第10話 可憐なる一閃
浅層第二階層の最深部。
入り組んだ迷宮の通路を抜けた先に広がるのは、これまでの石造りの回廊とは明らかに異質の空間だった。
天井が見えないほど高く開けたドーム状の空間。その中央に鎮座していたのは、黒ずんだ巨石を組み上げて作られた重厚な両開きの巨大扉だった。扉の表面には、学者によって研究されている未知の文字が怪しく明滅し、内側から押し寄せてくる不気味な魔力の圧力が、重低音の振動となって足の裏から全身へと伝わってくる。
「ここが……浅層のボス部屋か」
扉の数メートル手前で足を止め、俺は深く緊張の息を吐き出した。
耐魔素材のパーカーの袖を握りしめ、胸に手を当てる。トクン、トクンと規則正しく跳ねる心臓のすぐ隣には、あの日体内に取り込んだ未知の魔物の『核』が、静かに、しかし力強く脈動していた。
頭上でプカプカと浮遊する最新鋭のドローンカメラを引き寄せ、そこに表示されている配信画面へと目をやる。
復帰ライブ配信を開始してから、およそ二時間が経過していた。
画面右上に表示されている同時接続者数(同接)のカウンターは、狂ったような速度で数字を刻み続け、ついに大台である『100万人』を突破していた。
日本の個人配信史上、前代未聞の快挙。今やこの日本だけでなく、世界中の探索者、研究機関、そして一般の視聴者たちが、画面の向こうでこの朱赤の髪をした可憐な少女の動向を息を呑んで見守っているのだ。
ホログラムのコメント欄には、肉眼では捉えきれないほどの速度で文字が流れていた。
『ついにボス部屋に辿り着着いたか……!』
『おいおいおい、マジで入る気か!?』
『いくらなんでもギガント・ゴブリンはソロじゃキツいだろ!』
『レンちゃん、お願いだから無理しないでくれ!』
『ソロでボス部屋突入とか普通なら即死案件だからな!?』
『手前までの雑魚狩りとはワケが違うぞ!』
『一回セーフゾーンに戻ろう! 引き返しても誰も文句言わないって!』
画面を埋め尽くすのは、俺の身を案じる視聴者たちからの切実な制止の声だった。
無理もない。通常、浅層のエリアボスに挑むには、最低でもCランク以上の熟練探索者が4〜5人のパーティを組み、役割分担と緻密な連携を徹底して初めて勝機が見えるレベルなのだ。レベル14のソロ探索者が挑むなど、無謀を通り越して自殺行為でしかない。
しかし――俺に引き返すという選択肢は存在しなかった。
俺はゆっくりと首を振り、ドローンカメラのレンズを真っ直ぐに見つめた。
「みんな……心配してくれてありがとうございます。本当に、すごく嬉しいです。……でも、俺はここで引き返すわけにはいかないんです」
可憐で鈴を転がすような少女の声。だが、そこに込められた音色には、いっさいの迷いがなかった。
「俺には、どうしても辿り着かなきゃいけない場所があるんです。どんなに危険でも、どれだけ時間がかかっても……ダンジョンの最深く、深層へ行って、自分の『本当の姿』を取り戻すって決めたんです。だから、こんな浅層で立ち止まっている暇はないんです」
視聴者には「本当の姿=男の身体」という意味は伝わらない。けれど、少女の華奢な姿の奥に宿る圧倒的な覚悟と切実な気迫は、画面越しに100万人の視聴者の心へ確実に突き刺さっていた。
流れていたコメントのスクロールが、一瞬だけピタリと止まった。
そして次の瞬間、画面を覆い尽くすほどの熱い応援の言葉と、色鮮やかなスパチャの嵐が爆発した。
『行けぇぇぇぇぇレンちゃん!!』
『その覚悟、信じるぞ!!』
『深層まで届かせろ!!』
『100万人が後ろについてるぞ!!』
『見せてくれ、君の本気を!!』
「……よしっ!!」
俺は意を決して、巨大な石扉に両手を押し当てた。
――ググググググッ……!!
地鳴りのような重厚な音を立てて、数トンはあるであろう巨大な扉がゆっくりと開放されていく。
扉の向こうに広がっていたのは、赤黒い霧が充満する凄惨な広間だった。
そしてその中央。山のように巨大な影が、こちらを振り向いた。
全身を褐色の筋骨隆々な肉体で覆い、血のように赤い三つの目をギラつかせた巨獣
――浅層の主『ギガント・ゴブリン』だ。
「ルオォォォォォォォン!!」
空間を激しく揺るがす咆哮。地響きとともにボスが巨躯を揺らしてこちらへ突進してくる。その手に握られた家屋の柱ほどもある鉄の棍棒が、空気を置き去りにして振り下ろされる。
「くっ……!?」
俺は間一髪で真横へ躍り出た。
直後、先ほどまで俺がいた床が爆発したかのように砕け散り、大量のガレキと激しい衝撃波が嵐となって襲いかかる。
(速い……! 雑魚のオークとは威力がまるで違う……!)
