第11話 急激な日常の変貌
浅層のボスであるギガント・ゴブリンとの死闘を制した翌朝。
俺はタワーマンションの広々としたリビングで、ふかふかの高級ソファに深く身体を沈めながら、呆然と天井を見上げていた。
昨夜の復帰ライブ配信の反響は、一夜明けても収まるどころか、むしろ加速度的に世界中へ波及していた。
リビングに設置された巨大な壁掛けテレビをつけると、どのチャンネルのニュース番組や情報番組でも「彗星のごとく現れた正体不明の美少女探索者」として特集が組まれていた。SNSのトレンド順位は、上位のほとんどが俺の名前や配信の切り抜き動画で完全に埋め尽くされている。チャンネル登録者数はたった一回の配信で一気に800万人を突破し、投げ入れられたスパチャの総額は、個人配信者としては常識を遥かに逸脱する金額に膨れ上がっていた。
「……夢じゃないんだよな、これ」
自分の可憐で高い声が、静かな部屋にぽつりと響く。
華奢で繊細な白銀のような指先を目の前にかざしてみるが、どれだけ見つめても、これが自分の手だという実感がどうしても湧いてこない。つい先日まで、泥と擦り傷だらけになりながら安いショートソードを握りしめていた男子高校生の手は、どこにも存在しなかった。
「夢ではありませんよ、神楽木さん。いえ、今は配信上の名前に合わせてレンさんとお呼びした方がよろしいでしょうか」
カツカツと知的なヒールの音を響かせて、キッチンから白鳥アオイが歩いてきた。その手には、淹れたての紅茶が香る繊細な陶器のカップが載ったトレーがある。
「白鳥さん……。ニュース、どこをつけても俺のことばかりなんですけど……」
「当然です。レベル14のFランク探索者が、浅層のボスであるギガント・ゴブリンをソロで撃破したのですから。しかも、ギリギリの攻防の末に魅せたあの一撃……世界中の探索者や視聴者が熱狂しないはずがありません。さらには未知の魔物を体内に取り込んで姿を変えたというショッキングな背景までついています。メディアが放っておくはずがないでしょう」
白鳥は紅茶のカップをテーブルに静かに置き、向かいのソファへ優雅に腰掛けた。タブレット端末を開き、慣れた手つきで画面を操作していく。
「ですが、浮かれている暇はありません。あなたの目的は、世間のチヤホヤを受けることではなく、あくまでダンジョン最深部へ到達し『男の身体を取り戻す』ことなのですから」
「……わかってます。でも、急に世の中の対応が変わりすぎて、頭が追いつかなくて。それに……」
俺は自分の右腕をさすりながら、静かに視線を落とした。
昨日のボス戦。一撃で倒せたはずの力がありながら、加減を恐れて魔力を絞りすぎ、ボスの巨腕による一撃を受けて吹き飛ばされた感覚が、まだ腕に残っていた。
「……昨日のボス戦、俺、全然ダメでした。『核』の魔力が大きすぎて、力を込めすぎればダンジョンを壊しちゃうし、抑えようとすれば攻撃を防ぎきれなくて死にそうになる。……自分自身の身体なのに、全然コントロールできてないんです」
自分の内側にある膨大なエネルギーと、華奢で小さな身体とのギャップ。そして何より「男としての戦闘感覚」と「今の身体のスペック」の不一致。
ただ圧倒的なパワーを手に入れただけでは、深層など到底目指せないという厳しい現実を、俺は昨日の死闘で痛感していたのだった。
白鳥は俺の言葉を静かに聞き終えると、メガネのフチをすっと指先で押し上げ、頼もしい笑みを浮かべた。
「自らの課題を正確に把握できているのは素晴らしいことです、レンさん。そのための私であり、ダンジョン庁のサポートです。あなたは一人で全てを抱え込む必要はありません」
「サポート……ですか?」
「ええ。あなたには圧倒的な出力がありますが、それを繊細に制御する技術と、中層以降の過酷な環境に対する知識や応用力がまだ圧倒的に不足しています。中層からは出現する魔物の質も数も一段階上がり、環境被害――毒や極寒、灼熱といった特殊なフィールド効果への対策も必須となってきます」
白鳥はタブレットの画面を俺に向けて提示した。そこには、一つの緻密な企画書のようなデータが表示されている。
「そこで提案です。次の『中層初進出配信』に先立ち、他の中堅・大手配信者との『コラボ配信』を実施しようと考えています」
「えっ……!? コラボ……!?」
思いがけない単語に、俺は思わず素頓狂な声を上げた。
一人で静かにダンジョンに入り、必死にレベルを上げるだけだと思っていただけに、他人と一緒にダンジョンに入るという発想は頭になかったのだ。
「なぜコラボなんですか? 俺、人と話すのあんまり得意じゃないし……ましてや他の配信者なんて、余計に緊張するんじゃ……」
「理由は明確に二つあります。第一に、中層の探索ルールや実践的なパーティ連携、魔力制御のノウハウを、経験豊富な上位探索者から現場で学ぶためです。あなた一人で悩みながら進むよりも、確かな実績を持つパートナーから直接学ぶ方が遥かに効率的です」
「うぐっ……確かに、それはそうかもしれませんけど……」
「そして第二に――現在、ネット上ではあなたに対する『嫉妬』や『ヤラセ・捏造疑惑』の声も少なからず上がっています。一過性のバズりだと見下す大手探索者や、売名目的で無理に近づこうとする怪しい人物も増えてきました。実績のあるクリーンで優秀なパートナーと公式にコラボすることで、そうした雑音を完全に排除し、あなたの立場を盤石にする狙いがあります」
白鳥の説明には一切の隙がなかった。すべては俺が安全に、そして着実に深層を目指すための緻密な戦略なのだ。
「……わかりました。白鳥さんがそこまで考えてくれてるなら。で、そのコラボ相手って、どんな人なんですか?」
俺が尋ねると、白鳥は少しだけ思わせぶりに口元を緩め、タブレットの画面を一枚切り替えた。
そこに映し出されたのは、鮮やかな銀髪をツインテールにし、可愛らしくも機能的な軽甲冑に身を包んだ、同世代と思われる一人の少女の写真だった。
「彼女の名前は『氷室リン』。若手ながらすでにCランクに認定されている、今もっとも勢いのある実力派美少女ダンチューバーです。……実は彼女の方から、あなたとのコラボを強く希望する熱烈なオファーが届いているのですよ」
「オファー……? 俺に……?」
「ええ。『あの土壇場で見せた素晴らしい剣技と可憐な姿を間近で見たい! ぜひ一緒に中層を攻略したい!』……とのことです。彼女は的確な立ち回りと高い魔力制御技術で知られており、今のあなたにとって最高の家庭教師となるでしょう」
写真の中の少女――氷室リンは、勝気で眩しいほどの笑顔でカメラに向かってポーズを決めている。
どこか眩しすぎる存在に、俺は自分が男の高校生であることを一瞬忘れ、ドギマギと胸を躍らせてしまうのだった。
こうして、昨夜の激闘の余韻と新たな課題を胸に抱いたまま、俺の中層攻略への道筋が動き出そうとしていた。




