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ウロコなラクエン  作者: 吉川 優
23/41

「夜のお出かけは気を付けて」


 そのまま王城を文字通り飛び出した。

 突風のような素早さで、トーカスハさんの巨体が昨日私の通った表門を駆け抜ける。


 門番のルザリドが驚いたように全身で飛び退いたのが見えた。

 彼らの声は私には聞こえなかったけれど、たぶんトーカスハさんと一緒だから止められることはないだろう、うん。

 私は遠ざかっていく門番ルザリドに向かって、力なく左手で手を振った。

 彼らの顔もすぐに見えなくなる。


 門から随分と離れてから、私はその手を下ろした。


 王城の傍は住宅地なのか、道を歩いているルザリドを見かけなかった。

 王城の中も外も意に介さず、変わらない速さでトーカスハさんは走り続ける。

 すっかり日が暮れた中、周囲の建物の発光の残滓すら、あっという間に王城への方向へと流れていった。

 私は担がれたまま、なんとかバランスをとって顔を上げる。


 目の前にあるのは王城だ。

 周囲の建物が比にならないほど大きかった。

 バルコニーが上階は段違いにいくつも配列してあり、どこが寝泊まりしている部屋かはわからない。

 遠ざかっているのに未だはっきりと見えるその全容は、想像通り四角かった。

 屋上には柵もなく、外壁は白くてツルツルとした光沢を持っているように見える。


 私は担がれたまま、静かに息を吐き出した。


 背後に星空を抱え、王城自身が光を放っている。

 空に光るどの星よりも、輝いているように見えるそれには、まるで夜の闇すらも近寄ることを許さない高潔さを。そしてどこか荘厳さを感じさせる。

 基本的に町中は馬車移動だったので、しっかりと王城全体を見たこと自体、これが初めてだ。


 これがルザリドの王が住む場所。

 そう思った途端、どこかで親しみを感じていたクラウスさんが、ひどく遠く感じられた。


「った……」


 目の前の景色に心奪われ、庇うことを忘れていた私の右手は、少しの振動で痛みを訴えた。

 けれどそれで現実に意識が引き戻される。


 私は軽く呻いてから無理やり体を捻った。

 俵担ぎにされ、右手を庇いながらでは、かなり無理な体勢だ。

 それでも私は王城から目を離し、トーカスハさんが進もうとしている方向を見ようとする。


 あたりにはちらほらと人影が見え始めていた。

 トーカスハさんが爆走しているこの道は随分と道幅があり、手を広げたルザリドでも十人は並べるだろう。

 もしかするとグルスタッフに向かったときに通った道かもしれないけれど、私には覚えがなかった。


 視線を遠くへと向けると、空は完全に星空になっていた。真ん丸な月が冴え冴えと輝く。

 そんな中、その明るさに劣らぬ光がエンフォーレの町中の建物から発せられていた。

 多少の違いはあれど、ほとんど同じような四角く白い建物が両脇に並び、あたりを照らす淡い光が闇を遠ざけている。

 王城内とは違い、屋外では光の強い場所と弱い場所があるようで、その光はどこか不安定だ。

 けれど歩いている数人のルザリドの鱗に光が反射して、その光のムラのせいで余計に煌めいているように見えた。


 私の世界で普段、夜に遠目から見る街灯の明かりや他の家の照明とはどこか違う。

 田舎のお祖父ちゃんの家から見える、夜空に照らされた田畑とも違う。


 闇の中に白い光に包まれた町。その中で暮らす幾人ものルザリド。

 それはとても幻想的な光景に思えた。


「……きれー」


 思わず漏れたその言葉に、途端トーカスハさんの足が止まった。

 停止の衝撃に息を詰める。

 右手の痛みを覚悟したけれど、それは運良くやってこなかった。

 軽く右手を押さえてから、私はトーカスハさんに問いかける。


「どうかしました?」

「いや――――その手は大丈夫か? ずいぶんと痛そうだな」


 トーカスハさんはそう言ってから、私の腰を掴む。

 まったくの振動を感じさせない動きで、私は地面に静かに下ろされた。


 私はそのまま、地面にへたり込む。

 今まで気づいていなかったけれど、トーカスハさんのあまりにも高速な移動に緊張していたのか、体全体に力が入らない。


