こんなの絶対おかしいです
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一陣の風が吹いた。
網戸を越してカーテンを揺らし、居間に溶けていく。
もう夜の帳も降りようかという時分にも関わらず、僅かに残る夕陽の残滓に頼って照明の一つも点けることなく、ソファに深く腰をかけ、だらりと虚空を見つめるのは、齢十をいくつか過ぎたばかりの少女である。
少女は横目で台所にいる母の影をちらと見た。
ーーアレは何なのだろう。
己の頭の中には確かにアレが母であるという認識がある。しかし、アレはヒトではない。
マネキンだ。
趣味の悪い、と少女は思う。
首元に小さなスピーカーが付けられていて、種々の挨拶などを決まった時刻に決まった文言を、それも無機質な機械音で以って発するのだ。
食事などは少女の居ない時に、いつの間にか置かれていて、そうしていつの間にか片付けられている。
最初は不気味に感じ、あまり近づかないようにしていたが、慣れてしまえば所詮はただのマネキン人形。次第に風景の一部として認知するようになっていった。
誰とてデパートの衣服売り場に設置せられたマネキン人形に対し恐怖は抱かない。縦しんばそれが生活圏にあったとしても『そういうものだ』として、何の不思議もないことだと認めてしまえば良いのだ。
しかし、一つだけ気にかかることがあった。
少女には兄が一人居る。
その最愛の兄の様子がおかしく、母マネキンの異質さと同等のものをさえ感じ取れるのだ。
第一にこの異変に全くと言っていいほど無頓着……というよりも気づいてすらいない様で、母マネキンに対し「今日は文化祭の準備があるから遅くなるよ。あっ、でも晩飯は残しておいてくれよ」などと話しかけて、兄のそんな言葉にも常套句しか用いない母マネキンを、違和感の塊の様なそれをさも当然であるかの如くに受け入れて、出掛けてしまう。
「お兄ちゃん、なんであんなのに話しかけるんですか? こんなの絶対おかしいです」
玄関先で呼び止めてそう言った少女に兄は辛辣にこう返す。
「母さんにそんな言い方するな! いつからそんな風になったんだよ。……あとでちゃんと謝っておけよな」
少女は知っていたーー。
学校に行った兄が何をしているのかを。
ご丁寧に着席したマネキンだらけの教室で、板書をしている風の教諭が背を向けたままでいる中、たった一人で何の声もしない異様な空間でぼうと座って虚な目をし、何をするでもなくただそこに居る。
少女が赴いて側により呼びかけてみても反応はなく、終業のチャイムの鳴るまで微動だにせずに居、そうして立ち上がり少女の姿を認めると寄ってきて、
「ん? なんだ、くーじゃないか。こんなところまでお迎えか?」
破顔して無邪気にそう言う兄に、少女は薄寒いものを感じたのだった。




