「むか~し、むか~しあるところに」
朝起きると身支度を整えて、ラファエルさんの部屋へ向かった。
昨日の顔の傷はきちんと消毒して一晩寝るとどこにあるかわからないぐらいになっていたので、心配をかけることはないだろう。
ラファエルさんもすでに起きていて、部屋でお茶をごちそうになる。
同じく部屋にいたトアが入れてくれる花の香りがするお茶は、この世界に来てからもう何度も飲んでいるので舌に馴染んだものだった。
部屋の中にはラファエルさんの世話係になったというルザリドが何人かいるけれど、トア以外は壁に沿うように控えていた。
「ラファエルさん、なんだか顔色悪くないですか?」
私は勧められた椅子に座ってすぐ、そのことを指摘する。
ラファエルさんの肌は私よりも白くて、場所によっては血管が透けて見えるほどだ。
同じヒューモスとはいえ人種の違いというものかもしれない。
日本人を見慣れた私から見るとただでさえ血色が良いと感じられないのに、今日の彼は昨日よりも青ざめて見えた。
「そうか? 少し、眠れなかったのでね。そのせいかもしれない」
「何かありました?」
昨日、私と別れてから何かあったのだろうか?
けれど私の問いにラファエルさんは否定した。
「召喚されてからは驚き通しではあるがね。――――やはり緊張しているのだと思うよ」
情けなげ眉を下げると、ラファエルさんは眉毛を人差し指で軽くかいた。
「何もあるわけがないと思っていても、無意識にルザリドを警戒してしまう。
周囲にいるのはルザリドだけだ。
部屋を出てもヒューモスはサラ、君しかいない。
そんな状況でさすがに熟睡はできないだろう」
「私はこの世界に来た最初からぐっすりでしたけど?」
私が首をかしげると、ラファエルさんはその顔に苦笑を浮かべた。
「人によるかもしれないが」
…………図太いってことですか?
私はこの世界で眠れないなんてことはなかった。
昔から寝つきは良いので、枕が変わろうが布団が変わろうが問題はない。
世界が変わっても眠ることに支障はなかった。
けれどそれすらも本来おかしいことだったのかもしれない。
ふむ、と私が腕を組んで首をかしげていると、どこか可笑しげにラファエルさんは私を見つめた。
「今日のことは、緊張しているか?」
ラファエルさんにそう言われて、私は首を横に振る。
「むしろたくさんのルザリドに会えるので楽しみです」
ラファエルさんに会うためにやってくるルザリドたちの会合は今日この後すぐだ。
時間になればこの部屋に迎えがくることになっている。
それまではこのラファエルさんの部屋で私も待機する予定だった。
そんな私の返答に、苦笑気味にラファエルさんはため息をつくだけで何も言わなかった。
これまでいろんなルザリドに会ったけれど、似た物はあっても一人として同じ鱗を持つ人はいなかった。
今日の会合にどんな鱗のルザリドが来るのかを見るだけでもとても楽しそうだ。
私はお茶を一口飲んでから問いかけ返した。
「ラファエルさんは緊張してるんですか?」
「それはもちろん。わたしはサットヴィアの代表として見られるわけだからね」
一国の代表者としてやってきたラファエルさんと、偶然召喚された異世界人の私とではルザリドへの感情にも違いがあるのだろう。
けれど言葉とは裏腹に、疲れはみえるけれどラファエルさんが緊張しているようには見えなかった。
私はまじまじとラファエルさんを観察する。
顔色は良くないけれど、その表情は柔らかい。
衣服は昨日見た物と違い多少薄手のもののようだけれど、やはり日本では見かけない大判の布を体に巻きつけるような服装だ。胸元には黒い石の飾りがある。こうやって改めて見ると案外整った顔立ちをしている。きっと若い頃はモテたんだろうな、となんとなく思った。日本的でないその顔付きも綺麗な髪も……
「あ、リンス」
「ん?」
私がつぶやいた言葉にラファエルさんが聞き返した。
ふとした動作に伴って前髪がさらりと横に流れるのが見え、その疑問は大きくなる。
「ラファエルさんって髪の毛、何かつけてます?」
「何かとは?」
「ツヤツヤのサラサラじゃないですか。うらやましい」
自分の黒髪の一房を指で遊びながら、私は唇を突き出す。
「今日だって朝から結構頑張って梳かしたので寝癖は大丈夫だと思うけど、髪の毛のパサつきだけはどうしようもなかったんですよ」