 ……なんだろう、この既視感。


 私はそう思いながら、自分の右手を見た。

 軽く指を曲げようとするだけで、筋が強張るような痛みが走る。

 私はそれに思わず息を止めた。やはりまだまだ治りそうにはない。


 こちらを見つめているトーカスハさんに私は言った。


「前にトアが、アルとトーカスハさんはそっくりだって言ってたんですけど、その通りですね」

「おお、そうか!」


 私の言葉を聞いて、トーカスハさんは嬉しそうに上を向いて、舌をシュルっと鳴らした。


 別に褒めてないんですけど、これ。

 女の子を俵担ぎにするのは、親子そろってやめていただきたい。


 もちろん一般的に、ルザリドには理解できない感覚なのはわかっている。

 私はいろいろと言いたいことを飲み込んだ。


 そしてもう一度トーカスハさんを見上げた。


「……もしかして喜んでます?」

「ああ、あやつは我の自慢の息子だからな」


 そう言ってトーカスハさんは、何の前触れもなく私の両脇に手をいれた。

 反応できずにいると、そのまま引き上げられた。

 私は唐突に動かされたので、右手を固定しきれず、あまりの痛みに顔が引きつる。


 トーカスハさんはそれに気づいているのかいないのか、私を持ち上げきった。

 当然私は両足を中に浮かせる。ぶらぶら。


 …………うん、やっぱり親子だ。この二人。

 このまま町中を動かれてはたまったものではない。

 私は慌てて地面に下ろしてくれるようにトーカスハさんに頼む。

 すると彼は息子とは違ってあっさりと下ろしてくれた。


「あやつが我をどう思っているかは、わからんがな」


 そうして地面に私の足がついたとき、トーカスハさんはつぶやくように言った。

 右手の痛みに耐えながら、その言葉に私が彼を仰ぎ見る。

 けれどトーカスハさんは進もうとしていた方向に顔を向けていた。


「約束があるので急いでいたが、ここからならお主の足でも間に合うだろう。

 この町を歩いてみるか?」

「えっ、いいんですかっ?」


 思わぬ提案に私は心が躍る。

 グルスタッフへの行き帰りで特に町中は、安全上の問題があるとリーゼに言われ、ほとんど馬車外には出してもらえなかった。

 けれどトカゲの住む町というのをぜひとも歩いてみたいと、ずっと思っていたのだ。


「ああ。だが我から離れぬように頼む」


 目的地はそれほど離れた場所ではないらしい。

 町中にある飲食店に連れて行くつもりなのだという。


 トーカスハさんはそう説明しながら、私を促した。


「少し話をしたいこともあるのでな」


 私は頷くと、トーカスハさんの隣に並んだ。

 こうやって横に来ると、やはりトーカスハさんの大きさがよくわかる。

 彼の顔を見上げると首がコキっと小さく鳴った。


 私は周囲を通るルザリドを見回す。

 建物の光が良い感じに鱗に反射して、つい頬が緩む。

 やはり夜、このエンフォーレの町中にいるルザリドは、光と共に相まってより美しいように見える。


「話ってなんですか?」


 若干早足で私は歩きながら聞いた。

 王城からはまだ道をまっすぐに進んだところだけれど、王城に一人で戻る気にはならない。

 ここまであっという間だったけれど、かなりの距離はあるだろう。

 はぐれてしまわないように、私は視線は周囲に向けながらも、トーカスハさんの歩調に合わせるように意識した。


 少し黙ってから、トーカスハさんは口を開いた。


「なにか、困っていることはないか?」


 今。現在。まさにこの時、あなたの行動に困っています。


 私は正直に答えるのはやめておいた。


「……みんな良くしてくれてますし、特には」

「そうか」


 トーカスハさんの返答を聞きながら、私は周囲を楽しく観察していた。

 歩く振動で右手が痛まないように、右手の手首あたりを左手で掴んで、お腹のあたりに引っ付けて固定して歩く。

 しっかりと包帯のまかれた右手は、こうしておけば変な衝撃が加わらないので痛みが少ない。


 トーカスハさんは迷いのない足取りで、路地を曲がる。

 私はそれに遅れないように付いていくと、今まで歩いてきた道よりも随分と狭い場所だった。


 日本の道なら、それほど狭くはない。

 ルザリドが三人横に並べば、自転車では横をすり抜けられないぐらいかな?


