はじめての町 その5 セルナの町②
ガリンたちが関所のある北門を抜け、セルナの町に足を踏み入れると、そこには王都とは異なる、農工都市ならではの活気が広がっていた。まっすぐに伸びる中央通りは、城壁内の区画整理に沿って整然と続き、その両脇には木造と石造りが混じった商店が軒を連ねている。店先には、今まさに収穫されたばかりのソラマメなど農作物が籠に山と積まれ、春の香りが風に乗って漂っていた。
通りを行き交う人々の顔には、これから農繁期に入る時期特有の張りつめた忙しさと、寒さが和らいだ喜びが入り混じったような活気が満ちている。
一本奥の路地には、王都の外郭市街と同じように露店がひしめき、焼いた豆菓子の香ばしい匂いや、煮込んだツァイの湯気が立ちのぼっている。遠くからは、牧草地から戻ってきた家畜商の声も聞こえていた。
町全体が、春の到来を喜んでいるようでもあった。
城壁内とはいえ、王都ほどの堅牢さはなく、どこか人の暮らしの温度が近い。農地と町が地続きで存在するセルナならではの空気が満ちていた。
一行は、まず関所で対応をしてくれた軍角士・官と名乗ったトレムルホンゴに教えてもらった、貴族も宿泊できる宿へ向かった。宿は中央通りの喧騒から1つ奥に入った場所にあり、登記所などの行政機関が集まる中央広場の近くに位置していた。
北門から宿へ向かう道すがら、セルナの町の空気は王都とはまた違った活気に満ちていた。中央通りは商店が多いため、商品を積んだ荷車が行き交い、賑わいを見せていた。また、中央通りから東西に伸びる小道には露店がひしめいており、多くの人でごった返しているのがよく見えた。
ガリンたちが目的の宿の前までくると、サラが、
「さすが、貴族様の宿だね・・・。」
と感嘆の声を上げた。周囲の建物が木や紙で作られている中、その宿だけは1階が石造りの堅牢な造りで、2階から4階までは樹脂で固めた木材をふんだんに使った木造となっていた。1階には宿を守る傭兵たちが見張りについており、貴族御用達であることが一目でわかる佇まいだった。
こうした場所での交渉は、基本的にジレの役目である。一行の身分を伝え、情報漏洩を防ぐための根回しを行い、さらに対応にあたる者は貴族の子女、あるいは貴族の妾経験者など、身分に理解のある者を指定する。貴族御用達の宿では、こちらの要望を丁寧に伝えることで、宿側もそれに応じた配慮をしてくれるのだ。
実際、このような宿では、貴族の3女や、貴族の妾として暮らした経験のある婦人、あるいは退位によって准男爵位を得た家の子女などが働くことが多い。ジレは一行全員の身分を細かく伝えることはしなかったが、王家の紋章を使い、王家に連なる者がいることを匂わせて最上の対応を求めた。また、一行には傭兵もいるが、その傭兵も貴族身分を持つ者に属する立場であることを伝え、全員の身分を宿側にしっかりと認識させた。
こうした配慮を怠ると、滞在中にあてがわれる女官や召使い、場合によっては小姓が、身分の低い者に対して雑な扱いをすることがある。ストレバウスは士爵を持つため問題はないが、サラは単なる傭兵であるため、軽んじられる可能性があった。そのためジレは、サラについては『ガリンの妾、あるいは妾候補』と伝えておいた。本人が聞けば困惑するだろうが、これも処世術である。ジレは涼しい顔で嘘をついた。
結果として、宿は最上階とその下の階をすべてガリンたち一行の貸し切りとした。1つ下の階まで貸し切りにしたのは、下の階からの襲撃を懸念してのことである。代わりに、その階には宿お抱えの傭兵が定期的に巡回するよう手配された。
これだけの部屋を借りれば宿代は相当な額になるが、ジレにとっては必要経費であり、ガリンの財布をあてにしているだけだった。事実、ガリンはルルテには伝えていないが、この旅のために王家から多額の金子を預かっており、この程度の出費は問題にならなかった。
宿の裏手には、貴族用の風力車や騎乗動物を預けるための厩舎が併設されていた。屋根付きで、整備用の道具まで備え付けられている、王都の貴族街にある宿と遜色ない設備だった。荷台に積んでいたウクバルは関所で既に引き渡してある。風力車に積んでいた荷物も、あとで宿の者たちが下ろして部屋に運んでくれるはずである。
