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ルキウスが去っていった。
嵐のような男だった。血まみれで現れて、酸っぱさに悶絶し、勝手に感極まって、勝手に重い愛を誓って去っていった。
「……ハァー……」
私は風もないのに、体中の葉っぱを「サワサワ……」と力なく揺らした。
言いたいことが山ほどある。山どころかエベレスト並みに積み重なっている。
まず、私は神木ではない。悪役霊樹(誤変換)だ。
そして、あの黄色い果実は神の恩寵でも試練の試供品でもない。単なるクエン酸過多の激すっぱレモンだ。
「何が『最高の聖域を造り上げましょう!』よ……。私、そんな大層なもの望んでないわよ。ただ普通に人間の女の子として転生して、美味しいスイーツ食べて、前世知識でちょっとドヤ顔して、イケメンに『君は面白い女だな』って言われたかっただけなのに……!」
しかし、どれほど心の中で叫ぼうとも、私の姿は樹齢数百年クラスの禍々しい巨大樹である。
幹は黒紫色に光り、足元にはドロドロとした邪気が渦巻き、周囲には頑丈な『封印の結界』が張り巡らされている。そして、見上げれば爽やかな黄色いレモンが鈴なりだ。
改めて客観視すると、本当に意味がわからないビジュアルである。前衛的すぎる。
だが、嘆いてばかりもいられない。
人間、どんな環境にも適応していく生き物だ。……いや、今の私は植物なのだが。
ルキウスが去ってからの数日間、私は自分の「木としての生活」を快適にするべく、様々な実験に勤しんでいた。
まず気づいたのは、根っこのネットワークの凄まじさだ。
私の根っこは、結界を通り抜けて地下深くまで伸びており、半径数キロメートルに及ぶ森の土壌とリンクしている。
地下水の流れを感じ取り、最高のミネラル分を含んだ水脈から「ごくごく」と水分を吸い上げる。
(ふあぁぁぁ……! 今日の地下水、カルシウム豊富で超美味しい……! 根っこの先から全身にミネラルが染み渡っていくわぁ……!)
光合成も相変わらず最高だった。
朝露を浴びた葉っぱに朝日が当たると、体内で炭水化物と酸素がバリバリと合成され、脳(幹)の中に極上の快感が広がる。
前世では「朝日を浴びて規則正しい生活をしましょう」と健康番組で言われても「無理無理、二度寝最高」と布団に潜り込んでいた私が、今や太陽の光に狂喜乱舞する生粋のサンシャイン信者である。
さらに、私は『グラウクス・レモン』のコントロールにも成功しつつあった。
魔力を注ぎ込む量を調節することで、実るレモンの数を増やしたり、酸味の強さを(ほんの少しだけ)和らげたりできるようになったのだ。
前世で「自家製レモネード作り」にハマった経験がある私としては、このレモンを使って何か美味しいものでも作りたいところだが、悲しいかな、私には手もなければお鍋も砂糖もない。
(はぁ……レモンピールとか、レモンタルトとか作れたら最高なのになぁ。お湯さえあれば、生のレモンティーだって飲めるのに。誰か私に温かい紅茶とスコーンを持ってきてくれないかしら……)
そんな優雅なティータイムに思いを馳せていた、ある日の午後のことだった。
広大な根っこのセンサーが、怪しい反応を感知した。
『ドスッ、ドスッ、ドスッ……!』
重厚で規律ある足音。それも、かなりの大人数だ。
先日のルキウスを追っていた泥臭い刺客たちとは違う。もっと統一され、磨き上げられた金属の鎧が擦れ合う音が、森の静寂を切り裂いて近づいてくる。
(えっ……なに? また誰か来るの? 今度は何事!?)
私は枝の先端の葉っぱに意識を集中させ、森の奥へと視線を向けた。
結界の外側に広がる樹海を割って姿を現したのは、白銀と純白の布で装飾された、神聖極まりない兜と甲冑を身に纏った騎士団だった。その数、およそ三十名。
手に持っている大盾や長槍には、太陽と聖剣を模した紋章が刻まれている。
(……聖導会の聖騎士団!? なにあの見るからに『正義の味方です!』みたいな集団!)
