数百年の引きこもり生活
悪役霊樹(レモン付き)になってから、どれくらいの時間が過ぎただろうか。
日差しが上から降り注ぎ、葉っぱの表面にある葉緑体たちが「よし、今日もバンバン光合成しちゃうぞ〜!」と張り切って二酸化化炭素と光を栄養に変え始めた頃、私は深く重い溜息を吐いていた。
……まあ、溜息と言っても実際に息を吐く口はないので、幹の空洞から「スー……」と風が通り抜ける音がしただけなのだが。
「……ハァ。嘘でしょ。私、本当に木になっちゃったの……?」
改めて自分の状況を整理してみる。
第一に、動けない。根っこが地面の奥深くにガッチリと張り巡らされていて、ミリ単位ですら移動できない。前世で「休日は一日中ベッドから動きたくない」とインドア派を決め込んでいた私だが、根っこ生やして完全固定されるのは話が別だ。これはインドアではなく『固着生物』である。
第二に、声が出ない。声帯がない。周囲に何かを伝える手段は、風で葉っぱを『シャカシャカ……』と鳴らすか、枝を『バサバサ……』と揺らすか、たまに黄色いレモンを『ぽとん』と落とすことくらいだ。表現の幅が狭すぎる。パントマイム芸人だってこれほど厳しい制約は課されないだろう。
第三に、周囲の環境が劣悪すぎる。
ここはどうやら「死の森」と呼ばれる、かつての大戦争の凄惨なグラウンド零地点らしい。私の周りには、太古の聖女が張ったとされる半透明の『封印の結界』がドーム状に展開されており、私(悪役霊樹)の放つ禍々しい毒気や邪気が外に漏れ出さないようになっている。
要するに、私は「危険すぎる大災害級モンスター」として、隔離病棟にぶち込まれている状態なのだ。
(ちょっと待ってよ……! 私の描いていた『スパダリスローライフ悪役令嬢』のプランは一体どこに行ったの!? 豪華なドレスを着て、お茶会でパーティーの主役になって、意悪な異母妹や高飛車な婚約者を『ふふん、前世知識で論破ですわ!』ってやって、最終的にイケメン公爵様に『君のそういう賢いところが好きだ』って囁かれる予定だったじゃないのよぉぉぉ!)
叫び出したい気持ちでいっぱいだったが、声が出ないのは悲しい現実である。
私はやけくそになって、自分の体である「樹木」の機能をいろいろと実験してみることにした。
(えーっと……根っこの感覚は……うわ、すごい。地下何十メートルまでの水脈の動きがバッチリ分かる。あ、あっちの土にはミミズさんがいるな。こっちの深い地層にはミネラルが豊富だ……)
恐ろしいことに、樹木としての感度がめちゃくちゃ高かった。
土の中の水分を「ごくごく……」と吸収すると、体がじわーっと温かくなり、なんとも言えない快感が全身(全身というか幹と枝)を駆け巡る。
(……やだ、なにこれ。水吸うの、めちゃくちゃ気持ちいい……! 光合成も……ああっ、日光が葉胞に染み渡る……! パラソル広げてビーチで日焼けオイル塗ってる何倍も気持ちいい……!)
いかんいかん! 私は人間だ! 人間の心を捨てるな自分!
木としての生理的快感に屈しそうになる自分をなんとか踏みとどまらせ、次は「魔力」の操作を試してみる。
かつて「聖なる樹」だった私が、人間の裏切りと殺戮の血を吸って変貌した「悪役霊樹」。
私の幹の中には、相反する二つの巨大なエネルギーが渦巻いていた。
一つは、元々の本質である、純粋で暖かな『聖なる光の魔力』。
もう一つは、無念の死を遂げた兵士たちの怨念と殺意が化けた、冷たくドロドロとした『漆黒の邪気(魔気)』。
この二つが、まるでサラダドレッシングの油と酢のように、私の体内で混ざり合わずに二層に分かれて渦巻いている。
(ふーむ……。この紫色の煙みたいな魔気、すごく体に悪そうに見えるけど、意図的にコントロールできるのかな?)
試しに、枝の先端に意識を集中し、紫色の魔気を「キュッ」と縮めてみる。
すると、枝の先から漂っていたドロドロの紫のモヤが消え、代わりにキラキラとした美しい金色の光の粒子が「ふわぁ……」と舞い散った。
(あ! 魔気を引っ込めると、元の聖なる樹のパワーが表に出てくるんだ! てことは、私が本気を出せば、いつでも『癒やしの聖木モード』に戻れるってこと?)
しかし、集中を緩めると、すぐさま内側から紫色の魔気が「ぬわーっ」と湧き出してきて、再び禍々しい悪役霊樹のビジュアルに逆戻りした。
(あー……ダメだ。長年蓄積された怨念の量が多すぎて、油断するとすぐ闇落ちビジュアルになっちゃう。まるでメイクを落としたら一気にクマが目立つお疲れ顔に戻るみたいな感じね……)
そして、一番の謎である『レモン』だ。
私は頭上の枝にたわわに実っている、鮮やかな黄色のレモンに意識を向けた。
(このレモン、一体なんなのよ。ただの果物? それとも何か特別な効果があるの?)