衝撃に吹き飛ばされそうになりながらも、俺は体内の『核』から魔力を引き出そうとした。
――ドクンッ!!
だがその瞬間、胸の奥で核が過剰に跳ね上がり、身体中に狂おしいほどの膨大な魔力が駆け巡った。
(しまっ――魔力が大きすぎる……!?)
力を込めすぎれば、先ほどのように広間全体を巻き込んで自爆しかねない。かといって威力を絞りすぎれば、ボスの分厚い皮膚と強靭な筋肉を突破できない。
「加減がわからない」という致命的な弱点が、ここに来て最大の牙を剥いていた。
「ウガアァァァッ!!」
追撃。ギガント・ゴブリンが巨腕を横に薙ぎ払う。
俺は急ぎ短剣で受け止めようとするが、加減を恐れて不十分に張った魔力障壁は、ボスの圧倒的な質量攻撃の前にあっさりと撃ち破られた。
「きゃああっ!?」
激しい衝撃が腕を伝い、身体が宙を舞う。
石壁へ激突する直前、俺は壁を足で蹴ってなんとか着地したものの、右腕にしびれるような激痛が走った。
コメント欄は悲鳴と絶望で埋め尽くされていた。
『レンちゃん!!?』
『あぶねぇぇぇぇ!!』
『やっぱりパワー負けしてる!?』
『吹き飛ばされたぞ!! 大丈夫か!?』
『無理だ! ガチでボスの火力がヤバすぎる!』
『引き返してくれ頼むから!!』
「ハぁ……ハぁ……ッ」
息が上がる。
可憐で小さな今の身体は、どれだけ出力が高くとも、一歩間違えれば簡単に折れてしまいそうな脆さを抱えていた。相手は一撃でも食らえば即死の超重量級。俺のわずかな手加減の迷いが、そのまま死へと直結する。
ギガント・ゴブリンが赤い三つの目をギラつかせ、勝利を確信したように獰猛な笑みを浮かべた。棍棒を高く掲げ、俺を押し潰すべく跳躍する。
影が俺を覆い尽くす。
(落ち着け……! 恐怖に飲まれるな!)
俺は深く息を吐き、目を閉じた。
身体の中で荒れ狂う核の魔力。それを「抑え込む」のではなく、「研ぎ澄ます」イメージを持つ。
膨大なエネルギーを爆発させるのではなく、針の穴を通すように、一筋の薄く鋭い「刃」へと集約させていく。
(力で押し切るんじゃない……。一点に集中させるんだ……!)
目を開けた瞬間、世界が再び静止した。
頭上から降り注ぐ巨大な鉄の棍棒。その僅かな隙間、ボスの胸元にある魔力の結節点――「核」の位置が、はっきりと視界に浮かび上がっていた。
「……ハッ!!」
俺は地を蹴った。
爆発的な踏み込み。しかし今回は、無駄な衝撃波も、壁を壊すような過剰な威力も発生していない。すべてのエネルギーが、俺という一本の矢となって真っ直ぐに突き進む。
頭上からの棍棒を紙一重でかわし、滑り込むようにボスの懐へ。
短剣の刃に注ぎ込まれた朱赤の魔力は、爆発的な光ではなく、鋭利で静かな「一本の光の糸」となって圧縮されていた。
「……ッ!」
擦れ違いざま、俺はボスの胸元を横一文字に駆け抜けた。
一瞬の静寂。
ギガント・ゴブリンの動きが完全に止まる。
ボスは困惑したように自身の胸を見下ろした。そこには、薄く、しかし深く刻まれた朱赤の光の線。
次の瞬間――。
ズシャァァァァァッ!!
圧縮されていた魔力がボスの体内で一気に解放され、巨大な影は断末魔をあげるヒマすら与えられず、眩い光の粒子となって爆散したのだった。
「……ハぁ、ハぁ……っ」
静まり返るボス部屋の中央に、トッと軽やかに着地する俺。
朱赤の髪が汗で額に張り付き、荒い息を吐きながらも、琥珀色の瞳は確かな勝利の光を宿していた。
数秒の静寂の後――画面の向こう側の100万人の視聴者が、そして世界中が、爆発的な歓喜の悲鳴を上げた。
『うおおおおおおおおおっっっ!!!』
『倒したぁぁぁぁぁぁぁっ!!』
『最後の一撃なにあれ!? 美しすぎるだろ!!』
『ハラハラしたけど最高にかっこよかった!!』
『レンちゃんおめでとう!! 神回決定!!』
画面を埋め尽くす万雷の拍手と、止まらないスパチャの嵐。
冷や汗を拭いながら、俺は自分の小さな手を強く握りしめた。
死闘の末に掴み取った勝利。この感覚がある限り、俺はどこまでも強くなれる。
(待ってろよ……ダンジョンの最深部。俺は絶対に……男に戻ってみせる!)
性別を奪われ、世界を巻き込む大狂乱の渦中に放り込まれた少年の反撃劇。
その最初の一歩が、ここに確かに刻まれたのだった。




