「謎は全て解けた。犯人はお前だっ」
「パン?」
「はい、パンです」
「聞いたことないわね」
夕食後、私はトアとジャスを連れて厨房にやってきた。
全員で押しかけても大変だと思ったので、レンには部屋で待ってもらっている。
厨房の中は皿や調理器具を洗っているルザリドと、まかないらしきご飯を食べているルザリドがいるだけで、先ほどのピリピリとした空気はない。
作業台の傍の粗末な椅子に座りつつ、私とバルトスさんはパンについて話をしていた。
というかこの椅子、足がちょっと長いんだよね。
ルザリドに合わせて作ってあるんだろうけど、足がぶらぶらしてちょっと怖い。
「どんな料理なの?」
「私も詳しくは作り方がわからないんです。
元の世界にいたころは、お金を出せば完成したものが買えたので」
「それじゃあ作りようがないわね」
「あ、でも小麦粉を使うのは確かなんです」
私の言葉にバルトスさんは変な顔をした。
「小麦粉? あんなもの繋ぎやとろみをつける以外に何か使い方があるの?」
「たぶん小麦粉にバターとかを混ぜて高温で焼いたものが、パンです」
「……あっさりと大変なレシピを言ってくれるわね」
バルトスさんは天を仰ぎながら言った。
「え、大変ですか?」
大体のイメージを伝えれば、できるかな?ぐらいにしか思っていなかったので、私はバルトスさんの反応に戸惑う。
「バターというのは味がすごく濃いの。
ヒューモスは知らないけれど、口に含むこと自体たいていのルザリドは嫌がるのよ。
それにバターはとっても高級品。
料理に使うなんて私は聞いたことがないわ」
ルザリドはバターを薬として用いているらしく、食用にするという考えはバルトスさんにはなかったようだ。そして薬としても、その味のせいであまり需要がないという。
需要もなく、生産量も少ない。結果、流通する値段も上がるから、余計に皆使わないらしい。
そう言われればグルスタッフでモウン乳を飲ませてもらったけれど、それはこちらからお願いした一度だけだった。
その食事以外には一切出てきていない。
確かバターは牛乳から作っていたと思う。
この世界ではモウン乳で作ることになるんだろう。
モウン乳自体がすでに珍しいらしいので、その加工品であるバターなど、さらに珍しいに違いない。
「それから」
と、額のあたりを押さえるようにバルトスさんは指を動かす。
「材料がそれだけとは限らない上、もし材料がそろったとしても高温で焼く、というのがねぇ」
「え、オーブンとかないんですか?」
「オーブンってなによ?」
「えと、窯、とか?」
「ああ、南の方ではそういう調理器具があるけれど、王城にそんな設備はないわ」
ルザリドは、熱々の食べ物を食べる文化というのがないらしい。
思い出してみれば、今まで食卓に上っているものはほぼ手づかみだった。
オーブンで焼いたグラタンなんて食べれないだろう。
「調理器具にも文化ってあるんですねぇ」
私がしみじみというと、バルトスさんは当たり前だというように鼻を鳴らした。
「あたしが若いころは、一人で大陸中を転々と旅をしたもんだけれど、やっぱりいろんな調理法もあれば、調理器具もあったわ。
ヒューモスの文化だって、きっとルザリドのように場所によっては違うでしょう」
「旅をしたって……バルトスさんって料理人ですよね?」
「料理が好きなだけよ。もちろんそれなりに上手くは作れるけどね。
ルザリドにはもともと美食家が多いから、みんな簡単な料理ぐらいできるわ。
あたしはよりおいしいものが食べたくて、いろんな料理を見るために旅をしたことがあるの」
……あれで、美食?
私は虫料理を思い出す。
味がまったくしないんだけど、あれを美味しいと認識するルザリドの感覚を否定したいわけじゃないんだけど……あれが、美食?
