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第9話 直せないものは、手を止めて見ます

 エステルさんが帰ったのは、パンが冷めたころだった。

 左の肩が、鎧の重さで少し下がっている。


「先に食べていてください」

「もう食べました。これ、あなたの分です」


 皿を指すと、彼女はようやく椅子へ座った。

 パンを割る指に、擦れた跡があった。


「肩の金具、直させてもらえませんか」

「今の紐でも使えます」

「使えても、右と重さが違います。片方だけ肩に食い込むでしょう」


 彼女は鎧を見た。

 そのまま少し考え、明朝ならと言ってくれた。


 翌朝、鎧を工房へ持ってきてもらった。

 金具の芯が折れ、布の下に残っている。

 俺はボルドさんの作った小さな部品を合わせた。

 肩を上げても、金具はきちんと動く。


「軽い」


 エステルさんが、自分の肩を何度か回す。


「鎧の重さは変わってません。左右で分けて受けるようになったんです」

「……不思議です。同じものを着ているのに」


 俺は道具を戻した。

 すると彼女が、次の紙を出した。

 見回りの順番と、商人が来る日の護衛の配置だった。


「今、守備兵は七人です。工事の見張りも増えましたので、私が夜を――」

「今週、何晩眠れましたか」


 彼女の指が止まった。

 俺は聞き方が悪かったと思った。詰め寄りたいわけではない。


「この砦へ来た日に、俺が落ちないよう止めてくれましたよね。俺も、気になるんです」

「夜に何か来たら」

「そのために鐘と門を直します。人を増やすまで、俺が夕方の見回りに一緒に行く。戦えないので、兵の代わりにはなれませんけど」


 彼女は窓の外を見た。

 ハチが日光の当たる場所で座っていた。

 兵士の二人が、その足元で道具を研いでいる。


「以前、守れなかった村があります」


 小さな声だった。


「人を呼びに行って戻ったときには、家が燃えていました。ここに残ったのは、そのときの人たちです」


 俺は鎧へ目を落とした。

 金具は直せる。

 けれど、この話を聞いてすぐに彼女を安心させる言葉は、持っていなかった。


「覚えているうちは、心配ですよね」


 彼女は一度だけ頷いた。


「でも、俺もこの砦で暮らす人間です。今日のことは、一緒に考えさせてください」


 その日、エステルさんは午後の見回りをダンさんに任せた。

 眠る前に、何度も紙を確認していた。

 俺は彼女の部屋の外へ、修理した小さな呼び鈴を置いた。

 食堂まで線を通した簡単なものだ。何かあれば、呼べる。

 使う必要がなくても、そこにあっていい。


 午後、砦の中心にある閉鎖された塔を調べた。

 階段の下に、巨大な魔導炉があった。

 丸い金属の台に、三つの環をはめる溝がある。

 二つは残り、もう一つが空いている。


〈黒鐘主炉 第三環欠落〉

〈二環起動 制限時間六十呼吸〉


 壁へつながる線は、広場の照明や地下の設備まで伸びていた。

 ただの暖房装置ではない。

 俺は入口を開けたまま、皆を近づけないようダンさんに頼み、少量の魔力で試した。


 壁の内側で、青い光が一瞬走った。

 砦の窓に、小さな光が次々と点る。

 地面から低い振動が伝わった。


 五十呼吸で、俺は自分から止めた。

 台の温度が上がり始めていたからだ。

 第三環なしで続けてはいけない。


 切ったあと、裏側の管から黒い粉が少し落ちた。

 門の外で拾った石に付いていたものと、色が似ていた。


 夕食のとき、エステルさんが塔の光を見たと言った。

 いつもより、声に張りが戻っていた。


「砦全体が、明るくなりましたね」

「まだ、短い時間しか使えません」

「短い時間でも。昔の砦を見られた気がしました」


 俺は足りない環の溝を描いた紙を、机の上へ置いた。

 いつかあの光を、一晩中灯してみたいと思った。

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