もう何日もリンスの無い生活をしてきたので、ブラッシング技術はかなり上がった気がする。
もともと少しくせっ毛なので朝起きると必ずどこかにしぶとい跳ね返りが発生するのだ。
リンスの偉大さを感じ入りながらの髪を梳かす作業は、実は毎日それなりの時間がかかっていた。
ルザリドに髪の毛はない。
そのため髪の毛のためのシャンプーもない。
とはいえ洗わないわけにもいかない。
ここ数日は本来体を洗う用の泡立つ木の実をかなり薄めて使っていたので、キューティクルもかなり傷んでいる気がする。
私の愚痴を一通り聞いた後、ラファエルさんが言った。
「薬油をつけたらどうだ?」
「薬油?」
「ああ、あまり量はないが確か持ってきていたはずだ」
そう言いながらラファエルさんは自分の荷物をあさり、小さな小瓶を取り出した。
ガラス製のようだけれど、あまり透明度はない。少し歪で茶色がかったガラス瓶の中に、粘り気のある液体が入っていた。
くれるらしいので有難く受け取り、私は蓋を開けてみる。
小瓶の中の液体は少し赤っぽい色が付いていて、柑橘系かな? 蓋を開けて漂ってきた香りはすっぱそうだった。
「頭を洗った後に、その薬油を薄めた湯ですすぐだけだ」
「洗い流さないんですね」
今日の夜さっそく使ってみることにしよう。
リンス、みたいなもんだよね。私が知ってるのと使い方が違うけど。
私はお礼を言って服についているポケットに小瓶を入れる。
「サラは女性だものな。やはり身だしなみは気になるようだな」
「そりゃそうですよ」
「女性にとって見た目が大事なのは異世界でも変わらないか」
ラファエルさんと話しながら腰のあたりにあるポケットを服の上から軽く叩く。
小瓶の感触を確かめた後、私は思い出した。
「あ、そういえばクラウスさんの見た目ってどこが怖いんですか?」
唐突に私の発した質問にラファエルさんが目を見開く。
「昨日、ラファエルさん言ってたじゃないですか。
クラウスさんの姿を見て怖がらないヒューモスはいないって」
「ああ、ルザリドの王の話か」
扉を一瞥するラファエルさん。
まだ誰も呼びにくる気配はない。
「――――そうだな。時間もあることだし、少しヒューモスから見たルザリドについて話すとしようか」
私は自然と椅子の上で姿勢を伸ばした。
ヒューモスからみたルザリドの話というのは初めて聞くものだ。
これまでこの世界で接してきたのがルザリドばかりだったのだから仕方がないことだけれど、きっとこの二種族間の交流を考える上で避けては通れない話題だろう。
お茶で口を湿らせた後、ラファエルさんは言った。
「ヒューモスがルザリドに抱く感情はサラも知っている通りあまり良いものではない。
おそらくルザリドがヒューモスに抱くものとそう変わりはないだろう。
特にラジャヌスでは、ルザリドを指して魔族と呼ぶ者も多いらしい」
「魔族?」
「ルザリドの蔑称だ。
ラジャヌスでしか今はもう使われないが、大昔にはルザリドをそう呼ぶことがどの国でも当然だった時代もあった」
ラジャヌス。
サットヴィアがゼリウンとの間にはいり、休戦協定を結ぼうとしている国だったはずだ。
「唯一そんなラジャヌスでだけ国教とされている宗教がある。
それがラーチャアヌス教だ。国の名の由来にもなっているんだが」
ラファエルさんの問う様な視線に私は首を横に振る。
そんな宗教、もちろん知らない。
「そうか……以前はサットヴィアでも信徒の多い宗教だった。
その教義の一つには、ヒューモス至上主義がある」
「ヒューモスしじょう?」
「簡単に言えばヒューモスこそがこの世界に愛された存在であり、導くべき指導者であり、他の存在はヒューモスに従うべきだ、という考えだ。
この教えではルザリドはヒューモスへと追従しない悪であり、排除するべき種族とされている。
ヒューモスを悪の面へと引きずりこもうとする邪神の使いだとも」
「なにそれ…………」
「ラーチャアヌス教からすれば、この国は魔族が作った認めることなどできない野蛮な国であり、その頂点に君臨するあの王は――――」
一区切りおいてからラファエルさんは言った。
「魔王だと言われている」
「なにそれ! 意味わかんないっ」
私は思わず椅子から立ち上がり、声を上げる。
ルザリドが魔族? クラウスさんが魔王?