「なにか言いたげね?」
「いえ、別に」
これに関しては議論しても仕方がないんだろう。文化の違いだ。
私は諦めて首をふる。
バルトスさんはそんな私に対して、片目を軽く閉じた。
「旅をしていると、不埒な輩に絡まれることも多くてね。
それで悪い奴を〆てたら、どうやらそれが手配されている悪人だったらしくて。
王城に来たのはそいつを引き渡すためだったの。
案外いい職場だから、そのまま料理長になったってわけ」
いろいろ突っ込みどころはあるけれど、私はあえてそれを飲み込んだ。
そして無難だと思われる言葉を口から出す。
「女性の一人旅は危ないですから。気を付けてくださいね」
けれど私のこの言葉に、バルトスさんは私の顔をまじまじと見つめた。
そして、
「あっはっはっはっはっはっは……そう、女性の一人旅、ね、はっはっは」
大笑いされた。
「何がおかしいんですか?」
私は何もおかしいことを言った覚えがない。
けれどトアが後ろから、私の疑問に答えてくれた。
「サラ様。料理長は男性です」
えっ。
私が驚きつつバルトスさんを見ると、彼は口を押えて笑いをかみしめつつ言った。
「いいのよ。ヒューモスにはルザリドの性別の見分けがつかないってのは知ってたから。
でも女性、ねぇ―――くくっ」
「だ、だって喋り口調とか女性だし、仕草も」
「ルザリドは普段、別に男女の区別をしっかりつける必要がないのよ。
繁殖期に、誰が男で誰が女かさえ分かればいいわけだしね。
だからあたしがこういう口調や仕草をするのは、ただの好みなの。
おわかり?」
「同じルザリドとして言わせていただければ、料理長はどこからどう見ても男性です」
バルトスさんに続いて、最後にトアがもう一度バルトスさんの性別を保証してくれた。
なるほど。
つまりヒューモスで言うなら、筋肉ガチムチマッチョのスキンヘッドに顔髭ぼうぼうな男の人に「女性の一人旅は――――」なんてことを私は言ったことになるのか。
それは笑うよねぇ~。
「今、何か失礼なこと考えなかった?」
「とんでもございませんっ」
女の勘、というわけではないだろうに、バルトスさんの鋭い問いかけに、私は姿勢を正した。
どうやら私の世界でオネェと呼ばれる人とはすこし違うみたいだ。
バルトスさんに女性への憧れのようなものは感じられない。
バルトスさんは男の人。生粋の男性。イメージはマッチョ、と。
私は顔に出さないように、バルトスさんの性別をそんな風にして飲み込んだ。
「とにかくそのパンとやらを作るにしても問題点が多いわ。
材料に、調理器具、詳しい作り方がわからない……」
バルトスさんはうなった。
「あとは時間ね」
「時間?」
「ヒューモスがくるまで時間がないわ。今日は徹夜するしかない」
徹夜はお肌に悪いのに、とぶつぶつ言いながらバルトスさんは考えをまとめるように目を閉じる。
なんだろう、最後のセリフ。すごく鬼気迫ったものを感じた。
オネェとは違うと思いながらも、私は彼をやはりこう呼びたくなった。
オネェさま、と。
バルトスさんがこちらをぎろりと睨む。
「なんとかやってみるわ」
「ほ、ほんとですかっ?」
私は考えていることがばれたのかと一瞬声が上ずった。
けれどバルトスさんの言葉が意外だったのは確かだ。
かなりの無茶だとバルトスさん自身が言っている。それなのに対応してくれるつもりらしい。
私の声に応えずにバルトスさんはつぶやいた。
「ピューレには睨まれたくないからねぇ……」
どこか遠い目をするバルトスさん。
……ピューレさん、何したんですか?
バルトスさんはもうしばらく唸ったあと、考えを整理できたのか立ち上がった。
黙って厨房内を移動し、小さな棚から何枚も紙が綴じられたノートのようなものを取り出す。
かなり黄ばんでいるその紙束の中には、文字の様なものが簡単な絵付きでいくつも書かれている。
バルトスさんが旅をしている間などに書き付けた、地方料理の調理法――――レシピらしい。
ちなみにこの世界の紙は、私の世界の上質紙のような物が主流のようだ。
ピューレさんの手帳の紙も、見た目はコピー用紙のような質感だった。
それに文字を書くために使用するのは、持ち手の形状がボールのように丸いボールペンらしき物だ。
そのボールペンと新しい紙を、バルトスさんはノートと一緒に持ってきた。
一旦新しい紙とボールペンを作業台の隅に避けて、バルトスさんは古そうなノートをめくる。
「これよ。あんたの話の中ではこの料理が一番近いと思うわ」
壺の様な形の入れ物の下に火がおこっている絵と、完成形と思われるコロコロとして丸い物体の絵が描かれたページだった。でも見せられても文字が読めない。
私がそう言うと、バルトスさんは声に出して説明してくれた。
「まずモウン乳を火にかけるのよ。
そこに材料を放り込んで、全てが混ざり合うまで温め続ける。
生地に粘度がでてきてから火を止めて、冷ました生地を作りたい大きさにちぎって丸めるの。
あとは焼くだけ」
そう説明されると随分簡単そうに聞こえる。
私がへぇ、と声を上げる。
ルザリドの料理にはパンはないと思っていたけれど、結構近いものがあったらしい。
あまり知名度はない料理なのか、今まで誰に聞いてもわからなかったけれど。
「あたしも作ってもいないし、食べたこともないのよ」
バルトスさんはそう言いながら、レシピのページをなぞる。
その指の動きがまるで壊れ易いものを恐る恐る触れているように感じられて、私はバルトスさんの表情をうかがった。
彼は私の視線に気づいたように、一度だけ、音もなく舌を出した。
「この料理を作っていた奴は、戦争で死んだわ。
このページのレシピはそいつが書いてくれたものよ」
鱗に覆われた手の平が、ページの上で何かを握りこむように閉じられる。
「今度会うときは、実際に作ってくれると言っていたのに」
私は何も言えず、ノートに目を落とした。
私には読めないこの文字を―――――
何が描いているのかわからないこのレシピを―――――
――――書いたその人は、もうこの世にはいないのだ。
これは誰かの形見だ。ルザリドとヒューモスとの戦争で亡くなってしまった誰かの。
バルトスさんの言葉から察するに、きっと彼と親しかった人。
それをヒューモスのために――――私のために、出してきてくれたバルトスさん。
「このレシピを」
「ん?」
私が口を開いて止めた言葉に、バルトスさんが目を見開く。
聞くのに躊躇する。けれどこれは聞いておかなくてはいけない。
「このレシピを使っても、いいんですか?