そして、その集団の先頭に立っていた男を見て、私は思わず葉っぱを『ピクッ!』と硬直させた。
(……うわ、また超絶イケメン来たわよ!!)
そこにいたのは、燃えるようなプラチナゴールドの髪を後ろで一つに結んだ、恐ろしく隙のない美青年だった。
アイスブルーの冷徹な瞳。一切の無駄を削ぎ落とした鋭い輪郭。背筋は隙なくピンと伸び、纏う雰囲気はまるで磨き抜かれた一振りの名剣のようだ。
ルキウスが「憂いを帯びた野性的な男前」だとしたら、目の前の男は「冷徹で隙のない生真面目貴公子」といったところか。
男は背中の大剣に手をかけ、氷のように冷たい視線で私(悪役霊樹)を睨みつけた。
「ここが……禁忌の地『死の森』の最奥……。大災厄の根源、魔女の樹か」
男の声は、澄み渡る金属音のように森に響き渡った。
「報告は真実だったようだな。先日、アウレリウス公爵家の若き当主ルキウス殿が、この地で邪悪な呪いに触れ、正気を失ったという噂は……!」
(えっ!? ルキウス、正気失った扱いされてるの!?)
私はズコーッと根っこが抜けそうになった。
男は滔々と騎士へ語り続ける。
「ルキウス殿は公爵家へ戻るや否や、恐るべき神速で家内の腐敗分子を一人残らず粛清された。ここまでは良い。だが……彼は口を開けば『私は神木様の僕だ』『黄色い聖果こそが世界の救いである』などと狂った言動を繰り返し、領地中に『レモン奉納令』なる謎の法令を出そうとしているのだ!」
「なんと恐ろしい……」
(ルキウス何やってんのーーー!?!? レモン奉納令って何!? 怖いわ!! 宗教作ろうとしてんじゃないわよ!!)
私の心の中の絶叫など知る由もなく、男は悲痛な面持ちで拳を握りしめた。
「かつて清廉潔白で知られたあのアウレリウス公が、これほどまでに狂信者と化すとは……! すべては、この邪樹が発する恐怖の精神汚染魔法の仕業に違いない!」
(違う!! 精神汚染じゃなくてただの勘違い!! あと酸っぱさに脳がやられただけだから!!)
「私は……聖導会・最高聖騎士長、マルクス・クラウディウス! 神の御名において、これ以上の被害が出る前にお前を完全に滅殺し、ルキウス殿の目を覚まさせてみせる!」
「何があろうと、最後までお供致します」
マルクス・クラウディウス。
これまた完璧なラテン名を持つ生真面目イケメン聖騎士長は、シャキンッ!と背中の巨大な聖剣っぽいを抜き放った。
聖剣っぽい刃が、眩いばかりの純白の神聖光を放ち始める。
「全隊、結界解除の儀式に入れ! 結界が開くと同時に、私の『神聖断罪斬』で、あの邪悪な大木を根元から叩き斬る!」
「「「はっ!!」」」
騎士たちが一斉に呪文を唱え始め、私を閉じ込めていた半透明の結界が、ゆっくりと薄くなり始めた。
(ちょっとちょっとちょっと!! 冗談じゃないわよ!? 結界解いて私を叩き斬る気!? 痛いの絶対嫌なんですけどー!!)
私は焦った。大ピンチである。
私には脚がないので逃げられない。攻撃を受けたらそのまま薪になってしまう!
「消え去るがいい、災厄の化身よ!」
結界が消失した瞬間、マルクスが地を蹴った。
人間の動きとは思えない速度。疾風のごとき踏み込みで私との距離を詰め、神聖な光を纏った大剣を、私の太い幹目掛けて一閃した!
(やめてえええええええ!!)
私は反射的に、体内の魔力を全力で放出した。
ドォンっ!!
私の全身から、ドロドロとした黒紫色の魔気が爆発的に噴き出す。
同時に、恐怖でパニックになった私は、近くにあった枝を『ブンッ!』とヤケクソで振り回した。
「ぬっ……!? なんという強烈な邪気だ……! だが、私の正義の剣は砕けぬ!」
マルクスは紫の魔気を聖剣で切り裂き、そのまま私に肉薄してくる。素晴らしい剣技だ。完璧な踏み込みだ。




