第6話 地獄めぐり
カカカカと笑うシャレコウベを竹ぼうきの先に取りつけ、ふわりと浮かぶ。
眼下に広がる地獄は今日も安定の阿鼻叫喚の様相。
即興の鼻歌を歌いながら、魔女は黒い雲の間を抜けて高くそびえたつ針山を目指して飛ぶ。
「まったく、こんなにもいきのいい魂をこんなとこで閉じ込めて。さっさと輪廻に戻せばいいのに」
「カカカカ」
「もったいないわよねぇ」
「カカカッ、カッ!」
魔女の竹ぼうきが急降下して、シャレコウベが咳き込むように笑う。
この一ヶ月、厳密に言えば閻魔からの制止を振り切って、自由にだだっ広い地獄の空を飛びまわり始めて三週間、大体の地形は把握できた。
罪の重さや種類で八大地獄に分けられていて、そこからさらに小地獄が乱立している。
昔はもっとシンプルだったようだが、昨今の倫理観の崩壊により地獄も多種多様な広がりを見せているようだ。
その中から、一際悲痛な叫びが聞こえる一角がある。
「あそこは今日も元気ねぇ」
「……カ」
魔女が赤い唇を歪めて笑う一方、生前の性別は男だったらしいシャレコウベが力のない笑いを吐く。
魔女は顔を輝かせてすいっと竹ぼうきの先をそちらへ向ける。
ひっきりなしに聞こえる叫びとすすり泣き。地獄はどこも同じ様相だが、ここは一際激しい。
「やってるやってる」
男性を魅了しそうな満面の笑みを浮かべ、魔女はひらりと竹ぼうきから降りた。ワンテンポ遅れてふわりとワンピースの裾が広がって落ちる。
筋骨隆々とした獄卒が枝切りばさみほどに大きな鉄のハサミを手にして、泣き叫ぶ亡者を追いかけている。
地面を転がり、涙ながらに許しを請う亡者。だが獄卒のハサミが容赦なく亡者の股間へと伸び――
チョキン
「うぎゃああああああ!」
亡者のイチモツがポロリと地面に落ちる。
そして切られた場所はといえば、にじみ出ていた血が止まるやいなや、むくむくと再生し始めた。
それからわずか数秒後にはプランと股間で揺れるイチモツ。
「は、ひぃ、ひっ」
亡者が涙でぐしゃぐしゃの顔を股間に向け、へらりと笑う。
その目の前でシャキンシャキンと開閉されるハサミ。
亡者は再び叫びを上げながら逃げまどい始める。その後を嬉々として追う獄卒。
なんとも血なまぐさい地獄絵図である。
「ふふふ、いい気味」
ここは叫喚地獄の中にある殺殺処。
女性を酔わせて襲った者が送られる場所であり、永遠にイチモツを切って切って切られる。再生するとはいえ、無限に続く地獄、亡者たちは気が狂うことも許されない。
ちょん切られたイチモツは地面をナメクジのようにうごめき、やがて土へと還っていく。
それをほうきの先でつつき、「残念、素材にはならなさそうね」と魔女は呟いた。
それからニカニカと笑いながら亡者を追いかける獄卒の一人を捕まえ、「私もそれやりたい」と言い出した。
獄卒は足を止め、魔女を頭からつま先まで胡散臭げに眺める。その間に亡者は嬉々として逃げていくが、その後を別の獄卒が追いかけ始めた。
自分の獲物を取られた獄卒は不機嫌な顔で、魔女の顔の前でジャキンと血肉のこびりついたハサミを鳴らす。
「これは俺たちの仕事だ。閻魔様に命令されない限り、他の奴にやらせるわけにはいかん」
「やっぱり、そうかぁ。残念」
分かっていたけれど、やっぱり駄目かと肩をすくめる。イチモツを切り放題だなんて最高に面白そうだったのに。
「仕事を邪魔して悪かったわ。お詫びに」
パチン。
魔女が指を鳴らす。
んぎゃっと汚い叫びが聞こえ、林の影から亡者が一人飛び出してきた。
「おお、あんなとこに隠れとったか。いかんな」
「しっかりお願いね」
「言われなくとも」
ジャキン、ジャキン。
獄卒が分厚い唇の間から歪な牙を覗かせてにんまりと笑う。亡者が震えあがって、小便を垂れ流しながら萎えた腰を引きずって逃げ始める。
