魂導神パトラが玉座の前に立つ。
「休暇申請です」
ハーパーは頬杖をついた。
「あなたの頼みでこの星に来たのにもういいのですか。それに突然……理由はなんですか?」
「大魔神王に会いに行きます」
ハーパーの口元がゆっくりと歪んだ。
「面白いですね」
彼女は立ち上がる。
「同行しましょう。」
パトラが少しだけ驚く。
「宝玉神自ら?」
ハーパーは楽しそうに笑う。
「あの男は退屈しない。観察対象として優秀でしょう。」
パトラは少し考え、そして肩をすくめる。
「ではご一緒に」
ハーパーが歩きながら言う。
「ところで、今回の星はどうでした?」
パトラは静かに答える。
「予想より面白い個体がいました」
ハーパーが笑う。
「商人ですか?」
パトラは答えない。
神の居住区の空に、巨大な扉が開く。
二柱の神がその向こうへ歩いていく。
ハーパーが最後に言った。
「次の盤面を見に行きましょう。」
遥か下界。
砂漠の町の市場。
一人の商人が客と交渉している。
物語は、静かに終わる。
最後までお読みいただきありがとうございます。
商人の物語はこれにて終了です。
初めてででしたが完結できた事を嬉しく思います。
第10話は視点を神側に移し、この物語が“より大きな世界の一部”であることを示しました。
回収仕切れていない伏線は次の物語で回収します。
今回登場したパトラとハーパーが登場します。ラジレスも登場予定ですが……気長にお待ち下さい。
物語としてはここで一区切りです、もしよろしければ次の物語も見て下さい。




