第26話 忘却
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女性は震える手で腕時計を見つめていた。
止まっていた秒針が、静かに時を刻んでいる。
「……駄目。」
力が抜けるように、その場へ座り込む。
「今の時間じゃないと……。」
「娘が……娘が……。」
涙が頬を伝う。
「止まって……。」
「止まってよ……。」
無は静かに女性を見つめる。
「時間は進む。」
女性は首を振る。
「駄目!」
「私だけでいいの!」
「私だけは、あの子の近くにいなきゃいけないの!」
無は短く答えた。
「無理だ。」
女性は泣き叫ぶ。
「なんで!」
「私だけでいいの!」
「あの子を1人にしたくない!」
「私がここにいれば……。」
「きっと帰ってくる!」
首筋の『4』に刻まれたヒビが、大きく広がっていく。
女性は無意識に首元を押さえた。
無は静かに言う。
「1人で待っていても。」
「帰らない。」
女性は涙を流しながら叫ぶ。
「でも……進んだら!」
「みんな忘れる!」
「娘が……娘が居なかったことになる!」
「みんな忘れるのよ!」
無は静かに首を横へ振った。
「ならない。」
女性は声を荒げる。
「なるの!」
「忘れられてしまう!」
無は女性を見つめる。
「お前は忘れるか。」
女性は即座に叫んだ。
「忘れるわけないじゃない!」
「あの子は私の娘よ!」
無は静かに頷く。
「なら。」
「忘れることはない。」
女性は息を呑む。
無は続ける。
「止まる必要もない。」
長い沈黙が流れる。
女性の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
「私は……。」
「私は……。」
無は静かに告げる。
「成立しない。」
その言葉と同時に。
首筋の『4』が音を立てて砕け散った。
女性は涙を流しながら空を見上げる。
「私が止まらなくても……。」
「私が覚えていれば……。」
「忘れることは、なかったのね……。」
少しだけ笑う。
「本当は……。」
「帰ってこないことくらい……分かっていた。」
「怖かったの。」
「帰ってこないと認めたら……。」
「あの子との時間まで終わってしまう気がして。」
涙が止まらない。
「でも違った。」
「私が覚えている限り……。」
「あの子は私の中で生き続ける。」
女性はゆっくりと立ち上がる。
無に向かって深く頭を下げた。
「ありがとう。」
「あなたのおかげで……。」
「私は前へ進めます。」
「でも、忘れません。」
無は静かに頷く。
「そうか。」
女性の身体が淡い光に包まれていく。
夕陽がゆっくりと沈み始める。
止まっていた秒針が時を刻み。
止まっていた世界が、静かに動き出した。
改札を行き交う人々。
ホームへ急ぐ足音。
駅に、いつもの日常が戻る。
無は1人、夕焼けを見つめていた。
胸の奥に、小さな痛みが残っている。
「……悲しい。」
静かに呟く。
「これが……感情なのかもしれない。」
無は沈む夕陽を見つめたまま、静かに歩き出した。
今後もよろしくお願いいたします。




