第23話 第四の刺客――静寂の檻
「……やっぱり、変だ」
三人の刺客との戦闘を終え、崩落した岩盤を避けながら来た道を戻っていた俺は、先ほどから何度も胸元へ手を当てていた。
戦闘直後なのだから、体内に残った魔力がまだ昂っているだけなのかもしれない。けれど、それにしては妙だった。胸の奥に宿る朱赤の核が、脈打つような熱を発し続けている。それはこれまで感じたことのある魔力の高揚とは明らかに異なり、まるで核そのものが、俺の意思とは無関係に何かを警戒しているような感覚だった。
「レンちゃん……さっきからずっと胸を押さえてるけど、本当に大丈夫?」
隣を歩くリンが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「大丈夫。痛みがあるわけじゃないんだけど……何かがおかしいんだ」
「何かって?」
「それが分からない」
俺がそう答えると、リンも周囲へ視線を向けた。
さっきまで三人の刺客と激しい戦闘を繰り広げていた岩窟は、今では不気味なほど静まり返っている。遠くから聞こえていた魔物の鳴き声もなく、崩れた岩の隙間から落ちる水滴の音だけが、妙に鮮明に耳へ届いていた。
「……静かすぎない?」
リンの言葉に、俺も足を止めた。
「そうだな」
何かがおかしい。
そう思った瞬間だった。
足元で、淡い紫色の光が灯った。
「……え?」
リンが小さく声を漏らす。
俺たちの立っている岩肌に、今まで存在していなかった細い線が浮かび上がっていた。一本の線が伸び、その先で別の線と繋がり、さらに周囲へ広がっていく。それは瞬く間に俺たちを取り囲む巨大な魔法陣へと変化していった。
「リン、下がれ!」
咄嗟に腕を伸ばした瞬間、魔法陣が強く発光する。
ズンッ!!
空気そのものが一気に重くなった。
「っ……!」
身体が沈む。
何かに押し潰されているわけではない。それなのに、まるで全身へ見えない重りを取り付けられたように身体が重くなり、俺は思わず片膝をついた。
「レンちゃん!」
「大丈夫……!」
俺は歯を食いしばりながら立ち上がった。
その直後、さらに異変が起こった。
体内へ流していた魔力が、途中で途切れた。
「……なに?」
雷電導法を使おうとしたわけじゃない。ただ、身体へ残っている魔力の状態を確認するために、ほんの少しだけ循環させようとしただけだった。
それなのに、魔力が神経へ届く前に霧散してしまう。
「まさか……」
俺はもう一度試した。
結果は同じだった。
「魔力が……通らない」
リンもすぐに異常を察したらしく、氷結レイピアを握り直して魔力を込めようとする。しかし、レイピアの周囲に生まれたはずの冷気はほんの一瞬で消え、白い霜さえ残らなかった。
「嘘……私も使えない」
「魔力そのものを消してるんじゃない。使おうとした瞬間に、何かに打ち消されてる」
俺は足元の魔法陣を睨みつけた。
ただの妨害魔法ではない。
この術式は、俺たちの魔力そのものへ干渉している。
「だったら、壊せばいいよね!」
リンが一歩前へ出ると、レイピアを魔法陣へ突き立てた。
ガキィンッ!!
