戦記31「遠い空」
お風呂といえばハプニングがつきものです。そう、ハプニングがね…
戦記31「遠い空」
お湯を吸った木の香りが、風呂に溢れていた。
豪華絢爛というわけでも、極端に広く大きいわけでもないが、肩まで浸かれ、足を延ばせる浴槽に、並々とお湯が湛えられている。
そのお湯は、とぷとぷと小さな音と泡をたてて、壁から突き出したパイプのようなものからこんこんとわき出ている。
そして、壁にはスポンジの代わりなのだろう…繊維質の多いヘチマのような植物が紐でぶら下げられており、先ほどはこれに備え付けの石鹸を塗り泡立て、体を洗ったところだ。頭もしかり。
そして泥や何やらを一通り落としたところで、湯船に浸かった。
ざぶりと浴槽からお湯が排水溝へと逃げ、押し上げられたかのように、もくりと湯気が立ち上る。
やや高い位置にある開け放たれた窓からは、日暮の赤い空が額縁のような見え、借景として成り立っている。夜には夜の、朝には朝の様子を想像すると、またその時間に風呂へと入りたくなる何かがある。
そしてやや遠く…というほど離れているわけではないが、脱衣所の向こうからはチーム舞姫の面々の声。
昨日に比べて声に張りと勢いを感じる。
それらを堪能するように深く長く息を吐き、同じく吸う。
水蒸気を多く含んだ空気が肺に満ち、減った空気の跡を追うようにして、風呂に踊る湯気が形を変えた。
これら一連の様はドラゴニアではまずお目にかかれない光景で、ここが遠い国なのだということを実感せざるをえない。
(―思えば遠くに来たもんだ、と)
まぁ、それでも異世界に比べればご近所には違いないだろうが。
遠くの親戚より近くの他人…ではないが、この五年の間に、俺は着実にこちらの人間へと成りつつあるようだ。
(―元々、向こうへの郷愁も愛着もあまりなかったしな)
仮にこちらの世界に来ることがなければ、普通の高校生を卒業し大学生か専門学生とやらになって、その後就職して社会人になるか、または暫しの猶予を楽しむためにアルバイトにでも精を出していただろう。
それはそれで悪い人生だとは思わない。きっとそれはそれで大事な何かとか、思いがけない日々などを見つけたのだろう。
でも、埋められない何かは埋められないまま、日々は過ぎただろう。
きっと多くの人が…全員ではないにしろ、俺と同じように、埋まらない何かに辟易しながら生きているのだろう。
そんな人なんてたくさんいるのだろう。
でなければ、小説とか映画とかマンガとか、そういったものがあんなに出回るとは思えない。
そういったものを形作る一文字一文字が、埋まらない何かを埋めるために作られたもので、それを求める一人一人に埋められない穴があるのだとしたら、あちらの世界には、どれだけの文字が必要だというのだろう?
『三妃七竜十三宝』
こちらの世界にいるならば、たった七文字並べるだけで埋まっていくというのに…
勿論、こちらの世界にきて嘆いた人もいただろう。
あちらの世界を恋しく思った人もいただろう。
祝月十二杯に限らず、アチラとコチラを思い作られたモノは、この世界にも数限りなくある。アチラの世界に戻れない者達が、その穴を埋めるために並べた文字だって、いくらでもある。
結局のところどちらがいいという話ではなく、誰かにはアチラが合っていて、俺にはこちらが合っていたというだけのことなのだろう。
同じ小説というカテゴリーでも、ミステリーが好きかファンタジーか好きか…まぁどちらも好きな人もいるのだけれど。
(―そういう意味では、幸運な方だったな)
アチラの世界よりもコチラの世界の方が性に合うだけでなく、
生きるに少し有利な能力を手に入れ、、
生きるに少し有利な環境で過ごし、
望めば多少の何かが手に入る何かもあり、
望んだ何かを手に入れるために手を貸してくれる者もいる。
(―だからこそ、足りない)
足りないからドラゴニアから逃げ出した。
他の誰かよりも足りているところがあろうと、自分の思う自分には足りてない。
だから、いざという時にどうにもならなくなる。
そして、実際にどうにもならなかった。
背中を追った人の宝を譲り受けることもできず、
隣で戦おうと思った仲間達と戦いきることもできず、
可能な限りの涙を払おうと思った人の涙を拭うこともできなかった。
それを、ここでやってはいけない。
同じことを何度も繰り返してはいけない。
まだ、先があるなんて考えてはいけない。
(―また全部置いていくわけにはいかないしね)
温かい湯船に、体だけでなく頭と気持ちからも硬さが抜けたのかもしれない。
(―ちゃんとバカやってるぞ)
考えるまでもなく浮かんでくる言葉を生れる前に消すことはできない。
だから、気づく。
