第6話 女子服の買い物と、初めての距離感
「……あの、白鳥さん。本当にこういう店に来なきゃダメだったんですか……?」
地下の厳重な医療研究エリアをあとにした俺たちは、ダンジョン庁が所有する公用車に乗り込み、都心にある大型の高級ショッピングモールへと移動していた。
案内に従って連れてこられたのは、ブランド物のレディース服や、防弾・防魔加工が施された女性探索者専門のアパレルショップだ。ガラス張りの綺麗でおしゃれな店内には、華やかな服や可愛らしい防具がずらりと並んでいる。
ダボダボの男物スウェットのフードを深々と被り、身を小さくしている俺の隣で、白鳥アオイはフッと満足げに眼鏡の奥の瞳を輝かせた。
「何を言っているのですか、神楽木さん。形から入る(ビジュアルを整える)のは配信者として基本中の基本です。それに、現在のあなたはバズりの渦中にあります。いつどこで隠し撮りされるか分からない以上、ダサい格好でウロウロされてはプロデューサーとしての私のプライドに関わります」
「プロデューサーって……俺、アイドルになるわけじゃないんですけど……」
「ダンジョン配信者とは、現代におけるエンターテイナーであり、国民的アイドルと同等の価値を持つのです。さあ、遠慮せずに試着しましょう。あなたのサイズはスキャンデータで完全に把握していますから」
そう言って白鳥は、迷いのない手つきでラックから次々と服を手に取り、俺の腕の中に抱え込ませていく。
黒のミニスカート、フリルがあしらわれた白のブラウス、朱赤の髪に映えそうな濃紺のノースリーブニット、そして薄手の耐魔パーカー……どれもこれも、かつての俺なら一生縁がなかったであろう洗練された女の子の服ばかりだ。
「ちょ、ちょっと待ってください! こんなに!? スカートなんてスースーして落ち着かないし、俺はもっとこう、動きやすい普通のジャージとかで――」
「駄目です。ジャージで配信に出たら『底辺時代の悲壮感が抜けていない』とコメント欄で突っ込まれます。ほら、まずは試着室へ」
「うわっ、押さないでください……っ!!」
強引に試着室のカーテンの中に押し込まれ、カチャリと外から鍵を掛けられるような勢いで閉じ込められてしまった。
「あ、あの……着替えくらい一人でできますからね!?」
「当たり前です。ですが、もし一人で着られない構造の服があれば遠慮なく呼んでください。サイズチェックも兼ねて私がお手伝いしますので」
「絶対に呼びません!!」
カーテン越しに白鳥のクスクスという笑い声が聞こえてくる。
試着室の壁一面にある大きな鏡の前に立ち、俺は抱え込んだ服を見つめながら深いため息をついた。
(本当に……俺、女の服を着るのか……?)
嫌悪感がないと言えば嘘になる。自分は男だという意識が強い分、女の子の服に袖を通すこと自体に強い抵抗があった。だが、ここで突っぱねて配信やダンジョン攻略に支障が出るのも困る。すべてはレベルを上げ、ダンジョンの最深部へ行って「男の身体を取り戻す」ためだ。
「……割り切れ。これはただの『装備』だ。戦闘用の防具だと思えばいい……!」
自分に言い聞かせるように呟き、俺はスウェットを脱ぎ捨てた。
鏡の中に映る自分の肌は、透き通るように白く、無駄な肉が一切ない華奢なラインを描いている。胸の膨らみに目を背けつつ、渡された下着とブラウス、そして黒のフレアミニスカートへと着替えていく。
「な、なんだこれ……脚が……丸出しじゃないか……っ!?」
スカートを穿いた瞬間、太ももを撫でる冷たい空気に背筋が跳ね上がった。スースーして恐ろしいほど落ち着かない。おまけに腰回りが細すぎて、男物のベルトなど何の役にも立たない構造をしている。
悪戦苦闘しながらブラウスのボタンを留め、鏡の前に立つ。
「…………っ」
そこにいたのは、腰まで伸びる朱赤の髪と琥ラピス色の瞳を持つ、息を呑むほど美しい一人の少女だった。白のブラウスと黒のミニスカートというシンプルな装いだが、それがかえって彼女――俺の圧倒的な容姿を引き立てている。
(自分で自分の顔に見とれてどうするんだよ……バカか俺は……!)
