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第28話 修理の依頼ではない話を、ひとつ

 春になった。

 俺は十九歳になり、リーネは王都の学校へ入る準備をしていた。

 妹は魔導具の記録と会計を学びたいという。

 領主の娘が工具の図を読むのは変かと聞かれ、俺は首を横に振った。


「かなり便利だと思う」

「じゃあ、次の手紙には図を入れてもいいわね」


 彼女は笑った。

 見送りの日、ハチが荷物を門まで運び、妹はその石の手を撫でた。


 雪が消えると、畑の準備が始まった。

 魔狼の姿は、以前よりずっと少なくなっていた。

 滓を流し戻す主炉は、毎日点検している。

 それでも森へ入る人には護衛がつく。設備があるから、外の世界まで安全になるわけではなかった。


 エステルさんは新しく雇った兵を訓練していた。

 俺は鍬の柄を直しながら、それを見ていた。

 彼女が剣を振ると、裾の短い上着が風を切る。

 厳しい声で足の位置を指摘したあと、できた人にはちゃんと頷く。

 以前より、後ろを振り返る回数が減っていた。


 訓練のあと、彼女が工房へ来た。

 俺は修理の依頼だと思い、机を空けた。


「今日は、道具ではありません」


 そう言われた瞬間、妙に背筋が伸びた。

 何か重大な問題があったのだろうか。


「休暇を、一日いただきたいのです」

「もちろん。いつですか」

「明日。できれば、ルーク様も」


 名前で呼ばれた。

 俺は彼女の顔を見た。

 エステルさんは、今さら領主の予定を取るべきだったと思ったらしく、視線を机へ落としている。


「用事があるなら、別の日に」

「ありません」


 言うのが少し早すぎた。

 彼女は目を上げ、小さく笑った。


 翌日、二人で砦の上の草地へ行った。

 門の見張りはダンさんが担当している。

 作業の予定は見習いたちへ渡した。

 俺は工具箱を持っていこうとして、エステルさんに置いていくよう言われた。


「今日は、故障を探さない日です」

「目に入ったら?」

「帰ってから、誰かに伝えてください」


 彼女は弁当を持っていた。

 パンと、焼いた肉と、小さな果物。

 丘の上からは、砦の全体が見えた。

 屋根の数が増え、広場に人が動いている。

 水車の回る音は、ここまでは届かなかった。


 エステルさんは草の上へ布を敷き、隣を空けた。

 俺は座り、渡されたパンを持った。


「最初に来られたとき、すぐ帰ってしまうと思っていました」


 彼女が言った。


「砦はあの状態でしたし、お若かったので」

「かなり、頼りなかったと思います」

「今も、剣の稽古はあまり」

「そこは上達してないですね」


 二人で笑った。

 それから彼女は、草の一本を指で曲げた。


「でも、頼りない人ではありませんでした。井戸を直す前に休んでほしいと言ったときも、鎧を直してくださったときも、ちゃんと私の話を聞いていました」


 俺はパンを膝へ置いた。

 彼女が俺を見ている。


「私は、あなたと一緒にいる時間が好きです。隊長として必要だから、だけではありません」


 風が吹き、彼女の髪が頬へかかった。

 俺は言葉を探して、やめた。

 綺麗な言い方を探すより、先に伝えるべきだった。


「俺も、エステルさんが好きです」


 彼女は息を止めたようだった。

 それから、ゆっくり笑った。

 戦いが終わったときとは違う笑顔だった。


「では、今日は名前だけで呼んでいただけますか」

「エステル」


 呼ぶと、顔が熱くなった。

 彼女も、少し赤くなっていた。

 俺は手を差し出し、彼女がそこへ手を重ねるのを待った。


 砦に帰ったあと、ミナさんが弁当箱を見て眉を上げた。

 中身が、少し残っていた。

 エステルがパンを食べ残すのは、かなり珍しい。


「楽しかったのね」


 俺たちは、同時に返事をしようとして止まった。

 ミナさんはそれ以上聞かず、台所へ戻った。

 彼女が中で笑っている声だけ、よく聞こえた。

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