自分の体に実っているものだから、その詳細なスペックが感覚的に理解できた。
意識をレモンに集中させると、脳内にスペックシートのようなものが浮かび上がる。
『超生命力溢れるけど、超絶すっぱい』
(……何その無駄にハイスペックな柑橘系!?)
そう、このレモンは、体内で衝突し合う『聖なる光の力』と『漆黒の魔気』が、行き場を失って果実に濃縮還元された結果生まれた、とんでもない「奇跡の薬」だったのだ!
どんな猛毒も一瞬で無効化し、死にかけている人間の生命力を無理やり引き上げる超絶回復アイテム。
ただし、副作用(?)として『尋常ではない酸っぱさ』を誇るらしい。レモンのクエン酸濃度が魔力で100億倍くらいに濃縮されているのだ。多分。
(うーん……。凄いのか凄くないのかよく分からないわね。私自身が食べられるわけじゃないし、こんな封印の森の中に人が来るわけもないんだから、完全に宝の持ち腐れじゃない)
私は遠い目(目はないが)をして、封印の結界の向こう側に広がる薄暗い森を眺めた。
……と、その時だった。
『ゾクッ……!』
広大な根っこのネットワークから、ピリッとした微細な振動が伝わってきた。
(え……? なに、この振動……?)
根っこは、大地を通じて半径数キロメートルの情報をリアルタイムで感知できる。
結界の外側――森の入口付近の土を、誰かが激しい足取りで踏みつけている感覚。
それも、一人ではない。
ドタバタと逃げるように走る一人分の足音。
それを追いかける、重厚な甲冑を響かせた五人分の足音。
(人だ!! 人間が近づいてくる!! 人間、来る!)
久々の「人間」の気配に、私の魂が跳ね上がった。
どれくらい人間を見ていなかったろう。ヴァレリウスのウザいドヤ顔以来だ。
私は根っこのセンサーを極限まで研ぎ澄まし、やってくる人物の状況を探った。
逃げているのは、若い男性のようだ。
足取りが極めて重い。右足を激しく引きずっている。
呼吸は荒く、体調は最悪。根っこから伝わる微かな「生体エネルギー」の情報によると、彼は全身に無数の斬傷を負っているだけでなく、非常に強力な『致死性の毒』に侵されているようだった。
「ハァ……ハァ……っ! ここまで……来れば……!」
カサッ、と草木をかき分ける音がして、封印の結界のすぐ手前に、一人の青年が姿を現した。
私は「枝の葉」を目代わりにして、彼の姿を凝視した。
(――っ!? ちょっと待って、超絶イケメンじゃない!!)
そこに立っていたのは、一目見ただけで息を飲んでしまうほどの美しい青年だった。
艶やかなプラチナシルバーの髪。長年の鍛錬によって引き締まった背の高い肉体。
着ている鎧は高級感のある銀色だが、今は血と泥で見る影もなく汚れ、胸元や腕からは痛々しい出血が続いている。
そして何より目を引いたのは、その顔立ちだ。
鋭くも品のある切れ長の目、スッと通った高い鼻筋。右頬に血の筋が伝っているのが、逆に凄絶な色気を引き立てている。
(名前は……名前は何て言うの!? 目の保養すぎるんですけど!!)
青年は胸を押さえ、荒い息を吐きながら結界の境目に膝をついた。
「くっ……『蛇の毒』か……。追っ手の矢に仕込まれていたとは……。視界が……揺れる……」
青年の苦しげな声が響く。
彼の瞳は、私が鎮座する結界の中――悪役霊樹の姿をしっかりと捉えていた。
「ここは……禁忌とされる『悪役霊樹』の封印域……。追っ手を巻くために飛び込んだが……ハハッ、まさに『毒を食らわば皿まで』だな……」
自嘲気味に呟く青年。
その時、森の奥から下劣な笑い声と甲冑の音が近づいてきた。
「ハハハ! 追い詰めたぞ、アウレリウス公爵家の出来損ない! 『ルキウス』様よぉ!」
下品な声を上げて現れたのは、黒い不気味な鎧を着た男たちだった。5人組の刺客らしい。
「結界の前に追い詰められて行き止まりだ! 大人しく首を差し出せ! 貴様さえ死ねば、我が主君が公爵家の家督を継ぐことができるのだ!」
(なるほど! 貴族の家督争いの陰謀ね! 追放・暗殺ターゲットにされた美形公爵令息! 完全によくあるヤツじゃないの!)
イケメン青年の名前は『ルキウス』というらしい。よしよし情報ゲット。ルキウス・アウレリウス。いかにも高貴で響きの良い名だ。




