第18話 魔女の選択
木の幹に体を預けて座る閻魔の足の間で、千代はなぜか横向きで彼の肩口に頭をおしつけられていた。
泣き疲れてぼうっとしている間の、早業だった。
照れる暇もない。
頭を包む大きな手が手慰みに千代の髪を一房取っては、指先に絡めて遊ぶ。さらりと髪が肩の上を流れ落ちる。
「千代。良い名だ」
「今となっては皮肉にしか聞こえないわ」
千年、万年と終わりのないとこしえの年月を表す言葉。子が健やかに長生きするようにという親の願いが込められた名だ。
実際にそんなに長く生きられるはずはない。人の理から足を踏み外さない限り。そう皮肉って笑う千代に、閻魔は至極真面目な顔で問う。
「だがお前は……千代は、未来永劫、限りのない時を生きていくのだろう?」
図星を突かれ、千代は言葉なく閻魔を見上げる。なぜそんなにも確信をもって言うのかと、そう尋ねる前に閻魔は改めて千代の全身を見て「着物が似合う」と呟いた。
頬に集まる熱を振り払うように、千代は首を左右に振る。
「違うのか?」
意味をはかりかねて閻魔は眉を寄せた。
現世に戻ることはないだろうと思っていた。その考えは間違っていたのか。
ここから離れ、二度と戻ってくることはないのかと考えるだけで、閻魔の臓腑に熱い溶岩のような激情が流れ始める。
「私は……ここに」
いたい。
その言葉を飲み込んで千代は体を起こし、座ったまま閻魔と向きあう。
ここにいたい。
それを告げる前に、言わなくてはいけないことがある。
「閻魔様、私の名前を見つけてくれてありがとう」
ずっと探し求めていた。失っていた人間としての証と、愛されていたという過去を。
閻魔は一つ瞬きをして、微かな声でああと答えた。
それ以上の感謝など望まないかのように。
それがあまりにも閻魔らしくて、千代は口元に笑みを浮かべる。
ああ、好きなのだ。このぶっきらぼうでも心に熱を持ったこの人が。
「閻魔様、私は、あなたが好き」
閻魔の両目が見開かれる。
その中に微笑む自分が見える。
「もし、閻魔様が許してくれるなら、私はここに、東の地獄にいたい」
飾らない言葉で届ける。
幾百億年続く孤独の日々を過ごしてきたこの人に送る。
側にいたい。誰よりもそばに。
笑顔のまま、千代は光る雫を両頬からあふれさせた。
「許しなど……いらないだろう、千代は」
熱い手が千代の両頬を包み、無骨な指がこぼれる涙を頬からぬぐい取る。
ぱちりと一つ瞬きをして零れ落ちた雫は、すぐに閻魔の肌に溶けるようにして消えた。
ふっと吐息だけで笑って閻魔が片頬を上げて尋ねた。
「お前こそ、未来永劫をこの地獄で過ごす覚悟はあるか?」
地の底の果てよりも深い瞳が千代の瞳を覗き込む。
千代の覚悟を見定めるように。
千代は反対に閻魔の瞳を鋭い眼差しで見返して言い切る。
「覚悟なんて、とっくの昔に決まってる。未来永劫? 永遠? そんなの、受けて立つわよ。三百年、一人で生きてきた。いつまで自分は孤独に生き続けるのかって、誰もくれない答えを探しながら」
唇が震える。
一度止まったはずの涙は、千代の口から言葉が溢れ出すと共にとめどなく流れてやまない。
「そんな人生より、ここで、この地獄で、好きな人と、そばにいて、笑って、名前を呼び合って生きていけるなら、永遠だってなんだって生きてやる!」
はあっと荒れた息を喉奥から吐き出す。
無意識に閻魔の服を掴んだ両手が震えている。
甘さの欠片もない告白。
こんなはずではなかったという後悔が込み上げそうになった時、閻魔が急に笑い出した。
顔を包んでいた手が離れ、勢いよく背中に腕が回される。
その間も笑い続ける閻魔のせいで、千代の体まで細かく震える。千代の体を抱え込み「くっくっくっ」と喉奥で抑えきれない笑いをこぼす閻魔。
いったいなんなんだと千代が口を開いたところで、閻魔は告げた。
「ははっ、まったく俺の嫁は気が強い」
「妻!?」
いきなり、何を言い出すのだ。
千代は閻魔の顔を凝視する。
そこに変化はない。いつも通り、亡者に判決を言い渡す時と同じ冷静な表情。つまり大真面目に言っているということ。本気なのだ。
閻魔がまさか自分を妻に望んでいるとは思わず、抑えきれずに千代は口元を綻ばせた。
だが直後、笑顔は凍り付いた。
「千代は俺を好いていて、ここに残るのだろう。であればふさわしい立場を与えて」
「立場? 与える?」
千代は閻魔の言葉を遮る。
何なのだそれは。
確かに千代は閻魔と一緒にいたいと思った。それが妻という立場でなかったとしても。一人で途方もない時間地獄を支配してきた閻魔を支えよう、などとおこがましいことは言わない。それでも、心に寄り添えられたらと思ったのだ。
それなのに、閻魔のいいようはなんなのだ。ふつふつと怒りが湧いてくる。
千代は閻魔の腕の中から抜け出し、すっと立ち上がった。
「やり直し。私はここに残ると決めたけど、別に閻魔様の妻になるためじゃないから。ショウちゃんだっているし、獄卒たちとも仲良くなったし。私は私で好きにさせてもらいます!」
そう言って千代は竹ぼうきを手に取る。
すっと竹ぼうきに横向きに腰かけふわりと浮かび上がった。魔女ミネルバだったころに覚えた術は、千代の姿になっても問題なく仕えることに、こんな状況でも安堵を覚える。
「おい、ちょっと待て」
慌てる閻魔の手が宙を掴む。
「閻魔様の、ばぁぁぁぁああああかっ!」
地獄の空に千代の子供のような罵声が響き渡った。