 私は道幅が変わった街路を興味深く見回していた。

 周囲の建物はやはり四角く白い。

 それほどさびれた道にも見えないので、先ほどまでの道が広かったんだろう。


 トーカスハさんはそんな私を一瞥すると、何事もなく歩き始めた。


 で、……………………………え、それだけ?


 トーカスハさんからまだ続きがあるだろうと思っていた私は、彼の言葉を待っていた。

 けれどいっこうに続きの言葉はない。

 二人とも沈黙を守ったまま、しばらく歩く。


 先に沈黙を破ったのは私だった。


「トーカスハさん? 何か気になることでもあったんですか?」


 私の問いかけにトーカスハさんは首を横に振る。


「いや。我にはない。ないが、ある者もいる、のだろう」


 ものすごく歯切れの悪い言葉が返ってきた。

 どういう意味かを問うと、トーカスハさんは首筋の筋肉を震わせた。

 それと共に黒い鱗が光を反射する。


 ああ、やっぱり綺麗だ。


 私が光に照らされたトーカスハさんの鱗を楽しんでいると、彼がまた口を開いた。


「アルが、だな。

 我らに主のことを頼んできたのだ」

「アルが? 我らというと……」

「我とピューレのことだ」


 そういえばグルスタッフに行く前に、アルはトーカスハさんとピューレさんに私のことを話したと言っていた。

 その話か、と私が納得していると、トーカスハさんは光彩が銀色のふちどりを持つ爬虫類的な瞳で私を見下ろした。


「あやつが我らに自ら関わりをもつことなど、今までになかったのだ」


 思わず目が合う。

 その眼球は全体的に黒い。

 銀の糸を縦に二本引いたような瞳に、私の姿が映っている。

 瞳の中の私は首をかしげた。


「え、でもアルって二人の息子さんですよね?」

「そうだ」


 そう言ってトーカスハさんは私から目を逸らした。


「だが我らは、アルの親としては失格だ。


 あやつが言葉をいつ話したのか、いつ成人したのか。

 そしていつ軍人として剣を取ったのか。

 何も、知らん。


 そのことに気づいたこと自体が、つい数年前の話だ」


 再びトーカスハさんは角を曲がる。少し広めの道に出るようだ。

 トーカスハさんは低いけれど、不思議な響きを持つ声で続けた。


「我もピューレも、ヒューモスとの戦では最前線におった。

 アルが卵から孵ったのは、その戦が最も激しかった時期だ。

 つまりあやつは子供の頃、己の親と一度も過ごすことなく育ったのだ。

 だからこそ我らも親としてどう接すれば良いのかわからず、成人したアルとは距離を取っていた」


 初めて聞くアルの生い立ち。

 私は心の中で、小さいアルが不安げに周囲を見回している風景を思い浮かべようとしていた。

 なんだか……想像がつかない。


「この前そのアルがわざわざ我の元へやってきた。

 サラ。お主のために頭を下げていったのだ。

 何かあれば力になってやってくれ。

 そう、言っていたな」


 何と言っていいのかわからず、私は黙ってトーカスハさんの言葉を聞いていた。

 トーカスハさんの歩調はけして緩やかではない。

 けれど話が理解できないほど早足をする必要があるほどでもなかった。


 周囲にはいくつかの飲食店らしき建物が見え始め、道を歩いているルザリドも増えてきた。

 私とトーカスハさんを見てぎょっとしたように体を引くルザリドにも、数名すれ違った。


 けれど周囲のことはあまり気にならなかった。

 トーカスハさんの話に、私は耳を傾ける。


「どんなヒューモスかと思っていれば、何のことはない力もないただのヒューモスの娘だったので驚いたがな」


 そう言ってからトーカスハさんは肩をすくめる。


「だがだからこそ、アルはお主に力を貸すのかもしれん」

「私に力がないから…………」


