お化粧のその後
今日も私は、ルキ様の執務室を訪れていた。
いつものようにお茶を楽しみ、穏やかな時間を過ごした後――。
今度は、ルキ様の最近のお気に入りである“化粧の時間”が始まる。
すっかり見慣れてしまった光景。
目の前では、ルキ様が真剣な表情で化粧筆を動かしている。
その横顔が妙に綺麗で、どこか可愛らしくも見えて。
(……本当に、器用よね)
最初は落ち着かなかったこの距離も、今ではすっかり慣れてしまった。
……いや。
正確には、“化粧そのもの”には慣れた、というべきかもしれない。
問題なのは、その後だ。
ルキ様は化粧を終えると、必ず私へ顔を寄せてくる。
今日も、ゆっくりと距離が縮まっていく。
ふと視線が合った。
黄金の瞳は熱を孕んでいて、それだけで胸が苦しくなる。
そして、自然な流れのように唇が重なった。
最初は軽く触れるだけだったそれは、最近では日に日に長くなっている気がする。
熱を移し合うような口づけ。
触れられるたびに、頭がぼうっとしてしまう。
やがて唇が離れる。
ルキ様の唇には、私の口紅が薄く移っていた。
彼はそれを指先でなぞると、何の躊躇いもなく舐め取る。
その仕草に、身体の奥が熱くなった。
(……だめ)
そんなことをされるたび、変に意識してしまう。
これだけは本当に慣れない。
(なのに……)
もっとしてほしい、なんて思ってしまう自分がいる。
その考えに気づいた瞬間、顔へ一気に熱が集まった。
落ち着かなくなって視線を逸らそうとすると、ルキ様が満足そうに微笑む。
「……可愛い」
低く甘い声が耳元へ落とされる。
そのまま、再び彼の顔が近づいてきた。
無意識に、また唇が重なるのだと期待してしまう。
けれど次の瞬間。
触れたのは唇ではなく、首筋だった。
「……ひゃっ」
思わず、情けない声が漏れる。
ぞくりと身体が震え、熱がさらに高まった。
その反応に気づいたのか、ルキ様がわずかに動きを止める。
唇を首元へ寄せたまま、視線だけがこちらを見上げてきた。
その顔には、余裕そうな笑み。
まるで、私がどう反応するのか楽しんでいるみたいだった。
「……ん? リリー?」
「ル、ルキ様……これは……」
「嫌か?」
熱を孕んだ黄金の瞳に見つめられる。
そんな顔をされたら、もう抗えない。
「……嫌じゃ、ないです」
答えた瞬間、ルキ様の目が嬉しそうに細められた。
再び唇が首筋を這う。
くすぐったいのに、身体はどんどん熱を持っていく。
恥ずかしくてたまらない。
それなのに――嫌ではないのだ。
けれど。
彼の唇が鎖骨へ落ち、さらに下へ向かおうとした瞬間、私は反射的に身を強張らせた。
「ルキ様……っ、これ以上はだめです……!」
ドレスの裾へ触れかけた手を、慌てて押さえる。
するとルキ様は不思議そうに首を傾げた。
「大丈夫だ。誰も見ていない」
「そ、そういう問題じゃなくて……!」
「でもリリー、嫌とは言わないんだな?」
「えっ……」
図星を突かれ、頭が真っ白になる。
そんな私を見て、ルキ様は楽しそうに微笑んだ。
「じゃあ、問題ないな」
低い声で囁かれる。
そして再び彼が触れようとした、その時だった。
――コンコン。
執務室の扉がノックされた。
けれどルキ様は気にしない。
むしろ無視して続けようとしている。
ノックの音は徐々に強くなっていった。
それでも止まらない。
そしてついに、扉の向こうから怒声が飛んできた。
「おいルキウス! そこにいるのはわかっているぞ!」
レオナード第一王子の声だった。
「――チッ」
ルキ様が露骨に舌打ちした。
そのまま名残惜しそうに私から離れると、乱れたドレスを丁寧に整えてくれた。
それから、ようやく扉へ向かう。
扉を開けた瞬間、レオナード殿下がじとりとした目を向ける。
「……随分と開くまで時間がかかったな」
「気のせいでは?」
ルキ様は涼しい顔で答えた。
「気のせいなものか。ノックを無視していただろう」
「聞こえませんでした」
「嘘をつけ」
即座に切り捨てられる。
けれどルキ様はまるで気にした様子もない。
「それで、兄上。何の用ですか」
「それはお前がよくわかっているだろう!」
レオナード殿下は頭を抱えた。
「お前……以前から言っているが、普段から風紀を乱すな!」
「婚約者と仲良く過ごしているだけですが」
「……お前たちは、まだ婚前だからな?」
「もちろん理解していますよ?」
「理解していたら執務室の鍵を内側からかけたりしないんだ……!」
レオナード殿下は深々とため息を吐いた。
けれど次の瞬間、何かを思い出したように眉間へ皺を寄せる。
「それにルキウス。幽閉塔を諦めたと思ったら、今度は別荘を建てる計画を進めているらしいな?」
「何か問題でも?」
ルキ様は悪びれる様子もなく答える。
その言葉に、私はぴくりと反応した。
「……幽閉塔?」
思わず立ち上がる。
レオナード殿下が「あっ」という顔をした。
「ルキウスが君を塔に閉じ込めようとしていたという話ではなく――いや、何でもない」
(今、絶対何か言いましたよね!?)
聞き捨てならない単語が混ざっていた気がする。
けれどレオナード殿下はそれ以上追及させまいとするように額を押さえていた。
「また面倒なことに巻き込まれている……」
疲れ切った声だった。
私はおそるおそる問いかける。
「わ、私……幽閉塔に入れられるようなことをしてしまったのでしょうか……?」
「大丈夫だ、リリー。君が罪に問われることはない」
ルキ様が即座に否定する。
「じゃ、じゃあどうして幽閉塔なんて……」
「俺とリリーで過ごすのに良さそうだと思ったんだ」
「えっ」
あまりにも自然に恐ろしいことを言われた。
(ど、どういう意味なの……!?)
困惑する私をよそに、ルキ様は平然と続ける。
「人も来ないし、邪魔も入らない」
「だから問題だと言っているんだ!」
レオナード殿下のツッコミが執務室へ響き渡った。
けれどルキ様は全く気にした様子もなかった。
「まあ、もっと良い場所を見つけたから問題ない」
「……良い場所?」
「辺境に別荘を建てようと思っている」
「別荘……?」
「静かで人も少ない。リリーと二人で過ごすには最適だろう?」
どこか嬉しそうに語るその顔を見ていると、胸がくすぐったくなる。
二人きり。
その言葉に、じわりと頬が熱を持った。
「楽しみに待っていてくれ」
「……はい」
小さく頷くと、ルキ様は満足そうに微笑む。
そんな私たちを見て、レオナード殿下は遠い目をしていた。
「……もう、放っておいてもいいだろうか」
その呟きが届くことはない。
なぜならその時にはもう、私たちはいつものように二人だけの世界へ戻っていたのだから。
ルキウスは今日も通常運転です。
甘々回を書くつもりが、今回もレオナード殿下が胃を痛めています。




