192話 静かなる招待状
里見の港に、見慣れぬ旗が翻っていた。
南蛮船――ではない。
だが、その規模と整然とした動きは、ただの商船団ではなかった。
「……また、来たか」
城の高台から港を見下ろし、里見義堯は低く呟く。
報告を持ってきた家臣は、言葉を選びながら続けた。
「佐竹家の使者に続き……今度は、越後より商人と名乗る一団が到着しております」
「越後?」
その名に、場の空気が一瞬で張り詰めた。
上杉謙信。
義の旗を掲げる武の象徴。
その名と“商人”は、本来、結びつかない。
義堯は、隣に立つ桜を見る。
桜は、港の方角を見つめたまま、静かに言った。
「……来ましたね」
「想定内か?」
「はい。
むしろ、来なければ失敗でした」
まな姫は、二人の会話を不安そうに見つめている。
「桜……これは、戦になるの?」
桜は、首を横に振った。
「いいえ。
これは――“問い”です」
その頃、港。
越後の商人と名乗る男は、年の頃四十前後。
武骨な顔つきだが、目だけが異様に澄んでいた。
「我らは、米・塩・油を求めて来た」
「価格は、里見の定める通りでよい」
周囲の里見の役人たちが、思わず顔を見合わせる。
値切らない。
圧もかけない。
ただ、淡々と条件を受け入れる。
「……その量、尋常ではないが」
役人が警戒すると、商人は一瞬だけ、笑った。
「越後は、義を重んじる国」
「だが――腹が減れば、義も語れぬ」
その言葉は、
誰に向けられたものでもないはずなのに、
不思議と胸に刺さった。
同時刻、越後・春日山城。
上杉謙信は、独り、地図を前に座していた。
(……妙だ)
(里見の動きは、商いに見えて、商いではない)
(兵を出さず、血を流さず)
(それでいて、戦よりも深く、国を揺らしている)
桜の名は、口に出さなかった。
だが、確実に――
その存在を意識している。
(義が満たされた、と思ったのは……)
(わし自身か)
謙信は、静かに目を閉じる。
(これは、試されている)
(“義とは何か”を)
里見城。
夜。
桜は、灯りの下で、再び思考を巡らせていた。
(上杉が来た)
(しかも、剣ではなく、商で)
(――なら)
(次に動くのは)
桜の視線が、地図の「北条」の文字に止まる。
(義を問われ、理を失いかけている者)
(彼らが、黙っていられるはずがない)
遠くで、法螺の音が鳴った気がした。
それは現実か、予感か。
桜は、小さく息を吐く。
(均衡は、まだ保たれている)
(でも)
(次は――誰が声を上げる?)
静かな夜の中、
新たな火種は、確かに灯り始めていた。