顔が真っ赤になるのを感じながら、おそるおそる試着室のカーテンを少しだけ開けた。
「あ……あの……白鳥さん……着替えましたけど……」
外で待っていた白鳥が振り返る。
その瞬間、白鳥は固まった。眼鏡の奥の瞳が大きく見開かれ、息を呑む音が静かな試着室前に響く。
「……白鳥さん? やっぱり変ですか……? 似合ってないなら着替えますけど――」
「――素晴らしい」
白鳥がツカツカと足早に歩み寄ってくると、俺の肩を両手でガシッと掴んだ。距離が近い。顔と顔が目鼻の先ほどの距離になり、彼女の甘い香水と知的な眼鏡の奥の真剣な眼差しが迫ってくる。
「ひっ……!? な、なんですか急に……!?」
「想像以上です、神楽木さん……! いえ、レンちゃん! この圧倒的な可憐さ、そして朱赤の髪とのコントラスト! これなら配信の同接50万人も夢ではありません……!」
「れ、レンちゃんって呼ぶな! 距離が近い、近いですって白鳥さんっ!!」
精神は16歳の男子高校生である俺にとって、20代半ばの大人の綺麗なお姉さんに至近距離で詰め寄られるのは耐え難い毒だった。ドクドクと心臓が破裂しそうなほど跳ね上がり、パニックになって白鳥の胸を押し返そうとする。
だが、押し返そうとした手が――白鳥の柔らかい胸元に触れてしまった。
「あ」
「……あら?」
「……っっっっっ!??!?!?」
自分の手が触れた感触を脳が理解した瞬間、俺の頭の導火線が爆発した。
「ご、ご、ごめんなさいぃぃぃぃっ!! 故意じゃないです! 事故です!! 許してくださいっ!!」
顔をリンゴのように真っ赤にして、試着室の奥へと跳び退さがる。床に座り込み、頭を抱えて震える俺を見て、白鳥は一瞬だけ呆気にとられたような顔をした後、くすりと楽しそうに微笑んだ。
「ふふ、そんなに慌てなくても減るものではありませんよ。それに……今のあなたは可愛らしい女の子なのですから、そう気になさる必要はありません」
「俺の精神は男なんです!! 減るとか減らないとかそういう問題じゃないです!!」
「はいはい、そうでしたね。……ですが、その『精神は男なのに、身体と状況に振り回されて真っ赤になっているギャップ』……それこそが、あなたの最大の武器になりそうです」
「武器にするな!!」
白鳥は手帳を取り出すと、何やら楽しそうにペンを走らせていた。
◇
その後、耐魔加工が施された専用の探索者ウェアや靴、さらには配信用の最新型超小型ドローンカメラなど、必要なものをすべて買い揃えた俺たちは、ダンジョン庁が用意してくれた都心の高層タワーマンションの一室へと移動した。
セキュリティは最高峰。防音設備も完備され、外部からの覗き見や特定を防ぐ完璧な環境だ。
広々としたリビングのソファに深く腰掛け、俺はぐったりと天井を見上げた。男ものの服から、買い揃えた動きやすい耐魔パーカーとショートパンツ姿に着替えている。
「はぁ……服を選ぶだけで、ダンジョンでゴブリンと戦うより疲れた……」
「お疲れ様でした、神楽木さん。ですが、これで準備はすべて整いました」
白鳥が温かい紅茶を淹れて、テーブルの上に置いてくれた。自分も向かいのソファに腰掛け、タブレットを開く。
「明日の夜20時。あなたの復帰&本格攻略開始となるライブ配信を執り行います」
「明日の夜……」
「ええ。すでにダンジョン庁の公式SNSおよびあなたのチャンネルで『明日20時、重大発表および浅層第二階層攻略配信』の告知を出しました」
白鳥が提示した画面を見ると、告知を出してからわずか一時間で、Twitter(現X)のトレンド1位が『#神楽木レン_復帰配信』で埋め尽くされていた。
『ついにあの赤髪美少女が帰ってくる!!』
『TSの真相は!? あの黒いモンスターは何だったのか!?』
『同接どれくらい行くかな……伝説の始まりか?』
ネットの海は、明日への期待と熱狂で狂ったように盛り上がっている。
「……すごいことになってるな。本当に、引き返せないんだな」
自分の手元を見つめる。
華奢で、白く、繊細な少女の手。だが、この手で武器を握り、ダンジョンを攻略し、レベルを上げていかなければならない。
「怖くはありませんか?」
白鳥が静かな声で尋ねてきた。そこには、プロデューサーとしてではなく、一人の人間として俺を案じる温かさがあった。
俺はゆっくりと手を握り締め、力強く頷いた。
「……怖いですよ。こんな体にされて、世界中から見世物みたいにされて、怖くないわけがない。……でも、俺には目標ができましたから」
男の身体を取り戻す。
両親と妹を失い、自分の存在すら奪われかけた俺が、最後に掴み取った『自分の本当の姿を取り戻す』という譲れない意志。
「絶対に強くなって、ダンジョンの最深部に行って……男に戻って見せます。そのためなら、配信でも何でも利用してやりますよ」
俺の言葉を聞き、白鳥は満足そうに口元を緩めた。
「頼もしいお言葉です、神楽木さん。……いいえ、配信上のあなたのお名前は『レン』。世界を魅了する、最凶にして最可憐なダンジョン配信者の誕生です」
窓の外には、東京の眩い夜景が広がっていた。
大狂乱の夜が明ければ、いよいよ俺の「無双配信」が始まる。
性別を奪われた元底辺探索者の、壮大な反撃の火蓋が落とされようとしていた。




