第38話 ラキとお父さん(2) ラキ視点
ラキは院長室のドアをノックした。
返事はなかったが、もともと物事に集中すると返事をしないのでそのまま入室する。
内偵の定期報告に来たのだが、ギルフェレスは珍しく寝台に横たわって胸の上で腕を組み、顔に本を乗せたまま眠っていた。
「お父さん。仕事の話なんだけどね」
「起きている、続けろ」
ラキは机の前の椅子を引いてきて、ベッドの前で座った。
「リュテが時々、変わった夢を見てるわ。リュテは夢の中では『エイギョーさん』て男の人になるんだけどね。
スミレギスより遥かに文明が高い国で、建物なんか五十階とかあるし、魔法もないのにいろんな物を操ることができるの。
この前の雷霆で大怪我したとき、私がリュテを治癒してる最中、リュテもエイギョーさんに完全回復をかけて完治させてたの!」
ラキは父の反応を聞きたくてうずうずしたが、返事は特に無い。
これもいつものことだ。
「リュテの手から金色の光が溢れ出してて、凄い威力だったよ。もうお父さん越えてるかも。教王さまや聖人レベル!」
「続けろ」
「おっ、興味でてきた?リュテは首輪で抑制されてたぶん、反動で魔力がすごく強くなってる感じだった。
でね、不思議なんだけど。その光が触れるとエイギョーさんの知識や記憶が吸収できて、リュテの頭が良くなるの。
起き抜けにリュテが考えてたの。
『ぼくの精神感応と接触感応は融合して血脈を辿り、過去と未来の夢を見る』って――。
いろいろ聞き出したかったけど、警戒されたからやめたわ」
「それは興味深いが……問題だな」
「でしょ」
聖貎教会は各国の国教であり、王権を超越した選帝機関、司法機関でもある。
その本山である教王国と、長たる教王以上の存在がスミレギスの王権をも手にしたとなれば、各国が見過ごすはずがない。
リュテが未婚の王子であることが、事態をさらにややこしくする。
王子時代、隣国に形式的な婚約者はいたが、謀反で幽閉された際、先方から破談を言い渡されている。
スミレギスでの王位争奪戦にくわえ、教王国からは権威を損なうと目の敵にされ、次期王妃の座を狙った各国の熾烈な外交戦が確定しつつある。
「厄介な――――」
溜め息をつきながら身を起こしたギルフェレスを見てラキが息を飲み、駆け寄る。
「起きないで!!」
ギルフェレスの顔は蒼白で、端正な唇の端には赤黒い吐血の跡がついている。
ギルフェレスは娘に促されるまま、また寝台に身を横たえた。
「人間には猛毒だから飲まないでって言ったでしょ!? なんで毎回毎回、馬鹿みたいに律儀に飲まされて帰ってくるのよ!!」
「叫ぶな、頭に響く……」
「わ――――!!!!!」
ラキは父親のそばに跪き、わざわざその耳元で叫んだ。
「うっ……」
父が耳を塞いで眉を寄せたのを確認し、ラキは溜飲を下げる。
「懲りたら二度と飲まないで。お父さんには解呪できない毒なんだから、次飲んだら本当に死ぬわよ?」
「……わかった。頼むから早く……」
「わ――――!!!!」
ギルフェレスが失神して静かになったところで、ラキは解呪を施した。
「こういうのって、体に言い聞かせないと駄目よね。何回言っても同じ失敗するんだもの。ほんっとにダメなお父さん」
国内外で最強の聖騎士と恐れられる男だが、実の娘には全く歯が立たない。
それどころか、家庭ではまあまあ酷い扱いを受けている。
ギルフェレスの思考を読みながら育った娘なのだから、言うなれば彼の自業自得ではある。
――――『呪いの琥珀』。
教王国が門外不出として、敵対国の王や反抗的な配下に下賜して従わせるための秘薬。
いや、呪毒である。
精霊の森出身で同じ系統の半樹霊にはかろうじて解呪できるものの、人間には不可能な猛毒だ。