ジャキン、ジャキン。
獄卒のハサミが軽快な音を立てる。
亡者が喉奥で音にならない悲鳴を上げた。
「うふふ、んん~、言い音」
「……カ」
殺殺処の端に座り、魔女は飽くことなく地獄を眺め続ける。
獄卒から隠れようとする亡者の前に雷を落としたり、落とし穴を作ったりしながら。
一方その頃、閻魔は突然の来訪者に頭を抱えていた。
「ハデス、急に来るなと何度も」
「え、だって、急に時間が空いたからさ。善は急げって言うじゃない? あ、時は金なりってのもあるよね。ほらほら、時間を無駄にしないで」
シルクハットのつばに指先を当て、軟派なウィンクをよこす男。
胸元や袖口には閻魔から見れば邪魔にしか見えないびらびらとしたレースがついていて、ハデスが気障な仕草を決める度に視界で揺れる。
ハデスは長身だが、筋骨隆々とした閻魔と並ぶとほっそりして見える。
あくまでそう見えるだけで、東の地獄を治める閻魔と同格の力を持っている西の地獄の支配者だ。
西の地獄、通称西獄は一切の救済が与えられない。地獄行きが決まった亡者は永遠に苦しむのだ。
その様子を嬉々として眺めるのがハデスである。
「最近の亡者は根性がなくってさぁ。魂がどんどんすり減って消えちゃうんだよね。もったいない」
東獄は肉体を持ったまま苦しむのに対し、西獄は肉体の器を捨てた魂だけが処罰される。
その魂も煉獄を味わっていくうちに摩耗し、疲弊して消え去ってしまうらしい。
「嘆かわしいな」
「そうだよねぇ。僕の楽しみが減っちゃう」
救済もせず楽しむだけに亡者を苦しめるハデスの言葉に、閻魔は眉を寄せるが何も口に出さない。
それぞれの地獄にはルールがある。ハデスはハデスの、閻魔は閻魔の理念に沿って地獄を円滑に運営する。それだけだ。
「んで? なんか変な魂が紛れ込んだって?」
「ああ、西から来た魔女だ。意思もしっかり残っていて、肉体もそのまま。不可思議な術を使う」
「ふーん。それは変だねぇ」
死ぬことで亡者も魂も現世の理から放たれる。それはつまりそのまま地獄の理に縛られるということ。
だというのに魔女は閻魔を恐れることもなければ、自由に地獄を謳歌している。
ということは明らかに亡者ではなく、現世の理も地獄の理からも逸脱した奇妙な存在だ。
「名前は?」
「ミネルバ。ミネルバ・マクシール」
「え、明らかにこっちの領域の名前じゃないの」
「だからお前に問合せをしたんだろうが」
「あ、そっか」
てへっとでも言うように舌を出すハデス。
呆れを過分に含んだため息を吐き、閻魔は視線を司命へと向ける。
司命はふるふると首を振った。
今日予定されている亡者の裁判はまだ数百件ある。ここでハデスの相手をするために閻魔が抜けたら、予定が大幅に遅れてしまう。
「閻魔様ぁ」
情けない顔と声で司命が閻魔を呼ぶ。
「ここで遅れたらこの先二週間ほど残業ですね」
司録が終わった裁判の記録を取りまとめながら呟く。
閻魔も司命も司録も多少無理をしたからといって壊れるような柔な体はしていない。
ただ残業という言葉は呪いにも等しく心を沈まされるだけだ。
裁判を待つ亡者からも口々に、「ひぃ、残業、いやぁ」とか「サビ残、おつ」とか「月二百時間超えてからが本番」などの声が上がる。
一体現世はどんな勤務体制なのか。聞いてみたいが地獄の釜を開くのと同じくらいの覚悟がいるだろう。
「……二時間だけ、抜ける」
「閻魔様!」
「あー、行ってらっしゃいませぇ」
閻魔のため息交じりの台詞に、司命は悲痛な叫びを、司録は落胆交じりの挨拶をそれぞれ口にする。
そんな二人に向かってハデスが「借りてくね~」といいながらヒラヒラと手袋をはめた手を振る。
司命と司録は何も言わずに二人の背中に向かって頭を下げた。