彼らはヒューモスと何も変わらない。
仲間と笑い、友達と過ごし、家族を思う。
なのにそんな存在から頭ごなしに否定するなんて酷すぎる。
「サラ様、落ち着かれてっ、ください。
その、これは有名な話なのです」
すぐそばに控えていたレンが私の憤りに慄きながらも、私が立ち上がった衝撃で倒れたお茶のカップを拾う。
「あ、ごめん。でも、だっておかしいじゃない」
「そう、かもしれませんが、あの、かかってはいませんか?」
「……大丈夫」
レンはテーブルの上にこぼれたお茶を拭いてくれた。エリマキが多少広がっているので、怯えさせてしまったのかもしれない。
私は声を荒げないように少し低い声でレンに答えながら、拭いてくれている場所から体を退ける。
もうあまりカップにお茶は残っていなかったので飛沫が飛んだぐらいだ。
けれどカップを新しいものと取り替えてくれるつもりのようでジャスがお茶のポットと新しいカップをトアから受け取っていた。
それを立ったまま見つめながら、私は口を固く結ぶ。
頭を占めるのは、これからのルザリドとヒューモスとの関係だった。
「そうやってルザリドのために怒りを持つことができるからこそ、君はルザリドの理解者なのだろうな」
そう言ってラファエルさんは私に椅子に座るように言った。
私は椅子の背もたれを掴む。けれど座る気にはならずに、ラファエルさんを見つめた。
ラファエルさんはサットヴィアの人であって、ラジャヌスの人ではない。
ゼリウンはまずサットヴィアと友好的な関係を築いて、サットヴィアに間に立ってもらう形で最終的にはラジャヌスと休戦協定を結ぼうとしているのだと聞いている。
今回の召喚もそのための一歩だった。
けれど国教というからにはラジャヌスにはそのラーチャアヌス教を信じている人が大多数なのだろう。
そんなルザリドを、ゼリウンを真っ向から敵視するような人ばかりの国と本当に平和的な協定を結ぶなんてできるのだろうか。
ぐるぐると頭の中をそんなことが回る。
――――無理、じゃないの?
その結論を認めたくなくて固まったままの私に何を思ったのか、ラファエルさんは少し長い息を吐いた。
「わたしも完全に信じているわけではないが、ラジャヌスには邪神の姿を説明したと伝えられる碑が残っているそうだ。
碑の内容を写したというものが、ラジャヌスから送られてきたことがある。
確か――」
ラファエルさんは思い出すように中空を見上げる。
「白い肌に紅き眼。その者は闇と共にある――――だったか。
今のルザリドの王が立ったときは、サットヴィアでも一時騒然となったものだ」
理由はわかるね、と言われ私は下唇を噛みながら頷く。
白い肌も赤き眼も、間違いなくクラウスさんの容貌だった。
そのラーチャアヌス教を信じている人にとっては、そのことをどう感じるか――――。
私が何も言わずにいるのをどう思ったのか、長く深い息を吐きだしてからラファエルさんは言った。
「何度でも言うが、今はラーチャアヌス教を国教としている国はラジャヌスだけだ。
個人で信仰している者はいるかもしれないが、サットヴィアでは布教自体が禁止されている」
「……なんでですか?」
そう言えばサットヴィアがどうしてゼリウンと手を結ぼうとしているのか、私は知らない。
昔はサットヴィアでもそのラーチャアヌス教が信じられていたのなら、ルザリドへ抱く感情が良い物であるはずがない。
それなのに魔族と罵られているルザリドと、どうして?