そしてギルフェレスがこれを服用させられた期間は、五年にも及ぶ。
樹霊の呪いを凝縮させたこの特殊な呪毒は、体に対する毒性もさることながら、精神への影響が大きい。
飲んだ人間の体内に取り憑き、欲望を肥大させて性質を凶悪にさせるのだ。
ギルフェレスは私欲がほとんど無い理知的な性格のため、服用後もさほど性格的な変化はみられなかった。
ラキはこの点で安堵していたのだが、最近になって気づいたことがある。
リュテへの指導の厳しさだ。
樹霊の毒が、弟子を鍛えあげたいという『教育熱心』の方向で欲望を増大させている。
あとは金だ。
私欲が無いにも拘わらず、大金を稼ぎたがるのには、何らかの切迫した事情があるに決まっている。
ラキはギルフェレスの耳から対精神感応、対接触感応のピアスを抜き取り、父親の精神と記憶を探ることにした。
手を触れた瞬間、ラキの脳裏にはギルフェレスの記憶が映し出される――――――――。
…………
……
「私を騙せると思ったか、ギルフェレス?」
…………王の声。
……王宮だ。
ギルフェレスの視点から、玉座の前に跪いているのが見える。
「雷霆が、おまえにつけていた監視とリュテを焼くとは、おまえに都合が良すぎないか?
幼く愚かな王子が謀反を起こせば、おまえが叱責を受ける。先んじて始末したのでは?」
ギルフェレスは答えない。
返答は求められていない。
ただ、一方的に不満をぶつける相手として呼ばれたことは弁えている。
「おまえは教王国が認める世界最強の聖騎士で、聖騎士団の団長。
昔から優れていたな。
親友として私も鼻が高かった。
貴様が兄上から、いや、私から『氷河』を奪い取るまではな」
ギルフェレスの視線はずっと俯いたまま、床に注がれている。
「王が引き継ぐはずの『戴冠宝器』が、なぜ貴様を主と認めたかは知らぬ。
知らぬから聞くのだが、よもや王位を狙っているのではあるまいな?」
「滅相も無いことです」
「『氷河』は貴様を主と認めた。他の八本も貴様が隠したのでは?」
「……必要ならば、存分にお調べください」
平伏し、いっそう身を低くしたギルフェレスの肩に、足が乗せられた。
耳元に囁く王の声。
「事実がどうあれ、私が受けた恥辱は必ず贖ってもらう。貴様にも妻にも、娘にもだ。
貴様の妻は精霊の森の女王で、娘は姫か。
娘はいくつになる? 母親に似て、さぞ美しく育っていることだろうな?」
精霊の森は、永らくスミレギスとは敵対関係にあった。
王族と教会が利権と秘薬の製造のために、樹霊を狩り続けたからだ。
温厚篤実な前王エスターの時代、その敵対関係は王と妖精姫シアエの婚姻によって解消され、平和条約が締結されたはずだった。
エスターの弟エンヴィーの謀反により、条約が覆され、再び精霊狩りが始まったのが五年前である。
精霊女王ロサーチェの安全は、エンヴィーに尽くすギルフェレスの忠誠によってかろうじて保証されてきた。
だが、王はいま、精霊女王の命が惜しければ娘を人質として後宮に差し出せと、暗に告げているのだ。
ギルフェレスは拳を強く握った。
爪が肉を破り、血が伝って流れる感触がある。
「……御意に」
恭順の言葉を聞いた王が親友の肩から足を降ろす。
黒い炎が噴き出すような、壮絶な呪詛。
呪いの琥珀の呪毒が王の爪先までを包んでいる。
おそらく、全身を蝕まれて本来の正常な思考は、もはや保てていないに違いなかった。
…………
……
「なるほど、なるほど。これはこれは……。
お父さん、私を売るつもりなのね。うん。絶対に許さないわ!
必要なら密偵として王さまの首を掻き切って来てもいいけど。――――リュテには、王さまになってもらうしかなさそうね」
☆院長、まさかのK.O……