本当に……バルトスさんは大丈夫ですか?」
「……あんた、優しいね」
バルトスさんの目が細められる。
舌を出してはいないのに、微笑まれているような気がした。
「虫なんか食べたくないって言ってると聞いたから、どんなワガママなヒューモスかとばかり思っていたわ」
そうだ。
王城にいる間、私の食事を作ってくれていたのはこの人だ。
私はそのことに思い至る。
「少し困らせてやろうと思って、虫料理を毎回の食事に出してやってたのに……これじゃあなんだか、あたしが馬鹿みたいね」
そんなこと考えてたんですか。
道理でいくら虫を出さないでと言っても、絶対に二品ぐらい虫が出てきていたわけだ。
私が反応に困っていると、バルトスさんはシュルシュルと舌を鳴らした。
「いいのよ。レシピは使わなきゃ、ただの知識。
こんなことがなければ、あたしもこのレシピを埋もれさせていただけなんだから」
それに、とバルトスさんは続ける。
「詳しいことは教えてもらえなかったから、試行錯誤が必要なのに変わりはないしね」
彼が言うには材料の内容や配合量、焼き上げに必要な時間などはレシピには書いていないのだという。
けれど大まかにではあっても、作り方が示されているだけでかなり違う。
似たような料理がこの作り方で、少なくとも一度は作れたことがあるということなのだから。
材料が一から違うこの世界で、私のあやふやな知識なんて一切あてにはできない。
「ありがとう」
私はそれ以上言わなかった。
バルトスさんはいろんな思いを飲み込んで、きっとこのレシピを見せてくれた。
だからそれ以上の言葉は、必要ない。
「さっそくだけど、そのパンとやらを作るためにやるべきことを確認していきましょうか」
バルトスさんはそう言って、隅に寄せていたボールペンを手に取った。
大きな手に握られたそれは、それなりの大きさがあるはずなのにしっくりとくる。
彼はいくつかの文字列を新しい紙に書きだす。
「やらなきゃいけないのはこの四つね」
○調理器具(窯)の製作
○材料の調達
○細かい調理法(材料の配合量・調理手順)の決定
○調理
後ろから覗き込んでいたトアが読み上げてくれた。
彼はこの四つに関して、細かい部分を書きだしているらしい。
私は慌てて口を開いた。
「材料の調達は、昨日まで私グルスタッフに行ってきて、必要になりそうな量の小麦粉とかモウン乳とかを持って帰ってきてるんで、大丈夫だと思います」
「あら、そう。窯もたぶん、今あるコンロを使ってなんとかできると思うのよ」
バルトスさんと口々に自らの意見を言い合い、それをバルトスさんが紙に書きつけていった。
一段落してから、私はジャスにたぶんリーゼが預かってくれているパンの材料を取ってきてくれるようにお願いする。
「わかった」
短い返事の後、ジャスは厨房を出ていった。
私はその後ろ姿に、驚きを抱く。
ジャスの態度が、最近少し変わってきている気がする。
前は私の頼みごとを聞いてはくれても、返事が返ってくることなんてほぼなかった。
少しは認めてくれているんだろうか?
ジャスが出ていく姿を見送った後、私は口元がほころぶのを抑えられなかった。
ちなみにですが、手作りバターは牛乳ではなくクリームから作る方法のほうが良いようですね。
日本の一般的に流通している牛乳ではバターを作ることができないそうです。成分やら何やら詳しいことはわかりませんが。
本文中でサラが考えている内容は彼女の知識によるもので、ただしいとは限りません。
あしからず。
と弱腰作者は逃げ道を作っておくのであった。