ラファエルさんは優しげなまなざしで私を見つめた。
「昔、ヒューモスを救ったルザリドがいたからだ」
聞いたことがない話だった。
これも有名な話なのかと視線をむけると、テーブルを拭いてくれているレンは首を横に振った。
トアやジャスも何も言わなかったし、壁沿いに控えている他のルザリドも口を開かなかった。
あまりルザリドには知られていない話なのかもしれない。
私が続きをせがむと、ラファエルさんはまた私に椅子に座るように言った。
「女性をいつまでも立たせているのは、気持ちがいいものではなくてね」
ラファエルさんはそう言ってほほ笑む。
私が今度は素直に座るのを見て、ラファエルさんは話を続けた。
「救われたのはサットヴィアの王族だった。
ルザリドとの戦争の最中に王族の一人が、前線から突如その姿を消したことがあった。
ルザリドに浚われたのだと誰もが思ったそうだ。
戦争は続き、その王族の消息は誰もが諦めていた。
けれど十年の月日を過ぎ、その王族は戻って来た。
ルザリドの力によって送り返されたのだ」
「それは……今回みたいに転位陣で?」
「そのようだ。
転位陣という魔法陣も長年改良を重ねたらしく、今では意図した場所へと対象となる人物や物を運べるようだが、その頃は運ぶ先が安定しない危険なものだったらしい。
国に帰れるかは一か八かの賭けだったというが、それに勝ったのだろうな」
十年も故郷に帰れずに、ルザリドの中で過ごしたサットヴィアの王族。
その心の内は、どんなものだったんだろう。
「帰ってきた王族はルザリドとの関係改善に力を尽くした。
自らが世話になったと公言し、ラーチャアヌス教の教えも否定した。
反対も多かったそうだが、彼の熱心な働きかけによってサットヴィアでは少しずつルザリドへの感情が変わっていったんだ」
「それって、どれぐらい前の話なんですか?」
「そうだな……百年以上前、といったところか」
思ったよりもそれは昔の話だった。
それほど昔のことなら、もう当時のことを知るヒューモスはいないだろう。
私はその長さに驚いていると、ラファエルさんは「気の長い話だろう?」と私に同意した後、こう締めくくった。
「それが今、ようやく形になろうとしているんだ」
ラジャヌスがルザリドを忌み嫌っている理由を思えば、ゼリウンとラジャヌスが手を取り合う未来はまだ先かもしれない。
けれどサットヴィアでは、ルザリドを認めようとしてくれている。
それがわかっただけでも、私は嬉しかった。
「じゃあラファエルさんも知ってるんですね」
「ん?」
「ルザリド自身が悪い存在じゃないってこと。
その話が本当にあったことだって、ラファエルさんは思ってるんでしょう?」
今話してくれた彼の口調は穏やかなものだった。
眉唾物の話を語るような雰囲気ではなく、彼がその話を信じているのがよくわかった。
「本当だと言うのは間違いない――――――その王族の血は、わたしにも流れているのだから」
ラファエルさんは穏やかな口調のまま、そんなことを明かした。
ラファエルさんは公爵という位の貴族らしい。
ゼリウンから戻った王族の人はラファエルさんから見て直系の曾祖父にあたるのだという。
貴族のシステムがどういうものなのかは全然知らないけど、公爵という地位は王族の次に偉い位の貴族のことなんだって。大体が元王族で占められている位で、臣下へと下った人がなるらしい。
ここらへんは、らしい、だらけだ。貴族制度が日本にはないし、ラファエルさんから簡単に説明してもらっただけなのでいまいちよくわからない。
けれどラファエルさんがその王族の人の血縁であることはわかった。
「その王族を救ったルザリドがいなければ、わたしは今ここにいない。
この体に流れる血の恩義を返す機会に恵まれた幸運には感謝している」
そのために、とラファエルさんは表情を硬くした。
「まずは今日を乗り切らなければ、な」
そう言ったラファエルさんに、話が終わるのを待っていたようにトアが口を開いた。
「お時間の様です」
その言葉と共に、トアは廊下へつながる扉の取っ手を引いた。
そこには昨日も会ったフィッツバルトさんが立っていたのだった。




