218話 秀吉、焦りを覚える
夜。
静かな部屋。
灯りは一つだけ。
そこに座っているのは
豊臣秀吉。
机の上には地図。
西国。
中国地方。
四国。
九州。
秀吉はそれをじっと見ていた。
そして小さく呟く。
「もうすぐ…終わる」
西国の戦。
かつてなら胸が躍った。
城を落とす。
敵を降す。
領地が増える。
名が上がる。
それが秀吉の人生だった。
百姓から。
足軽。
小者。
そして今は織田家の重臣。
誰もが知る武将。
だが。
秀吉は気づいてしまった。
(その先は?)
秀吉はゆっくり酒を飲む。
頭の中に浮かぶのは
織田信長。
そして
あの会談の話。
信長の天下構想。
城を減らす。
戦を減らす。
商を増やす。
秀吉は苦く笑う。
「戦が減る」
その言葉の意味を
誰よりも理解していた。
秀吉の心の声。
(それは)
(俺の時代が終わるという事だ)
秀吉は戦で伸びた。
戦で出世した。
戦があるから必要とされた。
だが。
戦が無くなるなら。
(俺は)
(何になる)
秀吉は自分の手を見る。
この手で城を落としてきた。
この手で国を奪ってきた。
だが。
(商)
(町)
(交易)
それは秀吉の世界ではない。
秀吉は思い出す。
里見の港。
南蛮船。
市場。
人の笑顔。
あの町には
武将の力は必要ない。
秀吉の心の声。
(あそこに)
(俺の役目はない)
秀吉は机を叩く。
小さく。
「ちくしょう…」
初めてだった。
秀吉が未来を恐れたのは。
秀吉は思う。
(殿は)
(そこまで見ている)
信長は戦国を終わらせる。
その先の国まで見ている。
秀吉は笑う。
「さすが殿だ」
だが同時に思う。
(なら)
(俺はどこへ行く)
秀吉の胸の奥に
小さな影が生まれる。
忠義。
それは今まで疑ったことはなかった。
信長に拾われた。
信長が引き上げた。
信長がここまで連れてきた。
だが。
秀吉の心の奥で
別の声が生まれる。
(このまま)
(終わるのか)
戦が終われば。
武将の価値は変わる。
城取りの名将より。
国を治める者が必要になる。
秀吉は思う。
(家康は残る)
頭に浮かぶのは
徳川家康。
あの男は違う。
耐える。
待つ。
国を作る。
秀吉は思う。
(上杉も残る)
上杉謙信
あの男は義の柱。
戦の無い時代でも
人は従う。
秀吉は酒を飲み干す。
そして最後に浮かぶ顔。
里見桜
秀吉は苦笑した。
「全部」
「あの姫か」
戦を終わらせる考え。
交易。
港。
商。
あの姫が信長の頭に火をつけた。
秀吉の心の声。
(恐ろしい姫だ)
秀吉は天井を見る。
そして初めて思った。
(もし)
(戦が続くなら)
その考えはすぐに打ち消す。
だが。
完全には消えなかった。
秀吉は静かに呟く。
「殿…」
信長の背中を思い浮かべる。
尊敬。
恐れ。
そして。
ほんの少しだけ。
今まで無かった感情。
(俺は)
(まだ終わりたくない)
灯りが揺れる。
部屋には秀吉一人。
その胸の中に
小さな火が灯り始めていた。
忠義の影。
それはまだ
誰にも見えないほど小さい。
だが。
確かにそこにあった。




