第11話 閻魔殿の日常
「お前の罪は軽くはないが、その重みを凌駕する善行を成した。後の裁判での酌量を求めておこう」
「ありがとうございます」
涙ながらに亡者が深々と地面につきそうなほどに頭を垂れた。獄卒によって裁判の間から出される最後まで、何度も何度も亡者は頭を下げていた。
魔女は司命が使い終わった記録をまとめて小鬼に渡しながら、眉間を揉む閻魔の横顔を伺う。
閻魔と言えば苛烈で容赦のない裁判官と思われがちだが、こうやって裁判の間を垣間見るようになってその印象はがらりと変わった。
犯した罪が軽微であったり、多くの徳を積んだりした亡者に対しては慈悲深い裁定を下している。
そういえば閻魔は地蔵菩薩とも言われる一面があったことを思い出す。
(案外、優しいのね)
ちらちらと見ていた魔女の視線に気づいたのか、閻魔が顔をこちらに向け、視線がぶつかる。
「どうした。疲れたなら下がっていていいぞ」
「ううん。全然。それより、閻魔様のほうが疲れて見えるけど」
「これくらいいつものことだ」
そう言った閻魔だが、魔女の隣で司命が「あと二百…‥」と呟いた声を聞いて眉間の皺を深くした。
裁判を待つ亡者の列は延々と続く。
魔女は高座に座る閻魔や司命、司録を見回して、「私、ちょっと抜けるね」と言って立ち上がる。
手をひらりと振る閻魔を一瞥して魔女は閻魔殿の長い廊下を抜けていく。
ここに通い出して五日。大まかな造りは把握している。
途中で書庫を調べている小鬼たちが魔女を見て、「グ、ミネルバ・マクシールゥゥ」と呪詛のような声を吐いて苦悩の表情をして逃げ去っていく。
頻繁にこんな反応をされると気になってしょうがない。閻魔からは「察してやれ」と言われたけれど、何を察するべきなのか皆目見当がつかない。
その内に小鬼を捕まえて問いただそうと思っているが、今はそれよりも優先すべきことがある。
厨の入口で一度立ち止まり、一段低い場所に置かれたすのこに並ぶ誰のとも分からない草履に足を差し込む。
「何しに来た、魔女。ここは女子禁制だ」
突然現れた魔女を気にするような小鬼の中で、二回りも三回りも大きな鬼が腕を組んで告げる。
魔女は彼を見上げて興味津々に呟いた。
「台所は男子禁制と聞いたことがあるけれど、女子禁制は初めてだわ」
「鬼婆がここにきたら、地獄ができる」
ここがすでに地獄なのに、大鬼は大真面目な顔をして口をへの字にする。
肉切り包丁や出刃包丁を持って地獄をうろつく鬼婆を見たことはあるが、確かにあの鬼にあの包丁で料理をして欲しいとは思わない。
納得して魔女は一つ頷く。
「閻魔様に出したいお茶があるんだけど、作るの手伝ってくれない?」
「茶ならもう出したぞ」
「西洋で飲むお茶なの。乳に蜂蜜や香辛料を入れて飲むやつ」
「そんなもん、飲めんのか?」
ただでさえ迫力のある顔面の圧が強くなる。魔女は顎を引き、頭二つ分は上のぎょろりとした大鬼の眼を睨んだ。
「魔女の秘薬よ。お疲れの閻魔様に一息ついてもらうの」
「魔女の…‥ううむ、では俺が飲んで問題なければ、出すのを許そう」
「決まりね。じゃ、今から言う物を準備して」
魔女がそう告げると、大鬼が顎をくいっと動かした。慌ただしく小鬼が動き出し、魔女が上げていく材料を集め始める。
その間にも大鬼は竈の前に移動して、一抱えはある鍋をその上に置いた。五十人分の味噌汁でも作ろうというのか。
魔女はキョロリと目を回す。
「もっと小鍋はないの? さっさと作って戻りたいんだけど」
大鬼の耳がピクリと動く。彼は無言で体の向きを変え、七輪のような小型の卓上火鉢を取り出し、その上に魔女の顔程の大きさの小鍋を置いた。
戻ってきた小鬼たちがその横に材料を並べる。彼らの基準も五十人なのか、圧倒的に材料が多すぎる。
魔女はため息を吐き、「もし気に入ったらみんなの分も作って飲むといいわ」とこぼす。
それから五人分程度の材料だけをとりわけて、大鬼に順番に入れるように促す。
