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第16話 王国の巡察官は、作業着でやってきました

 王国から来た人を、俺はしばらく客だと思っていた。

 くすんだ緑の作業着を着て、井戸の握りを自分で動かしていたからだ。

 その人は桶へ水を入れると、近くにいたトトへ聞いた。


「前は、どうしていたの?」

「沢から運んでた。今は十歩」


 トトは誇らしげに答えた。

 女性は頷いて、桶をトトの家の前まで運んだ。


 工房で預かり品の番号を見て、宿の部屋を見て、水車を見て。

 最後に俺の前へ来て、銀色の小さな証を出した。


「巡察官ミレイユです。登記の照会に、設備の問題が含まれていましたので、実地で確認に来ました」


 マルタさんが登記所へ頼んだとき、古代設備の欠品についても質問してくれていた。

 その記録が巡察部へ回ったらしい。

 俺は慌てて手を洗った。


「先に名乗っていただければ」

「用意された部屋だけを見たくないので」


 彼女はきっぱり言い、椅子へ座った。

 俺が出した書類を、受け取った順に並べる。

 アイナさんの解読も、俺の診断結果も、それだけで正しいと決めてくれたわけではない。

 現物を見て、登記の部品番号と古い記録の番号を照らす。

 主炉の足元には、環三つ分の整備欄があった。

 第三環だけ、六年前の日付で記入が止まっていた。


「持ち出しの目的は、修理。受け取ったのはヴァレス技師。返却欄は空白」


 ミレイユさんが読み上げた。

 古い署名は、専売局の公文書にある筆跡と似ているという。

 確定するには、王都で原本同士を比べる必要がある。


「局へ照会します。回答まで、二環で常用することは避けてください」

「短い試験以外は止めています」

「それなら結構です。設備を渡す前に、その判断ができたのはよかった」


 彼女は資料を閉じ、次の紙を出した。

 専売局が提出した新しい軍用炉の試験計画だった。

 実家の北の演習地で、近いうちに動かす予定らしい。


 アイナさんが紙へ身を寄せる。

 輪の組み方は図から省かれているが、予定している出力は、砦の主炉より大きかった。


「滓を戻す流路は、どこに?」


 彼女が聞いた。

 ミレイユさんも、その説明が不足していると言った。


「安全確認は、局長が自分で承認しています。ただ、黒鐘の部品を使っているなら、試験の前提が変わります」


 俺は門で拾った石と、地下の記録を包んだ。

 虚食獣の話を、どの程度信じてもらえるかわからない。

 それでも、同じ濃い滓を出せば危険だと、先に伝えるべきだった。


 ミレイユさんは、虚食獣という名を聞いて笑わなかった。


「不明な危険があるなら、試験を急ぐ理由にはなりません。少なくとも、説明を求めます」


 王都へ戻る前に、彼女は砦の門を見直した。

 俺とエステルさんへ、専売局の権限を伝える。

 局は古代品の売買を管理するが、領地そのものを取り上げる権限はない。

 人の固有スキルを、強制的に専売する権限もない。


「何か要求が来たら、受領した日と内容を残してください。私が戻るまで、設備を勝手に移動させないこと」


 俺は頷いた。

 それは、こちらにも向けられた指示だった。

 部品が見つかったからと、盗み出していいわけではない。


 ミレイユさんが出発したあと、エステルさんは兵たちの見回りを増やした。

 俺は主炉の図を、もう一度広げる。

 第三環が戻れば、全体を動かせる。

 ただ、環をはめる台に、小さな亀裂があった。

 必要になってから直している暇は、ないかもしれない。


 その日のうちに、ボルドさんと補強材の寸法を決めた。

 彼は俺の顔を見て、一言だけ言った。


「急ぐなら、先に寝ろ。手の震えた職人に、炉を触らせん」

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