第18話 成果の兆しと、忍び寄る新たな影
た。
「ハァ……ハァ……っ、くそっ……!」
都内郊外の地下深くに存在する、ダンジョン庁直属『特別訓練施設』。
無機質な強化特殊合金の壁と高濃度の魔導障壁に囲まれた広大な擬似戦闘フィールドの中央で、俺は全身から激しい汗を噴き出させながら、荒い呼吸を繰り返していた。
額から落ちた汗のしずくが床に触れた瞬間、ピチッと小さな蒸発音を立てる。
着慣れない白とライトブルーの耐魔トレーニングウェアは、自分自身の体温と発せられる熱気ですっかり肌に張り付いていた。
胸の奥に眠る『朱赤の核』からは、相変わらず激しい熱量が絶え間なく溢れ出している。だが、二週間前の「ただ暴走して身体を内側から焼き焦がすような感覚」とは明らかに異なっていた。
俺は全神経を研ぎ澄まし、荒い呼吸の合間にそっと両目を閉じる。
周囲の雑音を遮断し、自身の体内に流れる魔力回路だけに意識を集中させた。
「いい顔になってきたじゃない、レンちゃん! でも、集中を切らしたら一瞬で肉塊に変えられるよ!」
正面から投げかけられる、高らかで楽しげな声。
そこに立っているのは、本業の探索者として数々の死線をくぐり抜けてきたAランク探索者――『迅雷』の神代ライカだ。
彼女の小柄な身体の周りには、バリバリと空間を不規則に引き裂く紫色の電撃が激しくスパークしている。その眼光は猛獣のように鋭く、こちらの一挙一動を逃さず観察していた。
「いきますよ、ライカさん……ッ!」
俺が短剣の柄を強く握り直すと同時に、ライカの姿が一瞬で視界から消失した。
――速い。目視追跡は不可能。
空気が急激に圧縮され、直後に「パンッ!」と鼓膜を揺さぶる放電音が響き渡る。
以前の俺なら、ここでパニックに陥り、どこから攻撃が来るのかすら分からずに朱赤の魔力を無駄に爆発させ、自滅気味に弾き飛ばされていたはずだ。
だが、今の俺は違った。
(目を開けて追おうとするな……『視覚』を捨てろ。『感応』しろ……!)
ライカの超高速移動によって生じる微小な空気の揺れ、そして肌の表面をピリピリと刺すような『紫電の魔力波形』。それだけに意識を研ぎ澄ます。
左後方――いや、上空からの急降下。
(――今だ!!)
胸の『核』から引き出した朱赤の魔力。それを爆発的な火柱として外部へ放出するのではなく、自身の末端神経、そして全身の筋肉繊維の隙間へと、まるで静流水のように滑らかに浸透させていく。
ライカから叩き込まれた『雷電導法』の応用技術――体内魔力による神経伝達速度の極限強化だ。
ガンッ!
