第7話 魔女とハデス
「ミネルバ……ん~、聞いたことあるような気がするんだけどなぁ」
幾億人という罪人が地獄にやってきた。それらすべてを把握し切れてはいないものの、生前の人生が面白かったり目を引くような魂の名前くらいなら覚えている。
その中で、ミネルバという名前が出たような気がする。
そういってハデスは首を右に、左にと交互に傾げる。
閻魔は二時間後にはまた裁判にもどるからと、酒ではなく濃い薬草茶をすすりつつ、指先を動かして宙に魔女がいる場所を投影した。
それを見て、ハデスがおやと片眉を上げる。
「彼女、どっかで見たことあるなぁ……」
呟きつつ、目を細めて映像に顔を近づける。
そうして再び首を左右にカクン、コクンと傾けるハデスを見て閻魔は立ち上がった。
「ん?」
「直接会って話してみればいい。何か思い出すかもしれんだろ」
「いいのかい? 西獄の僕が東獄にいる者と直接話すのは良くないんじゃ?」
「これまで勝手にうちに来ては獄卒共と宴会を開いておいて、今更だろうが」
「え、知ってたの?」
「気づかないわけがない」
「いやぁ、東獄の地酒はうちのワインともまた違って美味しいからねぇ」
悪びれもせず笑うハデスを連れ、閻魔は魔女のいる場所へと空間をつなげ、一瞬で移動する。
すると突如耳に飛び込んできたのはいくつもの悲鳴と笑い声。
悲鳴はいつも通り、亡者が苦痛のあまり上げたものだ。
では笑い声は?
「あはは、すごい。こんな中途半端でも再生するのね」
「ほっほう。なかなか興味深いな。はっはっは、魔女。いい仕事だ」
「うふふふふ、こういうのはね、検証を繰り返すのが大切なのよ」
パチンッと高い位置で魔女と獄卒が手を打ち合わせる。
閻魔は額を押さえた。なぜ、こんなにも魔女と獄卒が親しくしているのか。
「うはは、何やってんの。楽しそう」
ステッキを回しながら、るんるんとスキップするようにハデスは二人に近づく。
ようやく二人はハデスと閻魔にづき、獄卒はサッと身を引いて頭を下げ、魔女はきょとんと目を瞬かせた。
「なんで、あなた、確か……ハデス様? がここにいるの?」
「あれ? やっぱり知り合いだったっけ?」
ハデスは魔女の前に立ち、自分の顎に手を当ててマジマジと魔女の顔を覗き込む。それからふむと首を左右に振って、ぽんっと手を叩いた。
「ああ! 魔女!? あの魔女か! え? 名前、そんな名前だったっけ?」
「どうも。あの魔女のミネルバよ」
白けた顔をする魔女の前で、ハデスはあはははと声を上げて笑う。
自分が全く分からない会話をする二人に、閻魔の眉間に深い溝が現れた。
閻魔からあふれ出す不機嫌な空気に獄卒は頭を下げたまま体を震わせる。
「おい、お前、何をしていた」
閻魔が声をかけると獄卒はいっそう深く頭を下げ、「実験を」と答える。
「実験?」
何の実験だと頭を巡らせた先で、亡者がじりじりと逃げようとしているのを見つけ、一睨みでその場に縫い留める。
「何の実験だ?」
「処罰の範囲の実験よ」
獄卒の代わりに魔女が答えた。閻魔の片眉が上がる。
「範囲?」
「そ。イチモツを切ったら再生するでしょう? だったらどこまで切った時に再生が必要と判断されるのかなって疑問に思って。棹だけとか、玉一個とか」
「うわぁ、怖いこと考えるねぇ、魔女ちゃん」
「まぁ、魔女ですから?」
あははうふふと笑い合う魔女とハデス。獄卒はでかい体をさらに縮こまらせた。
「何を勝手なことを」
「だって暴れまわる相手のイチモツを、必ずしもいい具合にチョッキンできるとは限らないじゃない」
両手でハサミのポーズを取りながら魔女は言う。
背後でハデスが嬉々として亡者を追いかけて、局部を微妙な具合に切り取って再生する様を観察し始めた。
頭が痛い。
怪我も病気もしたことのないはずの閻魔は、一気に疲れを感じ始めた。
「検証の結果、棹半分と玉一個がなくなると再生するみたいよ」
「お、本当だ」
魔女の助言通りにハデスが手袋をした手のまま亡者のイチモツを握りしめ、朗らかな笑みを貼り付けたまま握りつぶす。
屠殺場の牛よりも悲痛な悲鳴が響き渡った。
だがその叫びが終わる頃には、グネグネともぎ取られた陰部が再生し始める。
自分が治める地獄でありながら、奇怪な現象に閻魔は眉間の皺をさらに深くした。
「検証ができたならもういいだろう。魔女、獄卒たちの邪魔をするな」
「はいはい、分かってますって」
そう告げて魔女は放りっぱなしになっていた竹ぼうきを拾い上げる。
「おい、待て」
このままではほうきに乗ってどこかに飛び去られてしまう。閻魔は慌てて魔女を呼び止めた。
案の定、魔女はすでに立てたほうきに足をかけて飛び立とうとしていた。
「なによ」
「お前とハデスの関係を教えろ」
「え~、そっちの人に聞けばいいじゃない。厳密には人じゃないけど」
「あはっ、そんなこと言っちゃう~?」
「言っちゃう行っちゃう~。でも、感謝もしてるのよ、これでも」
「あっは、そんなこと言われると僕、照れちゃうわぁ」
体をくねらせるハデスとあははと笑い合い、魔女はすうっと地面から浮かび上がった。
これ以上話をする気はない。そういうことだろう。
「それじゃ、お仕事頑張ってね、閻魔様」
「お前がさっさとここから去れば仕事がはかどる」
「うーん、それは無理かもね。ばいばい」
手を振り、竹ぼうきに腰かけた魔女が遠ざかっていく。
先端にぶらさがるシャレコウベの空虚な両目の奥の炎が、閻魔を見て申し訳なさそうに小さくなった。「カァ」とまるでカラスのような泣き声が黒い地獄の空の間から聞こえた。
「おい、ハデス」
「ん?」
「あの魔女を知ってたんだな」
今更誤魔化すなと眼光を鋭くする閻魔の前で、ハデスは飄々とした態度を崩さずに唇を尖らせる。
「んー、まぁねぇ。知っていたというか、知り合いというか、契約に乱入した相手というかぁ?」
「契約? お前が?」
ハデスは西の地獄の支配者。一介の人間が交渉できるような相手ではない。
どういった経緯があれば人間と契約を結ぶことになりえるのだ。
「そうだねぇ。もう今は全員地獄に来ちゃってるから、閻魔くんには喋っても許されるでしょ。ミネルバちゃんも僕に聞けって言ったってことは喋ってもいいってことだと思うし」
そう呟いて、ハデスはゆるりと手袋をはめた指の先を虚空へ向けた。
景色が変わる。場所は、閻魔殿。他人の治める界域だというのに自由に力を行使するハデスに呆れる。もっとも、閻魔が西獄に行っても同じことができるだろうが。
「一応、他人に見せるものじゃないとは思ってね」
ハデスは庭が見える渡り廊下に出て、柱に体を預けるようにして腰を下ろす。
視線で座るようにと促され、閻魔も一つ離れた柱の前に胡坐をかいた。
ハデスが手のひらの上にふうっと息を吹きかける。空気が揺らいで、庭の上空に映像が映し出される。
口で説明するよりも、過去を見せた方が早いということか。
閻魔はハデスの鼻すじのとおった端正な横顔から、空へと顔を向けた。




