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第29話 領主が休んでも、工房は止まりません

 俺が休む日に、工房が止まった。

 見習いのフィンが、困った顔で家の前へ来た。


「蒸し鍋の表示が、前と違うんです。壊れているか確かめないと、触れなくて」


 固有スキルを持っているのは俺だけだ。

 診断した結果を図へ写しても、初めての壊れ方なら自分では調べられない。

 それが、いつの間にか全ての仕事を止める理由になっていた。


 俺は靴を履きかけた。

 隣で朝食を用意していたエステルが、俺を見た。


「今日は、丘へ行く約束でした」

「一つだけなら、すぐ」

「一つで終わらなかった日を、私は知っています」


 彼女は怒っていなかった。

 その代わり、俺をまっすぐ見ていた。

 俺は靴を脱ぎ、フィンに椅子を勧めた。


「その鍋、前に直したのと同じ型?」

「はい。温度の光が、つかないんです」

「光を出す部分と、温度を調べる部分は分かれている。そこを覚えてる?」


 フィンが少し考えた。

 俺は紙を出し、彼に図を描いてもらった。

 どこまで知っているかを見る。

 ただ、正解を俺が書くのではなく、確かめる順番を一緒に決めた。

 危ない熱源へ手を入れないこと。動力を切ること。外せる部品から見ていくこと。

 その型は、部品の役割がすでにわかっていた。


 フィンは紙を持って工房へ戻った。

 昼前、今度は笑って家へ来た。


「表示の線だけ、切れていました。鍋は温まっていたんです」

「見つけたの?」

「はい。ボルドさんに、つなぎ方を見てもらいました」


 俺は胸の奥が、少し軽くなるのを感じた。

 自分が呼ばれなくなったことが、寂しいのかと思っていた。

 実際は、その逆だった。

 今日の午後を、エステルと過ごせる。


 その夏から、週に二度、工房で教える時間を作った。

 固有スキルの使い方は教えられない。

 けれど、道具の使い方と、正常な動きの見方は教えられる。

 診断でわかった仕組みを図にして、同じ品を調べるための資料へ残す。

 壊れた部分が見えなくても、音や動きで異常に気づけることもある。

 皆が少しずつ、故障を見つけるようになった。


 ボルドさんは金属の扱いを教えた。

 ゼンさんは木材を、ミナさんは仕事の受け方を教える。

 材料費より安く受けてしまえば、次の仕事ができなくなる。

 技術だけで店を続けられるわけではないと、彼女は説明した。


 王国でも、専売局の仕事が変わり始めていた。

 他人の技術を集めるだけでなく、設備の安全を調べ、古い記録を公開する部門ができた。

 アイナさんは砦と王都を行き来し、黒鐘の仕組みをまとめている。

 ミレイユさんは、ときどき予告なく井戸を使いに来た。

 今度は作業着を見るだけで、誰かわかった。


 ハチにも、点検の札を付けた。

 充電する日、運ぶ荷の重さ、腕の動き。

 俺がいない日に不具合があれば、止めて待つ。

 誰も、止めた人を叱らない。


 ある午後、ハチが仕事の途中で座った。

 目の光は、まだ十分にある。

 トトが顔の前で手を振ると、低い声が返った。


『休憩、実施』


 誰が教えたか、俺はすぐわかった。

 エステルが工房の戸口で、こちらを見て笑っていた。


 前世の工場で、俺は自分がいないと駄目だと思っていた。

 壊れたものを見つけると、休むより先に手を伸ばした。

 この世界でまで同じことを続けたら、せっかく手に入れた日々を自分で狭くしてしまう。


 今は、フィンたちが工房にいる。

 井戸の点検札は、住人が書き換えてくれる。

 夜の門には、エステルが育てた兵たちが立つ。

 全部を俺が見なくても、砦は続いていく。


 休みの日、二人でまた丘へ上った。

 エステルが俺の手を取った。

 今度は工具箱を置き忘れたかどうか、確かめなかった。

 遠くで水車が回る。

 その音の届かないところで、俺は彼女の話を聞いた。

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