訓練場の床を砕く勢いで踏み込んだ瞬間、俺の視界の景色が伸びるように引き伸ばされた。
超加速の世界。
旋風となって振り下ろされたライカの右脚の蹴りが、俺の朱赤の残像だけを虚しく切り裂いていく。
「なっ……!?」
ライカの綺麗な金の瞳が、驚愕によって大きく見開かれるのが見えた。
そのわずかな硬直の隙を、俺が見逃すはずもない。
「はあああぁっ!」
体を地を這うほどの低姿勢へと滑り込ませ、超加速の慣性をそのまま殺さずにライカの懐深くに侵入する。
右手に握り締めた最新型の耐魔短剣に、引き締まった朱赤の粒子を極薄の刃のように纏わせ――その喉元へ向けて一閃。
ピタリ。
朱赤の光を放つ短剣の刃先が、ライカの首元の皮膚、わずか数ミリの手前で完璧な精密さをもって停止した。
「………………」
静寂が、広大な訓練エリアを包み込む。
数秒の滞留の後、ライカは深々と息を吐き出すと、手にしていた二本の小太刀の力を抜き、両手を挙げて降参のポーズを取ってみせた。
「……参った! 私の完全な負け! やられたよ」
「ハァッ……ハァ……っ、やった……届い、た……!」
その言葉を聞いた瞬間、全身を極限まで緊張させていた緊張の糸がぶつりと切れ、俺はその場にドサリと膝から崩れ落ちた。
短剣を握る手がガクガクと震え、全身の筋肉が歓喜と疲労で熱く叫んでいる。
「信じられないわね……」
ライカは呆れたような、それでいて心の底から誇らしそうな表情を浮かべながら、倒れ込む俺の前に屈み込み、ガシガシと雑に俺の髪を撫で回した。
「たった二週間で、私の速度に見切りのタイミングを合わせてくるなんてさ。いくら『核』の魔力量が規格外でも、それを身体強化として『制御』するセンスがなきゃ絶対に不可能な芸当だよ。合格! もう自分の力に振り回されて自滅することはないわ」
「はは……ありがとうございます、ライカさん……。毎日、死ぬ気でしがみついた甲斐がありました……」
「レンちゃん! すごい、凄すぎだよーっ!」
視界の端から、ツインテールを激しく揺らした少女が弾丸のような勢いで飛び出してきた。
氷室リンだ。彼女は手に持っていた冷えたスポーツドリンクとタオルを俺に押し付けるように渡すと、自分のことのように目を輝かせてはしゃいでいた。
「ライカさんに一発叩き込むなんて! 私、後ろで見てて鳥肌立っちゃった!」
「リンちゃん……ありがと。でも、リンちゃんこそさっきの訓練、レイピアの連撃のスピードと精度、最初と比べて見違えるようだったよ」
「ふふん、当然でしょ! レンちゃんだけに格好いいところ持って行かせるわけにはいかないからね。私も絶対に足を引っ張りたくないし……何より、二人で最強のペアになるって決めたんだから!」
リンは胸を張り、八重歯を覗かせてニッと笑ってみせた。
その細身の背中には、冷気をうっすらと纏った白銀のレイピアが誇らしげに収められている。
彼女もまた、この二週間、俺の知らないところで血の滲むような反復練習を繰り返していたのだ。手に作られた新しい大量のマメが、彼女の努力の凄まじさを物語っていた。
お互いに顔を見合わせ、満足感に満ちた笑みを交わし合う。
どん底の敗北と挫折から始まった復帰への道のり。だが今、俺たちの手には確かな強さと、互いへの揺るぎない信頼が芽生えつつあった。
――しかし。
その充実感に満ちた温かな空気は、重厚な防音扉が開き、白鳥が極めて深刻な面持ちで歩み寄ってきたことで、一瞬にして冷や水を浴びせられたように吹き飛んだ。
「お二人とも、目覚ましい成長ですね。……ですが、手放しで喜んでばかりもいられない事態が発生しました」
白鳥の硬い声に、周囲の温度が何度か下がったような錯覚を覚える。
彼女は手にしていた透明な液晶タブレットを操作し、俺たち三人の前にホログラム映像を投影した。
そこに浮かび上がったのは、都内各地に存在するダンジョン構造の立体マップと、そこに表示された不気味に明滅する真紅のアラート波形だった。
「これは……?」
俺が尋ねると、白鳥はレンズの奥の瞳を険しく光らせながら説明を始めた。