あぁ、ちゃんとドラゴニアにいた意味は…
ドラゴニアで付けられた傷は、ちゃんとここにあったのだと。
自分はもう少し緩く、冷静な人間かと思っていたが…人並みに傷を受けたりもするのだと気づく。
(―ここで、作るからな。国を)
俺をここに逃がすために死んでくれた同期の兵を思い、
(―それまでどうか御無事で、剣姫様)
おそらくは、今はまだ最愛といってもいいだろう彼女のことを思い、目を閉じる。
閉じた世界に、彼女はまだいる。
五年という時の多くを彼女を思いながら過ごした。
だから、簡単に彼女はいなくならないし、もしかしたらずっといなくなることはないかもしれない。
だから、この閉じた彼女のいる場所に『彼女』が入ってくることを、頭ではなく気持ちが望んでいるかどうか、実はまだ判断がつかない。
が…けして、悪い気はしていないのだ。
「あ、あの…お湯加減はいかがですか?」
窓の外…暮れた夕日を切り取る窓の向こうから、彼女が声をかけてくる。
長く浸かっていれば、外か内かはともかく、来てはくれるだろうと思っていた彼女に…舞姫に応える。
「いい湯加減で。お風呂はこっちの方が好きだな」
「そ、そうですか…神楽月にもいいお風呂はありますよ?」
「楽しみにしておく」
「はい、ぜひ!」
神楽月が好きなのだろう。
俺も、ドラゴニアは好きだった。
たかが五年でも。
だから、傷を負った。
それが、生まれてからずっとだったら、どれほどだろうか?
「神楽月についたら…その時は、背中流してくれる?」
「え、あ、う、うぅ…そ、それぐらいなら」
おー、反応が変わった。
「それとも、今一緒に入る?」
「え…えぇ!?」
ここまでいくと、まだ同じ。
「冗談」
「で、ですよね…」
「そういうのは、決着がついたらね」
「は、はい、決着がついたら…入りません! 入りません!」
想像がつくと思いきや、意表をついた反応や想像もしてなかったようなセリフを言われ、
俺と違い、守るべき、大事なモノの為にどこまでもまっすぐで、
人の上に立つくせに、どこか幼いところも持っていて、
人が常にその人のところに集まって、
曇りの無い目と、
雑味の無い声の女の子、
「あぁ…」
(―申し訳ない)
心の中で、謝っておく。
「…どうかしました?」
「いや、いいお湯だなって」
彼女に彼女を重ねている自分がいることを、
そしてそのことを明かせずにいることを、
(―申し訳ない)
謝っておく。
「…はい。いいお湯です」
「ほんとにね」
「ほんとにです。それと…とってもいい空です」
壁の向こう、舞姫も空を見上げているのだろう。
ここから見上げる空は高く、遠く、
ドラゴニアから見ていた空とは、高さも色も違く、だからこそ尚更遠くへきたのだと思ってしまったけれど、
今はまだ、遠くへきてしまったのだと思ってしまう自分がいるけれど、
そう遠くないうちに、思う日が来るだろうという予感がある。
思えば遠くに来たのではなく、
思えば近くに来たのだと。
遠い空のドラゴニアから、
近い森の神楽月へと、
遠い遠い声も文字も届かないほどの場所から、息遣いさえ聞こえるほど彼女の近くに来たのだと…
きっと、そのための五年だったのだと…
今はまだ、そんな自分の予感すら薄情に感じてしまうけど、
彼女に申し訳ないと思ってしまうけれども、
「舞姫さんや」
「なんですか、ユウ様」
「…取り返すぞ、神楽月」
「…もちろんです!」
その予感を現実に変える為、立ち上がる。
体を湯が滑り、浴槽へと帰る。
温い思考と温い感傷が、水滴と一緒に流れてく。
思考と感覚をいつもの自分へと切り替える。
(-さぁ、きりきり働きましょうかね)
そしてその時、ドアが開き、
「貴様ぁ、そこになおれい!!」
なぜか、超が付くほどの美形(男)が風呂へと突入してきた。
なお、当方生まれたままの姿であることをここに改めて記しておく。
お読みいただきありがとうございます。
まず先に…
ボクだって悩んだんです。悩んだんです。舞姫が背中を流しにきてくれることを。
でもね、でもですね、ボクの中の舞姫がいうのですよ
『私達、まだそういう関係じゃないし…』
とか
『一緒に入って噂になっても困るし』
って。
確かになって。まだ調教…コミュニケーションも不足してますし、なんか、こう、ここでイン竜辺りがけしかけたとかあったとしても、なんかちょっと納得しきれなかったのですよ。
なので、お湯加減。
これが、今のボクの、限界でした。
かわりにほら、言質とったし、神楽月奪還の暁にはちゃんときてくれますよ、うん。
というわけでまた次回。
そうそう、そういえば最後にようやく誰か登場してましたね。別段どうでもいい人です。




