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第30話 最強の街の、普通の一日

 砦へ来て、四年が過ぎた。

 俺は二十二歳になった。

 広場へ続く道には店が並び、昔の兵舎の先まで家が増えている。

 ここを黒鐘砦と呼ぶ人もいるし、黒鐘の街と呼ぶ人もいる。

 トトが描いた最初の看板は、今も門の内側に残っていた。


 井戸の取っ手は、何度か交換した。

 最初の木製の握りは擦り減ったが、仕組みは同じだ。

 子供が下げても、水が出る。

 トトはもう子供たちへ、蓋を勝手に開けてはいけないと教える側になっていた。


 修理工房では、フィンが二人の見習いに魔導鍋を見せている。

 隣の鍛冶場では、ボルドさんが自分で改良した補助具を着け、槌を振っていた。

 右手の古傷は、今もある。

 寒い日には休み、細かい作業は弟子へ任せる。

 それでも、彼の作った金具は王都の店でも使われている。


 マルタさんの商会は、月に何度も荷を運ぶようになった。

 利益を分ける最初の契約は、今も残している。

 俺が銀貨一枚しか持っていなかった時期を、彼女は忘れてくれない。


「王国から褒められた街の領主だって、昔は銅貨を数えてたんだよ」


 市の日に、客へそう話す。

 俺は毎回、今も数えていますと答える。

 予備の部品を買えば、銀貨はすぐに減る。

 立派な街でも、工具が勝手に増えることはない。


 黒鐘主炉は、毎朝点検している。

 滓を戻す地下の流路も、季節ごとに確認する。

 虚食獣は、あの戦い以来現れていない。

 完全にいなくなったのではなく、呼ぶものを溜めないよう、皆で暮らしているのだ。

 街の守りは王国の技師たちにも学ばれ、ほかの居住地の設備も直り始めていた。


 兄からは、冬に手紙が来た。

 三年間の復旧作業が終わり、そのまま街道の工事隊で働くという。

 最初は槌もろくに持てなかったが、今は人を集めて橋の補修をしているらしい。

 俺を連れ戻す話も、家を継ぐ話もなかった。

 代わりに、図面に一つ質問が書かれていた。

 俺は答えを描いて、返した。


 父と母は、小さな家で暮らしている。

 父は王国の管理者の下で、残された土地の仕事を手伝っていた。

 以前より短い手紙を書くようになった。

 今年の収穫、使った資材、悪くなった道。

 俺は今も、ときどき読んでから返事まで時間を置く。

 それでも、封を開けずに捨てることはない。


 リーネは学業を終え、王都で設備の記録を扱っている。

 今日は母と一緒に、黒鐘へ来ていた。

 俺の上着の袖を見て、満足そうに頷く。


「今回は、ちゃんと繕ってある」

「自分でやったよ」

「縫い目でわかるわ」


 褒められたのか、判断が難しかった。


 広場には、青い布が張られていた。

 露店のためではない。

 椅子が並び、花を挿した陶器が置かれている。

 エステルが兵の詰所から出てきた。

 今日は鎧ではなく、淡い色の服を着ている。

 髪を結ぶ紐は、最初の市で買ったものと同じ青だった。


 彼女は二十八歳になった。

 今も守備隊を率い、訓練の日には俺よりずっと早く起きる。

 これからも、仕事を続ける。

 俺も工房を続ける。

 それを何度も話してから、結婚を決めた。


 俺が近づくと、彼女は手を差し出した。


「工具は?」

「今日は、置いてきました」

「よかった」


 彼女が笑った。

 広場で、皆が待っている。

 王都から来たミレイユさんとアイナさんも、後ろの席へ座っていた。

 父は母の横で、手を膝の上に置いている。

 兄は仕事の都合で来られず、代わりに橋の形をした小さな木彫りを送ってくれた。


 誓いの言葉を終え、指輪を渡す。

 ボルドさんが作った、滑らかな銀の輪だ。

 魔法の仕掛けは付けなかった。

 壊れたら直せる。

 ただ、大事に使うほうが先だ。


 エステルが俺の指へ輪を通した。

 俺も、彼女の指へ通す。

 顔を近づけると、彼女は自分から少し背を伸ばした。

 短い口づけのあと、広場から歓声が上がった。


 その横で、ハチが頭を下げ始めた。

 拍手を聞くと、礼をするよう覚えている。

 ただ今日は、それで仕事が止まってはいけない。

 両手には、皆へ配る料理の箱が乗っていた。


「ハチ、そっちは先に運んで!」


 ミナさんが叫ぶ。


『祝い、確認。搬送、優先』


 ハチは箱を持ち直し、広場を歩いた。

 笑い声の中で、俺はエステルの手を握ったまま、席へ向かった。


 午後、街へ新しい家族が到着した。

 荷車に、片足の折れた椅子を載せている。

 移ってくる途中で壊れ、捨てるか迷ったものらしい。

 父親は祝いの場だと気づき、恐縮して門のそばで待っていた。


 俺はエステルと目を合わせた。

 彼女は椅子を見て、それから俺を見た。


「明日、工房へ持ってきてもらいましょう」


 俺は頷いた。

 今すぐ直さなければ、なくなるものではない。

 今日は、隣の人と暮らし始める日だ。


 新しい家族へ、空いている席を案内した。

 壊れた椅子は門番が預かり、子供たちはミナさんの料理を受け取る。

 ハチが追加の箱を運び、フィンたちが次々と皿を渡した。


 鐘が鳴る。

 もう、危険を知らせる回数ではない。

 食事が始まる、いつもの一回だ。


 外れスキルだと言われた俺は、この街の領主になった。

 戦場で誰より強くなったわけではない。

 けれど、直した門の向こうで、人が安心して夕飯を食べている。

 俺も、その一人だ。


 エステルが皿を寄せ、俺の指輪を指で軽く撫でた。

 その手を取る。

 彼女が笑い、俺も笑った。

 明日の仕事まで、まだ時間はたっぷりあった。


 完

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