硬質な音が響き、刃が弾き返される。
「きゃっ!」
反動でリンの身体が後ろへ流れ、俺は咄嗟にその肩を支えた。
「大丈夫か?」
「うん……でも、普通の魔法陣じゃないみたい」
「ああ」
そのときだった。
「――その通りだ」
聞き覚えのない声が、岩窟の奥から響いた。
俺とリンは同時に振り返った。
暗闇の向こう側。
さっきまで誰もいなかったはずの岩場に、一人の男が立っていた。
黒い外套をまとい、顔の半分を無機質な仮面で隠している。先ほど襲ってきた三人と同じ組織に属しているのは間違いないだろうが、その男だけは武器らしいものを手にしていなかった。
代わりに握られているのは、先端へ紫色の魔石を埋め込んだ細身の杖だった。
「お前が……四人目か」
俺が短剣を構えると、男は否定も肯定もせず、ただ静かにこちらへ視線を向けた。
「正確には、四人目ではない。私は彼らとは役割が違う」
「役割?」
「彼らは、お前たちをこの場所へ誘導し、足止めするための駒だ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が冷たくなった。
「……最初から、ここへ誘い込むつもりだったのか」
「そうだ」
男はあっさりと認めた。
「通信が途絶える場所を選び、外部からの干渉を断ち、そのうえでお前たちを消耗させる。ここまでの流れはすべて予定通りだ」
リンがレイピアを握る手へ力を込める。
「じゃあ、あの三人も……」
「必要な役割を果たしただけだ」
淡々とした声だった。
その言い方が、妙に腹立たしかった。
仲間を道具としか考えていない。
「だったら、何が目的なんだ」
俺が問いかけると、男の視線がゆっくりと俺の胸元へ移った。
「それを聞く必要があるか?」
「……!」
嫌な予感がした。
男は杖を軽く持ち上げる。
「お前の胸にあるものだ」
魔法陣が再び輝いた。
その瞬間、胸の奥へ鋭い痛みが走った。
「ぐっ……!」
まるで心臓を内側から握り潰されたような感覚に、俺は思わず胸元を押さえる。
「レンちゃん!」
リンが駆け寄ろうとする。
「来るな!」
叫んだ。
理由は分からない。
ただ、今リンが俺へ近づくのは危険だと直感した。
男はそんな俺を見ながら、静かに口を開く。
「ようやく反応したか」
「……何をした」
「何もしていない。正確には、術式がお前の核へ干渉しているだけだ」
「核……」
その言葉を聞いた瞬間、俺の背筋を冷たいものが走った。
こいつらは知っている。
俺の胸にある朱赤の核が何なのかを。
「その核は、通常の魔物が持つ魔石とは性質が違う。魔力を蓄えているだけではなく、お前の心臓と魂の回路へ深く融合し、現在の肉体そのものを維持している」
男の説明を聞きながら、俺は短剣を握り直した。
「……どうして、そこまで知ってる」
「調べたからだ」
あまりにも簡単な答えだった。
「お前が変異した場所も、その後に何が起きたのかも、我々は観察していた。お前がどのように魔力を使い、どのように身体を変化させ、そして最近になって急激に力を伸ばしたこともな」
背中に嫌な汗が流れる。
俺たちが何も知らない間に、ずっと見られていた。
それだけじゃない。
俺がここ数週間で身につけた戦い方まで、こいつらは把握している可能性がある。
「……じゃあ、俺を殺すつもりはないのか?」
「その必要はない」
男は首を横に振った。
「我々が欲しいのは、お前ではない」
杖の先端が、俺の胸へ向けられる。
「その核だ」
リンが俺の前へ出た。
「そんなの、絶対に渡さない!」
「白銀の少女。君に拒否権はない」
「だったら、力ずくでも止める!」
リンがレイピアを構える。
魔力は使えない。
それでも、その目には怯えがなかった。
俺はその背中を見つめた。
十五話のときとは逆だった。
あのときは、俺がリンの前へ立った。
今度はリンが俺の前に立っている。
「……リン」
「なに?」
「無茶するなよ」
「レンちゃんこそ」
リンは振り返らずに答えた。
「今度は私が守るから」
胸の奥が熱くなる。
こんな状況なのに、少しだけ笑いそうになった。
「……頼む」
「うん!」
その瞬間、男が杖を掲げた。
魔法陣を構成していた紫色の光が一斉に強まり、周囲の空気が大きく歪んでいく。
「では、始めよう」
胸の奥にある朱赤の核が、強く脈動した。
一度。
二度。
その鼓動に合わせるように、魔法陣の光が俺の身体へ絡みついてくる。
「ぐあっ……!」
膝が落ちる。
リンが振り返り、俺へ手を伸ばした。
「レンちゃん!」
俺はその手を掴んだ。
離さない。
何をされるのかは分からない。
この先どうなるのかも分からない。
それでも、ここで終わるつもりはなかった。
俺には、まだ叶えたいことがある。
男に戻る。
そのために、ここまで来た。
「……まだ、終わってない」
震える声で呟く。
胸の奥で、朱赤の核が再び脈打った。
その瞬間、ほんのわずかに。
魔導阻害陣の中へ、紅い光が走った。




