僕やっぱり戻らないとーー
足下に繁茂したシダの葉が、ノリの膝から下あたりをそっと撫でては退いてを繰り返し、露に濡れた葉の水分の湿った感覚が、イヤに心地悪く、踏み固められた土のなんとも頼りない様は、先導して歩く名も知らぬ好好爺の飄々とした仕草や身のこなしと相まって、どこかこの世の物ではないような気がしてくるのである。
ノリは早速この、好好爺について街を出てしまったことを後悔した。
背を向けて歩く好好爺の顔を思い出そうとする。
さっきまで確かに面と向かって話をしていたはずなのに、どういうわけかその顔を明瞭に頭の中に思い浮かべることができないのだ。
よくある顔。よく見かけるヒトの良さそうな親爺。そう認識されている。
仮面のようだ、とノリは思った。
仮面、お面というのは役割を演じている者が被るものに違いない。厳格な父、良妻賢母な母、甘え上手な妹、そして、平凡な息子ーー。
その仮面を剥がしてみると、ヒトはヒトでなくなるのだろうか。
平凡で、なんの取り柄もなくても、ただただ平凡だ、という仮面を被ったヒトとして、のほほんと暮らしていけるのであれば仮面を被ったままのほうがましだ。
何も自分の恥部を曝け出す必要なんてどこにもないのだからーー。
「そんなの面白くもなんともないね」
悩みなんてないとでも言うように、ノリの脳内でリクコが嘯く。
底無しの力を持つ彼女にとってはほんの些細なことかもしれない。でも凡庸で何も持たない僕のような者には死活問題でしかない。
命の恩人を見捨てて逃げるくらいなら、あの場で戦って死んだ方がどれだけマシかーー。
「お友達が心配ですかな?」
好好爺が見透かしたように言う。
「はい……。でも僕じゃどうすることもできなくて、リクコが逃してくれなきゃ僕は多分死んでたんじゃないかと思うんだけど、それでも、僕は……」
一緒に居たかった。足手まといじゃなくて、ちゃんと肩を並べて立って、リクコやキューのように前を見て生きていたいんだ。
それができないのは、僕が弱いからだ。
でも、悔しいからって涙が出るわけじゃない。そんなものは自分がかわいそうだから出るのだ。
もし、できることならもう一度あの場所にーー。
「あのっ! お爺さん。僕やっぱり戻らないとーー」
好好爺が立ち止まって振り返る。
その顔はやはり笑顔の人の良さそうな表情のままだった。
そして、皺だらけの口でこう言った。
「ダメだよ、キミの脳みそハ私のモノだ」




