お、おお……お、お兄ちゃんっ!
ーー日も落ちかけて、しんと静まり返った病室内で「うわあっ!」という悲鳴と共に目が覚めたキューは、荒い息遣いで肩を上下に震わせ、自身の置かれた状況をも一度反芻すると、額を押さえて呻き声を上げた。
「……厭な、夢」
記憶の片隅にある兄との穏やかな生活。それは同時に辛く惨めな思い出でもあるのだ。
意図的に創造せられ洗脳され、お守りのために『妹』の側につけられては、挙げ句の果てには用済みだからと処分される。そんな兄の人生を思うとやるせない。
兄ーーノリには以前のキューと暮らしていた時分の記憶がないーー抜かれているといっても差し支えないーーのをリクコから聞かされていた彼女は、無駄だと分かっていても抑えきれず、度々ノリの元を訪れていた。所在地は変えられていたが、機動力に長けた彼女の能力を以ってすれば労せず特定せしめたのである。
とはいえ、向こうはキューの存在を認識できないのであるから、幾ら話しかけても無反応で、ほぞを噛む日が続いた。
そうしていつの間にか別の被験体がノリの側に付けられていた。
キューがそのことをリクコに問いただしても、返ってくるのは「知る必要はない」という冷たい一言のみで、平素親身になってあれこれと世話を焼くリクコの異様な様子から、ただならぬものを感じ、それ以上の追求は憚られた。
その事態が急激に変化したのが追加で付けられた被験体であるユキノが、あろうことか自ら洗脳を解き、研究所に忍び込んで好き勝手に貴重品を持ち出した事件だ。
どういうわけかそれと時を同じくしてノリの洗脳も弱まり、結果今のような状況になってしまった。
「でもよかったこともあるわ。ノリがあなたの正体を思い出したのだから」
ーーミレイが暗号で話している最中、彼女はそんなことを言っていた。
確かに前にあった時よりも接し方が近しいと思わないでもなかったが、本心をノリの口から聞き、ことの真相を確かめるには気恥ずかしさが勝ってしまった。
ごくごく自然な話の流れで「お兄ちゃん」と言ってやろうと、頭をフル回転させ、脳内で濃厚なシミュレーションを済ませ、病室のどこかに居るであるであろうノリに向かって呼びかけた。
「ノ、ノリ……居るんでしょう? あの、お願いがあるのですが……ボク、お手洗いに行きたくて……でも身体がまだ思うように動かせないので、負ぶって……ほしいんです……ね、構いませんよね、お、おお……お、お兄ちゃんっ!」
ーーい、言ってしまったあ。もう後戻りはできません。度胸あるのみです。
赤面しながら両手で顔を覆うキューの元に返ってきたのは沈黙の重いノイズだけであった。




