第16話 魔女の決意
「ねぇ、ショウちゃん、地獄って楽しい?」
「ヘ?」
閻魔殿から小鬼のショウと暮らすあばら屋に戻り、しばらく放心したように過ごしてからふと魔女はショウに尋ねてみた。
魔女の中で、現世の神が言う「輪廻転生して新しく生まれ変わる」という案は絶対にありえない。
だが他の選択肢となると、魔女として現世に戻る、東の地獄に残る、あるいは西の地獄に行くの三つになる。
人の理を外れた身で現世に居続けるのは辛い。
もうすでに三百年を過ごして限界を感じた。だから一か八かで地獄に来たのだ。
そうすると残りは西、あるいは東の地獄に住むことになる。
現世へ戻れないことに未練はない。それが未来永劫という果てのない時間だったとしても。
しかしそれを魔女が受け入れても、ここにすでに住んでいる者たちにとってはどうだろうか。
「もし、私が地獄にずっといるってなったらどう思う?」
「マジョガ、ジゴクニスム?」
「そう」
短く答えるとショウは後ろ手に手を組んで「フーン、フーン」と体を揺らし始めた。首に巻いた鎖がチャラチャラと音を立てる。
「マジョ、ジゴク、スムンダァ」
牙のせいで半開きの口からシュシュシュと音が漏れる。どうやらショウは笑っているらしい。
「嬉しいの?」
「ンー、ウレジイ、チガウ」
「え? 嬉しくないの?」
それはそれで不満なのだが。
魔女が思わず詰め寄るとショウは小さな体で素早く後ろに引いて、「アンジン」と告げた。
「安心? 何が?」
「エンマサマ」
「閻魔様が? どういうこと?」
質問を重ねるが、ショウは「グブブブ」と笑い声を立てて小屋から出ていってしまった。外にある寝床にいくのだろう。
まったく腑に落ちない答えに、魔女は唸り声をあげて両手に顔を埋める。
考えても良い答えが出ない。他の人に聞いたとしても、結局は自分で決めなくてはいけないこと。
そう頭で理解していても、未来永劫という言葉が重くのしかかってくる。
「あー、もう。今日は寝る!」
誰もいないのに宣言をして魔女は薄い板張りの寝床に転がり込んだ。
閻魔殿の布団のほうがふかふかで気持ちが良かったと、少し不満を唱えながら。
「で? あんたはどう思う?」
「なんだ、突然……」
でっかい鍋をあおっていた大鬼がため息を吐いて鍋を下す。
すかさず小鬼が集まってきてその中に野菜を投げ入れてかき混ぜ始めた。
今は昼も終わったから丁度良いだろうと思ったのだが、すでに夕食の準備が始まっていた。
申し訳ないと思いつつ、魔女は大鬼の意見も聞いてみる。
「私がここに残ること、反対と賛成。意見があるなら言って」
「何を……最初から反対だったさ」
訳の分からん魔女が来て、何万年と秩序正しく支配されてきた地獄が荒らされたのだ。
閻魔を筆頭に、さっさと魔女を追い出したい者しかいなかったはずだ。
そう言われ、魔女はくっと唇を噛む。異質な存在が飛び込んでくれば、それは当たり前の反応だろう。
「まぁ、だが……ここんとこの閻魔様は何となく楽しそうだからな」
「楽しそう?」
魔女の腕よりも長い肉切り包丁を取り出し、大鬼は巨大な肉の塊を鮮やかな包丁さばきでぶつ切りにしていく。
それをポイポイと鍋に投げ込みながら大鬼は続けた。
「俺も、小鬼も、獄卒も……閻魔様の直接の侍従である司命様も司録様も、閻魔様の部下だ。対等にお話できるのは西のハデス様くらいだろう」
亡者は裁く対象であり、会話などをする相手ではない。
部下には常に適切な命令を出す閻魔だが、それ以外の話し相手となると西の地獄の支配者ハデスしかいない。
それが魔女が来て変わった。大きな変化ではない。だが、確実に閻魔は変わったと大鬼は言う。
「あんたが、残る残らないはどうでもいい。閻魔様がそれを許すならな」
「そっか」
「それよりも、そもそもの話、だが……」
ダンッと包丁が大きな音を立てる。
ビクッと思わず体を揺らして魔女は大鬼を見上げる。すると魔女の拳ほどはありそうな大きな目がギョロリと魔女を見ていた。
「あんたはそんなんにこだわるタマでもねえだろが。好きにしな」
「……タマはないけど」
「たとえだ」
「分かってる」
肩をすくめて魔女は返す。
昨日のショウの安心という言葉が蘇ってくる。もしかしたらショウは閻魔のことを思って言ったのだろうか。
大鬼も、小鬼のショウも、考えの中心は閻魔で魔女の意見は関係ないらしい。
数万年一緒にいる相手と、ぽっと出の魔女など比較の対象にならないのだ。
魔女は閻魔殿の廊下をたどり、裁判の間の手前で立ち止まる。
中から朗々と罪状を読み上げる閻魔の声が聞こえる。
この場所は魔女がいなくなっても永遠に続いていくのだろう。
この地獄が出来てからの期間と比べれば、魔女がここで過ごした時間など瞬きのようなものだ。
自分が去れば、記憶の彼方に忘れ去られてしまう。
死ぬことのない魔女の名は閻魔帳に残されることなく。
魔女の体が細かく震え出す。
一歩、後ろに下がる。白洲が地獄のわずかな光を受けて白く輝いている。
ふと顔を上げた閻魔が首を回して魔女を見た。わずかに目を細め、口角を上げ、そしてまた前に向き直った。
なぜ、後ろにいる自分に気づくのか。
なぜ、そんな表情を自分に向けるのか。
魔女は勢いよく走りだし、閻魔殿の裏に立てかけておいた竹ぼうきを掴んで空に飛びあがる。
赤く光る空が魔女の顔に赤い光を当てる。
顔に熱が集まるのを感じる。
それは数百年生きていて、魔女にとって初めての感情だった。
そばにいたい。その優しさも強さも、受けるのはただ一人自分だけでいたい。
忘れ去られたくない。彼の心の中にずっといたい。
願うならば――永遠にそばにいたい。
「あああああ、もう!」
許容範囲を超えた感情を叫びに乗せて吐き出す。
熱い涙が両目からこぼれだした。
何で気づいてしまったのだろうか。
ただでさえ考えなくてはいけないことがあるのに。
そうだ。
思い切ってこの思いを伝えてしまえばいい。
それで潔く東の地獄を去ろう。
現世には戻りたくない。だから西の地獄に行けばいい。
邪険にされるかもしれないけれど、ハデスならばしぶしぶでも受け入れてくれるだろう。
「よし! 決めた!」
自分に言い聞かせるように魔女は赤と黒の空に向かって叫んだ。