 私の反復に、トーカスハさんは再び私を見つめた。


「アルは我らが戦場から戻ってこない間、エンセル様に育てられた。

 あの方は、ご自分も魔術長として度々戦場においでになる立場ですらあったのに、親ルザリドを失った者を集めて養育もしていたのだ。

 確かクラウスの坊主や、今の魔術長補佐も、そのころアルと共にあの方に育てられたはずだ」

「クラウスさんと……リーゼが?」


 私は彼らの過去に多少の驚きを隠せずにいた。


「以前、そのクラウスの坊主に言われたことがある」


 そう言ってから、トーカスハさんは舌を出した。


「我らは友だと」


 トーカスハさんの声はどこか嬉しそうな声だと私は感じた。

 戦争で辛い立場になった者たちを、エンセルさんは集めた。

 特に未だ大人と認められさえしない、幼いルザリドを。

 そんな境遇の中で出会った彼らだ。友人になるのは当然なのかもしれない。


「クラウスの坊主が王位に着くときも、アルは力を貸したと聞いている。

 力の必要な者に手を貸したいと思える男に、あやつは成長したのだろう。

 我らが道を示したわけではなくとも、その成長には親として喜びすら感じる」


 だからこそ、ともう一度トーカスハさんは言った。


「アルはお主に力を貸そうとするのだろう。

 その上で我らを頼ってきたのであれば、これほどまでに嬉しいことはないと思わんか?

 親としてどういう顔をすれば良いのかはわからずとも、子が頼ってきたのであれば手を貸したいと思うのが親というものであろう?」

「それで私と一緒に食事、ですか?」

「我らルザリドのことを知ることができる場所へと案内することが、サラ。お主への助力になると思ったのだ」


 私の問いに、トーカスハさんは満足げに頷く。

 どうにかしてアルの頼みに応えたいと思ったトーカスハさんは、私への手の貸し方を今朝、思いついたのだという。


 …………やっぱり思い立ったが吉日なのね。


 私はため息をつきたくなるのを、なんとか抑えた。

 するとトーカスハさんは足を止めた。

 目的地についたらしい。


 周囲を見回すと、王城の傍よりも随分人通りが多い場所のようだ。

 いくつもの建物から、大きな話声がして辺りはざわめいている。

 調子っぱずれな鼻歌を歌いながら遠ざかっていくルザリドや、数人集まって話をしているルザリド。

 道沿いに並べられたテーブルで、カップに口をつけているルザリドもいる。

 にぎやかな雰囲気のこの場所は、どうやら居酒屋のような店が集まっている界隈らしい。


 彼は私の様子をうかがうように見てから、目の前の建物を指し示す。


「我の行きつけの店だ。


 料理もうまい。客も店の者も、気の良い者が多い。

 中にはルザリドが多くいるだろうが、前もって店主には話をしてある。

 ヒューモスであることは気にせんでよいぞ」


 そこは周囲と変わらない白い四角い建物だった。

 閉められた扉の隣に、何かが書かれた大きな木の板が立てかけられていた。看板だろう。


 迷わず扉を開け、建物の中に入っていくトーカスハさん。


 その後ろ姿越しにちらりと見えた建物の中に、私は体を固めた。


「あの……」


 確かめたいけど、確かめたくない。

 私は言葉にしかけた疑問を止めた。

 トーカスハさんの言葉通りなら、ここは食べ物を提供してくれるお店なのだろう。


 でも一瞬、見えてしまった。


 店の中を飛んでたハエのようなものは、食べ物扱いじゃ、ない、です、よ……ね?


「サラ、早く来い。我は腹が減った」


 店の中から私を呼ぶ声がする。

 私はトーカスハさんの有難すぎる配慮に、涙が出そうだった。






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