「ここ数日、都内の中層から下層付近にかけて、ダンジョンの活性化数値が異常な上昇を見せています。最初はただの季節性の魔力周期かと思われましたが……解析の結果、特定の周波数の魔力波が、外部から人工的にダンジョン内へ照射されていることが判明しました」
「人工的……? それって、どういうことだい?」
ライカがそれまでの冗談めかした態度を完全に消し去り、鋭い探索者の目つきでホログラムを覗き込む。
「言葉通りの意味です。何者かが意図的にダンジョン内の魔物を刺激し、暴走――つまり『人工的なスタンピード』を引き起こそうと画策しています。……そして、前回のレンさんの配信時のデータを再検証した結果、あの時に乱入してきた深層種『漆黒の獄狼』も、自然発生したものではなく、この組織によって人為的に送り込まれた可能性が極めて高くなりました」
「なっ……! あの化け物を、意図的に……!?」
リンが息を呑み、拳を強く握り締める。
「彼らの狙いは何なんだ? ダンジョンを崩壊させてパニックを起こすことか?」
俺が問いかけると、白鳥は静かに首を振った。そして、その視線をまっすぐに俺へと向けたのだった。
「いいえ。彼らの真のターゲットは……『神楽木レン』、あなた自身です」
「俺……!?」
「ええ。前回の配信で、あなたが危機に瀕した際に解放した『朱赤の魔力核』。あの異常な密度と性質を持ったエネルギー体は、裏社会の非合法な魔導研究機関や、過激派の探索者組織にとって、喉から手が出るほど欲しい『究極の検体』なのです。彼らはあなたの身柄、あるいは最悪の場合、その胸から魔力核そのものを摘出・奪取しようと動き出しています」
冷たい沈黙が、広大な地下施設を支配した。
自分の存在そのものが、巨大な悪意の標的にされているという事実。
背筋を冷たい汗が伝い落ちる。せっかく掴みかけた強さの感触が、巨大な闇の存在によって塗りつぶされそうになる。
「……上等じゃない」
その重苦しい沈黙を切り裂いたのは、鋭い金属音だった。
リンが腰のレイピアを鞘から数センチだけ引き抜き、青い瞳に激しい闘志の炎を宿して白鳥を睨み据えていた。
「誰が相手だろうと関係ないよ。レンちゃんには指一本触れさせない。前は何もできずに守られるだけだったけど……今の私は違う。レンちゃんを狙う奴らがいるなら、私が全員返り討ちにしてやるんだから!」
「リンちゃん……」
「それにさ」
リンは照れくさそうに鼻の頭をかくと、俺に向かって最高の笑みを向けた。
「レンちゃんだって、もう二週間前のレンちゃんじゃないでしょ?」
その言葉に、俺の胸の奥で燻っていた恐怖が、一瞬で熱い情熱へと描き書き換えられていくのが分かった。
そうだ。俺はもう、過去のトラウマに怯えて守られるだけの弱者じゃない。
この二週間、血を吐くような思いで手に入れたこの力は、大切な仲間と共に戦い、自分たちの未来を切り開くためのものだ。
俺は短剣の柄を強く握り締め、体内の朱赤の魔力を穏やかに、しかし力強く刀身へと走らせた。
「……そうだね。逃げるつもりはないよ。狙ってくるなら、正面から叩き潰すだけだ」
「ふふ、二人とも良い面構えになったじゃない」
ライカが満足そうに口端を上げ、二本の小太刀をシャキンと同時に鞘へと納めた。
「白鳥、復帰戦の『中層合同アタック』は予定通り決行でしょ?」
「ええ、もちろんです。敵の目的が何であれ、公の場である合同アタックの最中に仕掛けてくる可能性が高い。ダンジョン庁としても、これを機に一網打尽にする構えです」
一ヶ月後に迫る『中層合同アタック』。
それは単なるリハビリのための復帰戦などではなく、俺たちを狙う謎の組織との、命を懸けた真の戦いの幕開けとなる。
「よし、決まりだね! 残り二週間、さらにしごいてあげるから覚悟しなさい、二人とも!」
「「はいっ!!」」
朱赤の炎、白銀の氷、そして紫電の雷。
三つの異なる力が地下施設で激しく交錯し、迫り来る巨大な陰謀を打ち破るための更なる特訓が、再び熱を帯びて開始されるのだった。




