第9話 無自覚な過剰戦力
浅層第二階層の奥へと進むにつれ、ダンジョンの空気は急速に湿り気を帯び、不気味な静寂が広がっていった。
入り組んだ石造りの通路は光が届かず薄暗い。本来であれば、ソロの探索者が松明や魔導ランプの灯りを頼りに、曲がり角の一つ一つを警戒しながら慎重に歩を進める場所だ。
通常、このエリアを攻略するには4人から5人のパーティ編成が推奨されている。前線を維持する大柄な盾役、素早い攻撃で敵を削る前衛、後方から支援魔法や回復をかける後衛。役割分担と緻密な連携があって初めて、安全に帰還できるのがダンジョンの鉄則だった。
しかし――今の俺には、その鉄則は一切当てはまらなかった。
「……ッ、来ます!」
イヤホン越しに白鳥の声が届くと同時に、前方のアタッチメント通路からドタバタと重い足音が響いた。
暗闇から姿を現したのは、二体の巨漢の魔物――『オーク・スカウト』だ。
体長は2メートルを超え、太い腕には粗末だが重厚な木製の棍棒を握りしめている。名前には「スカウト(偵察)」とあるが、その実態は高い生命力と力任せの打撃で浅層のビギナー探索者を何人も葬ってきた凶悪なモンスターである。
『出た! オーク・スカウトだ!』
『うわ、しかも二体同時!?』
『狭い通路でオーク二体は挟み撃ちの危険があるぞ!』
『レンちゃん引いて! セーフゾーンまで一回戻ろう!』
コメント欄が一気に緊張感に包まれる。同接はすでに『70万人』を突破しており、画面越しに見守る視聴者たちの悲鳴のような書き込みが凄まじいスピードで流れていく。
(オーク……! 図鑑でしか見たことがなかったけど、間近で見るとデカいな……!)
以前の俺――レベル14のFランク探索者だった頃の俺なら、遭遇した瞬間に絶望し、身動きすら取れなくなっていたはずだ。
だが、視界に捉えたオークの俊敏な動きが、今の俺の目にはまるで「スローモーション」のように緩やかに映っていた。
(落ち着け……さっきは力が入りすぎて壁を盛大に壊しちゃったんだ。今回はもっと力を抜いて……十パーセント……いや、五パーセントくらいの力加減で……!)
「グオォォォッ!!」
先頭のオークが咆哮を上げ、巨大な木棒を俺の頭上から振り下ろしてくる。突風が頬を打つ。
俺は最小限の動作で身体を滑り込ませ、頭上を通過する木棒をすんでのところで回避した。
そのまま、オークの開いた脇腹へ向けて、手にしたショートソードをそっと添えるように滑らせた。
――シュッ。
粘り気のある鋭い切断音が聞こえた。
「ガっ……!?」
力を込めたつもりはまったくなかった。単にすれ違いざまに刃を叩きつけただけだ。
しかし、ダンジョン庁から支給された標準的なショートソードは、オークの分厚い皮膚と強靭な筋肉を、まるで温めたナイフでバターを切り裂くかのように一瞬で斜めに切断していた。
上下に分かれたオークの上半身が、凄まじい勢いで床に崩れ落ちる。
「……え?」
呆然とするヒマはなかった。
仲間が一瞬で屠られたことに激昂した二体目のオークが、横合いから丸太のような腕を振り回して襲いかかってきたからだ。
「ハッ……!?」
反射的に、俺は空いている左手の拳を突き出した。
本当に、迫る腕を押し返そうとしただけの、軽めの突きの動作だ。
ドガァァァンッ!!
「ブギャアァァッ!?」
ダンジョンの通路に、落雷でも落ちたかのような凄まじい衝撃音が爆ぜた。
軽めのパンチだったはずの俺の小さな拳は、オークの巨腕を骨ごと粉砕し、そのまま分厚い胸板へとめり込んだ。発生した膨大な衝撃波がオークの巨体を真後ろへと吹き飛ばす。
ドスン! ドゴォォン!!
吹き飛んだオークは十メートル以上後方へ叩きつけられ、壁に埋まったまま光の粒子となって砕け散った。
「…………」
静まり返る通路の中央で、俺は自分の白く華奢な右手と左手を交互に見つめ、引きつった笑みを浮かべた。
(五パーセントでもこれかよ……!? 体内の核、どんだけステータス底上げしてんだ……!?)
手加減をしたつもりだった。自分としては「優しくあしらった」程度の感覚だったのだ。
しかし、ドローンカメラを通して客観的に見れば、それは**「華奢で可憐な美少女が無表情でオークを撫で切りにし、パンチ一発で爆散させた」**という、理不尽極まりない恐怖の映像にしか見えなかった。
案の定、頭上で浮遊するドローンカメラの向こう側では、コメント欄が完全に崩壊していた。
『うそだろwwwwwwww』
『パンチ一発でオーク爆散wwwwww』
『腕力どうなってんの????』
『手加減しようとして失敗した顔してて草』
『可憐な容姿から繰り出される理不尽な暴力』
『これもう浅層のボスより強いだろ』
『【速報】レンちゃん、ゴリラだった』
同接数はついに『80万人』を突入。
視聴者たちは、俺の見た目とやっていることの絶望的な乖離、そして本人が一番困惑しているというギャップに、完全に中毒になっていた。
「ゴ、ゴリラじゃないです……! 今のはその、魔力操作の加減をちょっと間違えただけで……!」
必死に弁明しようと両手をブンブンと振るが、それがまたコメント欄の爆笑を誘う。
『弁明が苦しすぎるwww』
『可愛いからゴリラでも許す』
『むしろそのギャップが最高なんだよなぁ』
『ゴリラ美少女爆誕の瞬間を目撃してしまった』
イヤホン越しに、白鳥の呆れたような、しかし満足そうな声。
『レンさん、、、力もう少し抑えましょうね。』
「白鳥さんが無茶言わないでくださいよっ! こっちは全力で抑えてこれなんですから!」
1000PVありがとうございます!