大鬼は魔女の頭など片手で握りつぶせそうなゴツゴツした大きな手やねじ曲がった爪からは想像できないほど丁寧な手つきで、ゆっくりと乳をかき混ぜながら慎重に香辛料を入れていく。
優しい甘さの香りが厨に漂い始める。小鬼がこちらを気にしつつ鼻をひくつかせた。
「閻魔様、大福を食べてるのを見たから、甘い物も大丈夫よね?」
「辛い酒に合う甘い物は大抵お口に合うようだ」
魔女は相槌を打ちつつ、沸騰のきざしを見せ始めた乳を指し、鍋を火からおろすように告げる。
大鬼は小鬼が持ってきたお猪口を爪の先で器用に摘まみ、一口分だけ鍋から取り分ける。
ペロリと大きな舌がお猪口を舐めた。
(あんな大きな口なのに、それだけで味が分かるのかしら。っていうか、熱そう)
溶けた鉄を容赦なく亡者にぶっける獄卒たちを思い出し、鬼に常識は通じないんだったと思いなおす。
「ふむ……慣れない味だが悪くない。閻魔様にはもう少し蜜を入れてもいいだろう」
大鬼の発言を聞いて小鬼が蜜の入ったカメを即座に前に出す。二掬いほど足して、大鬼は再び味を確かめて満足げにペロリと唇を舐めた。
小鬼が盆に並べた湯飲みに白い液体が均等に注がれていく。四つのうち一つだけ高価な金の細工が入っているのが閻魔の湯飲みだろう。
「なぁ、魔女。西の料理はこちらでも作れるものか?」
「材料がそろえばできると思うわ」
「そうか。もし閻魔様がこれを飲んで興味を引いているようだったら、今度西の料理を教えろ」
「教えてください、でしょ」
「……教えて……く、だ……」
ぐうっと大鬼の喉が鳴る。それから一拍置いて、消え入りそうな声で「さい」と付け足す。
魔女の目と唇を限界まで薄く引き伸ばされる。
大鬼の顔が真っ赤に染まる頃、魔女は「いいわ、教えてあげる」と答えた。
それから優雅に鼻歌を歌いつつ厨の入り口の前で盆を持って待つ小鬼のところへ行き、草履を脱いで廊下にでてから盆を受け取る。
「ありがと。反応が良かったらまた来るわ」
「おう。とっとと行け」
「お邪魔様」
これから夕餉の準備だと背を向けた大鬼が、小鬼たちをせっつき始める。
魔女は温かい飲み物が冷めないように、でも慎重に長い廊下を進み最後の角を曲がる前に足を止めた。
裁きの間から朗々と罪状を読み上げる閻魔の声が聞こえる。
その声が途絶え、酌量を望む亡者の叫びが遠のいたところで一歩前に進み出る。気づいた小鬼が顔をこちらに向けた。
続いて閻魔、司命も魔女を見た。
罪状を記録するのに忙しい司録は気づいているようだが、手を止める気はないようだ。
「飲み物を作ってきたの。冷めないうちにどうぞ」
三人の卓を順番に回り、最後に司命の斜め後ろに正座する。
湯のみを持ち、口を付けるふりをしながら斜め左前を伺い見る。閻魔は湯のみの中身を酒を飲む時のように揺らし、匂いを嗅いだ後に口を付けた。
こくりと閻魔と魔女の喉が同時に鳴る。
閻魔は目を細め、ペロリと分厚い唇を舐めて湯のみを再び揺らした。
「美味い」
低い声が呟く。閻魔は首を巡らせ、魔女と目を合わせてもう一度言った。
「美味い。疲れが取れるようだ。魔女の秘薬か?」
「似たようなものね。体を温めてくれるし、心を和らげてくれるの」
「そうか。休憩が必要な時には、また飲めると嬉しい」
「仕方がないわね。作ってあげる」
厳密に言えば作ったのは大鬼だが、魔女は尊大に上から目線で応える。
閻魔は口の端を上げて、湯のみを一気に呷った。まだ冷めてはいない乳をごくごくと喉を鳴らして飲み干す。
「次は徳利に入れてこい」
タンッと音を立てて湯のみが机に置かれる。挑発的な笑みに、魔女は飲み物を持っていることも忘れて体を戦慄かせた。
「ちょっと、少しは頼む側の姿勢を学んだ方がいいわよ」
「さあ、次の裁判を進める。司命、ちびちび飲んでねえで、罪名を読め」
「は、はいぃ!」
司命が片手で湯のみを持ち、帳簿をめくり始める。
反対側では司録がカカカカと尖った歯を見せて笑っている。
まったく調子が狂わされる。
魔女はくっと湯呑を勢い良く傾け、その熱さに激しく咳き込んだ。




