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――だが、彼の誤算は、私の枝に『それ』が実っていたことだった。
私が勢い余ってぶん回した巨大な枝。
そこに実っていた、熟しに熟した、最大級の『グラウクス・レモン』が――。
『ぷちんっ』
枝から外れた。
そして、遠心力を極限まで溜め込んだ特大の黄色いレモンは、超音速の砲弾と化して、一直線にマルクスの顔面へと飛んで行ったのだ!
ズガァンッ!!
「ぐはっ!?」
マルクスの完璧な美顔に、巨大レモンがジャストミートした。
あまりの威力を受け、マルクスは「ぬおおお!?」と叫びながら後方へ吹き飛び、地面を二、三回ゴロゴロと転がった。
「た、隊長ーっ!?」
「大丈夫ですか、マルクス隊長!」
部下の騎士たちが血相を変えて駆け寄る。
マルクスは泥を払いながら、フラフラと立ち上がった。鼻頭が真っ赤になっている。
「くっ……なんという姑息な攻撃だ……! 不意打ちで謎の弾丸を投げつけてくるとは……! ん……?」
マルクスの手元に、鼻頭に激突して握り潰された、ひしゃげたレモンの果実が残っていた。
潰れた皮から、みずみずしい黄色い果汁がドクドクと溢れ出し、マルクスの手と顔に付着している。
そして、その果汁の一部が、彼の唇を伝って……口の中へと滑り込んだ。
(あ……)
私は固まった。
(あ、入った。口の中に……最凶のクエン酸が入っちゃった……)
次の瞬間。
マルクスの動きが、ピタリと止まった。
「……ッ!?」
マルクスの氷のようなアイスブルーの瞳が、限界まで見開かれた。
目玉が飛び出さんばかりの開眼である。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッッッッ!!!!!!!???????」
声が出ない。
あまりの酸っぱさに、マルクスの声帯が一時的に機能を停止したのだ。
彫刻のように整っていた彼のイケメン顔が、一瞬で「キュッ」と中央に凝縮された。
まるで……いや、ルキウスの時と同じだ。
「た、隊長!? どうされたのですか隊長! 毒ですか!? 毒なのですか!?」
騎士たちがパニックになる。
マルクスは膝から崩れ落ち、地面に両手をついてのたうち回った。
「〜〜〜〜っ! すっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぱ―――――――い!!!!!!」
森全体に轟く、絶叫。
「なんだこれは!? 舌が灼かれる!? 脳の神経がバチバチと音を立てて弾け飛ぶ感覚だ!? 毒ではない……! これは……酸味!? 圧倒的なまでの柑橘系の力!!?」
マルクスは悶絶しながら涙を流し、激しく首を振った。
「あ、頭が割れそうだ! 視界が黄色い! 世界が酸っぱい!! 助けてくれ神よーーー!!」
(ご、ごめんなさい……! だから攻撃しようとするからこうなるのよ! 自業自得だけどごめんなさい!)
私は申し訳なさすぎて、枝を『シュン……』と萎えさせた。
しかし、のたうち回ること約三分。
激しい酸味の嵐が去った後、マルクスの身に「劇的な変化」が訪れた。
「……はぁ……はぁ……っ……」
マルクスがゆっくりと顔を上げた。
その表情から、先ほどまでの「シワシワ干し柿」の面影は消え去り、元の美貌が戻っていた。
……いや、元に戻っただけではない。
「な……なんだ……この感覚は……!?」
マルクスは驚愕して自分の両手を見つめた。
彼が長年の過酷な修行で負っていた、肩や腰の慢性的な古傷(職業病)の痛みが、跡形もなく消え去っていた。
それどころか、聖剣を振るい続けて消耗していた神聖力が、まるで枯れた井戸に濁流が流れ込むかのように、溢れんばかりに充填されている!
全身を駆け巡る、溢れんばかりの生命力。
頭脳はかつてないほどクリアになり、視界は新緑の葉の美しさを鮮明に捉えている。
「長年私を苦しめていた『聖痕の呪い』が……消えた……? 体の芯から、不浄なものが一切合切削ぎ落とされたかのような、この清涼感……!」
マルクスは呆然と、自分の手に付着した黄色い果汁を見つめた。
そして、ゆっくりと首を上げ、私(悪役霊樹)を見上げた。
私の黒紫色の幹。漂う不気味な邪気。
しかし、その奥にある『本質』を、今のマルクスは確かに感じ取っていた。
(……あ、嫌な予感がする)
私は嫌な予感しかしない。デジャブだ。数日前にもまったく同じ流れを見た。
マルクスはふらりと立ち上がると、手に持っていた聖剣を『ガチャン!』と地面に投げ捨てた。
「隊長……!?」と固まる騎士たち。
マルクスはそのまま、私の幹の前まで歩み寄ると、重厚な甲冑を着たまま、バサッとその場に両膝をついた。
そして、額を地面に叩きつけるようにして、完璧な土下座の姿勢をとったのだ。
「……負けだ。私の完全な負けだ……!」
マルクスは震える声で言った。
「私はなんという愚か者だったのだ……! 邪悪な大木などという噂に惑わされ、これほどまでに尊く、清らかな『試練の聖樹様』に刃を向けるとは……!」
(出たーーーー!! 試練の聖樹様ーーーー!!)
「あの凄まじい酸味……! あれは、日頃の怠惰や傲慢に甘んじていた私の軟弱な魂を、激しく叩き直すための『神の喝』だったのだ! あの激痛にも似た洗礼を経て、私は真の聖騎士として生まれ変わることができた……!」
(ただのクエン酸ショックだから!! 脳が強制再起動しただけだから!!)
マルクスは顔を上げ、涙で濡れた瞳で、熱烈に私を見つめた。
「ルキウス殿が狂ったのではなかった……! 彼もまた、この聖樹様の深遠なる慈悲に触れ、救われたのだ! 私は彼を疑った己の浅はかさを恥じるばかりだ!」
(お願いだから二人で反省会しないで! 類は友を呼ぶ状態にならないで!)
「神なる聖樹様……! 愚かな私をお許しください! そして、どうかこのマルクス・クラウディウスを、あなたをお守りする第一の聖騎士としてお加えください!」
マルクスは胸に手を当て、騎士としての最高の忠誠の礼を捧げた。
後ろで見守っていた三十名の聖騎士たちも、隊長のあまりの豹変と、彼から放たれる圧倒的な神聖気流(レモン効果)に圧倒され、「おおお……!」「隊長が救われた……!」「あれこそが真の神木……!」と次々にひざまずき始めた。
あっという間に、私の周りは『レモン教信者の集団』によって埋め尽くされてしまった。
(嘘でしょ……? 討伐に来た聖騎士長まで落ちちゃったの……? これ、私が望んでた『ダブル溺愛』なの……? いや、溺愛っていうか完全に『神と信者』の関係じゃないのよこれええええええ!!)
秋の爽やかな風が吹き抜け、私の枝に実ったレモンたちが『ゆらゆら……』と輝いた。
イケメン公爵令息に続き、生真面目な聖騎士長までもが「激すっぱレモンの虜」となり、私の異世界スローライフ(?)は、ますます怪しい新興宗教のようになっていくのだった。




