幕間 蠢く不穏、闇の底で
都心の喧騒から遠く離れた地下深く――一般の探索者はおろか、ダンジョン庁の高度な監視システムすら届かない極秘の暗室。
無機質なコンクリート壁に囲まれた広い室内には、壁一面を埋め尽くすように並べられた大型モニター群が青白い光を放っていた。画面に映し出されているのは、新宿探索者街の防犯カメラの映像、そしてダンジョン庁の内部ネットワークから不法に切り出された『中層合同アタック』の参加者リスト、警備配置、そしてリアルタイムの魔力波形データだった。
「……ふむ。『神代魔導工坊』か。白鳥の女狐め、着々と牙を研がせているようだな」
モニターの前、影に覆われた革張りの高級ソファから、低く掠れた男の声が漏れ出る。
暗がりの中に佇むその人物の素顔は、逆光と深々と被ったフードによって判別できない。ただ、手にしたグラスを傾ける不気味な指つきと、暗闇の中で獲物をねめ回す冷酷な眼光だけが浮き彫りになっていた。
メインモニターの画面の中では、新しい耐魔スーツと二本の短剣を受け取り、真剣な表情で刃を見つめる朱赤の髪の少女――神楽木レンの姿が拡大されている。
「……前回の『事故』は、こちらの想定を超えた『核』の突発的な暴走によって不手際に終わった。だが……おかげで確信が得られたよ。あの少女の体内に眠る朱赤の魔力核――あれは我々の“大願”を成就させるための、最後のピースだ」
部屋の四隅、漆黒の影が濃く溜まる場所から、別の影が静かに揺らめくように現れた。
「……報告いたします。被検体『神楽木レン』は、Aランク探索者・神代ライカの指導を受け、この二週間で『雷電導法』の基礎応用を完全に体得した模様。前回の戦闘データは最早あてになりません」
声の主は、光を吸収する特殊な黒織りのステルスウェアで全身を包んだ男だった。
背には異様な形状を描く漆黒の双刃を背負い、呼吸音すら完全に殺している。露出した皮膚に刻まれた浅黒い刺青と無数の不気味な傷痕が、彼が幾度となく暗闘をくぐり抜けてきた本物の殺し屋であることを雄弁に物語っていた。
「ライカの『雷電導法』か。あの女は相変わらず余計な種を蒔いてくれる。だが……いくら突貫工事で技術を叩き込んだところで、所詮は一度挫折を味わったばかりの女子高生に過ぎん。本物の『殺し合い』の場において、その甘さが致命的な隙になることを教えてやればいいだけの話だ」
ソファの人物は、静かにグラスをサイドテーブルへと置いた。カツン、と硬質で乾いた音が静寂の室内に冷たく響く。
「刺客の準備は整っているのだろうな?」
「御意。私を含め、裏社会で腕を鳴らしたBランク相当の潜入・暗殺特化型を四名配置いたしました。さらに……あのお方から直接拝領した『特殊な魔導阻害陣』の展開準備も完了しております」
「よろしい。今回の『中層合同アタック』は、参加するパーティの数も多く、中層全体が混戦状態に陥る。混乱に乗じ、奴らを隔離しろ」
男の指先が、テーブル上のタッチパネルをなぞる。
モニター画面が切り替わり、ダンジョン中層の複雑に入り組んだ立体マップが表示された。その特定の区画が、不気味な赤色で明滅を始める。
「中層第14エリア……通称『静寂の回廊』。高密度の魔導ノイズが自然発生し、外部からの無線通信およびライブ配信の映像データが完全に遮断されるブラインドスポットだ。他のパーティから巧妙に切り離し、あの少女たちをそこへ誘い込め」
「はっ。配信も、ダンジョン庁の救助部隊も届かない絶望の闇の中で、あのか弱き美少女たちがどのような絶望の表情を浮かべるのか……今から実に楽しみでございます」
黒装束の男が、歪んだ笑みを浮かべて深く首を垂れた。
「勘違いするなよ。目的はあくまで『核』の無傷での回収だ。あの少女は生きたまま捕らえろ。……もっとも、回収作業に支障が出るほど抵抗するというのなら、四肢の一本や二本、切り落としても構わんがね」
「承知いたしました。あの方のご意向通り、完璧に遂行してみせます」
黒装束の男の身体が、まるで空間の歪みに吸い込まれるかのように、すっと闇の中へ消えていく。
残された人物は、一人静かにモニターを見つめ続けていた。
画面の中では、装備の新調を終えたレンとリンが、夕暮れの街並みを背に、お互いに信頼を寄せるような温かな笑顔を交わし合っている。
「……可憐で美しく、そして愚かな絆だ。だが、ダンジョンの闇は、そんな生ぬるい感情ごとすべてを等しく呑み込む」
人物は静かに嘲笑うと、手元のスイッチを押し、壁一面のモニターを一斉にオフにした。
青白い光が瞬時に消え去り、広大な地下室は完全な静寂と、息も詰まるような漆黒の闇へと包み込まれた。
「神楽木レン……お前のその命と能力、我々の“大願”のために捧げてもらうぞ」
暗闇の中にぽつりと落ちたその言葉は、誰に届くこともなく、冷たいコンクリートの壁に吸い込まれて消えていった。
一ヶ月という長い準備期間を経て、いよいよすべての舞台は整った。
光の当たる場所で絆を深め、確かな強さを手に入れたレンとリン。
そして、闇の底で静かに爪を研ぎ、二人を底なしの罠へと引きずり込もうとする謎の勢力。
運命の『中層合同アタック』当日が、刻一刻と近づいていた。