最上階には6部屋あった。サラはジレと相談し、さっさと部屋割りを決めて皆に伝えた。左右に3部屋ずつ、計6部屋の造りである。
ルルテとジレは階段から一番奥、かつ中央通りから見て奥になる部屋とした。その部屋の前がガリン。ルルテとジレの部屋の横がサラ、ガリンの横がストレバウスである。レイレイは、最初はストレバウスと一緒が良いだろうと考えていたが、ジレの訴えにより、結局、ルルテとジレと同じ部屋となった。
下の階は傭兵が警備しているとはいえ、襲撃者が階段を上がってくる可能性を考え、もっとも遠い奥の部屋をルルテにあてがうのは定石だった。また、中央通りに面した窓は裏通り側より大きく、侵入経路となりやすい。この宿は周囲の建物よりも高く、4階は完全に頭一つ抜けているため、中央通りがよく見える構造になっていたからだ。
そのため、中央通りが見えない部屋をもっとも警護が必要なルルテに使ってもらった。ガリンも警護対象ではあるが、彼の防護結界があれば危険度は低い。むしろ、中央通り側からの襲撃に対する盾として、ルルテの部屋の前にガリンを配置したのだ。サラは階段側の襲撃を想定し、ルルテの部屋の階段側に自分の部屋を取った。ストレバウスがガリンの隣なのも同じ理由である。
サラは最初、ここでもルルテはガリンと同じ部屋にするべきではないかと考えていた。しかしジレから、既に王家の紋章を使って宿泊している以上、表向きの体裁は必要ないと言われ、考えを改めた。
サラが部屋割りを伝えた時、ルルテが一瞬だけ不満げな表情を浮かべたのを見て、
「おや、お姫様は、婚約者様と一緒がよかったのかい?」
とからかったが、ルルテは、
「ジレとの方が、休まるに違いない。」
と真面目に返してきたため、サラは肩を竦めた。ルルテはさらに、
「あの者は、寝てても小難しいのだ・・・。」
とつぶやいた。サラには意味がわからなかったが、
『ガリンなら、さもありなん・・・。』
と苦笑いを浮かべた。
とにかく部屋が決まると、それぞれはいったん部屋に入り、窮屈な防具を外し、普段着に着替えるのだった。
それぞれが部屋に入り、窮屈な防具を外すと、ようやく旅の疲れがふっと軽くなるような気がした。宿の最上階は静かで、外の喧騒が遠くに聞こえるだけだった。
ガリンは、普段着といってもいつもの黒いローブのままだった。違うのは、旅の間身に付けていたのは、皮で裏張りをした防具としての役目を兼ねたローブであった点だ。
実際、外見的にはほとんど変わりがない。ガリンは晶角士であり、この出で立ちが術の発動に最も適した服装であるのだから、ガリンにとってはこれが普段着なのである。
ストレバウスとサラは、護衛として役割を担っていたので、旅の間と同じ皮鎧をそのまま身につけていた。
サラは、もともと鎧を脱ぐ気など最初からなく、
『護衛が普段着なんか着てどうするんさね。』
と言わんばかりの顔で、腰の短剣を軽く叩いていた。
逆に、ストレバウスは、昨晩の戦闘の余韻が抜けきっておらず、鎧を脱ぐこと自体に不安を覚えているようでもあった。
ジレは、ルルテ付きの女官としての正式な女官服に着替えていた。
屋敷にいた時と比べると、かなり動きやすい服装ではあったが、淡い青色の上衣に、白い前掛け。袖口には細かな刺繍が施されている、品位を兼ね備えた服装だった。
そしてルルテは、ジレが用意していた、春めいた色合いのワンピースに身を包んでいた。桜色を基調に、裾と胸元に緑のアクセントが入っている。髪はガリンの髪色に合わせた黒っぽい色の髪留めでまとめ、胸元には焼き物のブローチが輝いていた。
鏡の前でくるりと回ると、メノウ色の髪がふわりと揺れた。
「どうだ、ガリン。似合っておるか?」
「ええ、そうですね・・・。」
ガリンは髪を留めている黒い髪留めをみて、少しだけ困ったような顔で言葉を選びながら答えた。
それでも、ルルテは満足げに微笑んだ。
ガリンは、マレーン文化圏、特に王家では婚約者同士が、相手の髪色に合わせた宝石を身に付ける風習があったのを思い出したからだ。
準備が整うと、一行はそのまま町へ繰り出した。




