レモンの魔女
「死の森」に、巨大な建造物の基礎が撃ち込まれてから一ヶ月(一眠り)
かつて数多の冒険者や騎士たちが「近づくだけで不吉な呪いにかかる」と恐れていた禁忌の森は、今や王国最高峰の建築技師や土術士たちがひっきりなしに行き交う、活気あふれる一大建設現場へと変貌を遂げていた。
「おい! 東側の魔法強化ガラスの装飾に歪みがあるぞ! 聖樹様のお姿を遮るような曇りは一切許さん!」
「南側から引き入れた天然温泉の温水パイプ、試運転開始! 温室内部の温度は常に二十四度をキープさせろ!」
「パティシエ班! 本日のレモンタルトの試作品百個、審査のために中央へ搬入します!」
威勢の良い職人たちの声が響き渡る。
その中央に鎮座しているのが、完成間近となった巨大な『ガラスの温室宮殿』だ。
太陽の光を三百六十度取り込む特殊な透光魔導ガラスで覆われた宮殿は、遠目から見てもキラキラと輝く宝石のようだった。
内部は最新の魔導暖房システムによって常に春のような暖かさが保たれ、床にはフカフカの最高級カーペットが敷き詰められ、珍しい熱帯の花々が咲き誇っている。
そして、その宮殿の「主」として、中央にどっしりと鎮座しているのが――私である。
「う〜ん……美味しい! 今日のタルトは生地のサクサク感が段違いね! レモンの酸味とカスタードの甘みのバランスも完璧だわ!」
私は、木(幹)から生えた胸上の体で、手にした銀のフォークを美味そうに動かしていた。
そう、この一ヶ月で私の生活環境は劇的な進化を遂げたのだ。
まず、私の「服」問題。
アウレリウス公爵家が誇るお抱えの最高級仕立て屋が徹夜で考案した『対・樹木精霊用ドレス』が完成した。
これは、胸元から腰回りにかけてを優雅に包み込むドレスなのだが、背中側が特殊なレースアップ仕様になっており、私が幹と接続している部分を傷つけることなく、ぴったりとフィットするように作られている。
本日のドレスは、柔らかい薄桃色のシルク地に、繊細な金の刺繍が施されたオフショルダースタイル。
可憐な黄色の髪をマルクスが献上してくれた宝石入りの髪飾りでアップにまとめ、おでこを出した私は、客観的に見ても完全に「温室宮殿のお姫様」状態だった。
「お気に召していただけて光栄です、神木様」
私のすぐ隣で、恭しく頭を下げているのは、ルキウスだ。
彼は、私が幹から直接生えて座りやすいようにと特注で作らせた『半円形のベルベット製ソファー(幹を抱きかかえるような形状)』に腰掛け、優しく微笑んでいる。
「王都で『果物の魔術師』と呼ばれる伝説のパティシエを連れてきた甲斐がありました。あいつ、最初は『死の森でお菓子を焼くなど正気か』と泣いて嫌がっておりましたが……神木様一口食べて褒めてくださったと知れば、感涙して弟子入りを志願することでしょう」
「本当に美味しいわ。毎日こんな美味しいお菓子が食べられるなんて、私、木になって良かったかも……(体重も体型も気にしなくていいのは素晴らしい)」
「そんな悲しいことを仰らないでください!」
ルキウスが胸を痛めたように自分の胸元を押さえた。
「いつか必ず、あなた様をその樹木から完全にお救いし、二つの足でこの大地を踏みしめていただけるよう、あらゆる魔法と薬学の知識をかき集めております! それまでは……このルキウスが、あなた様の『足』となり『手』となり、全力でお仕えいたします!」
ルキウスの瞳に、ギラリと熱い情熱が宿る。
「……フン。調子のいい口を叩くな、アウレリウス公」
反対側から、澄んだ冷たい声が響いた。
私の髪を、最高級の猪毛ブラシで優しく、丁寧に梳かしているのは――聖騎士長マルクスだ。
「聖樹様のお身体は、聖なる力と一体化されているのだ。無理に人間へと戻そうとすれば、かえって負担がかかるかもしれん。焦らず、まずはこの完璧な温室で、健やかにお過ごしいただくことこそが最優先だ」
マルクスはブラシを止めると、私の肩にふわりと最高級のフェザーショールを羽織らせてくれた。
「寒くはありませんか、聖樹様? 風向きが少し変わりました。魔法陣の温度を一度上げましょうか?」
「あ、大丈夫よマルクス。すごく快適。いつもありがとう」
私が振り返ってニッコリ笑うと、マルクスは「っ……!」と一瞬息を呑み、即座に口元を手に当てて横を向いた。耳の先端が真っ赤になっている。生真面目イケメンの照れ顔、大変眼福でございます。
「まったく……マルクス、お前は聖騎士団の仕事を放置して、毎日毎日ここに何時間居座るつもりだ?」
「お前こそ、公爵領の政務はどうしたのだ、ルキウス。書類の山を温室の隅に持ち込んで執務をするなど、正気の沙汰ではないぞ」
「ふん、神木様の側で仕事をした方が、脳が活性化して三倍の速度で処理できるのだ。文句があるか」
そう言って、ルキウスはソファーの横に置かれた小さなデスク(書類が山積みになっている)を指さした。
(二人とも、本当に仲が良いんだか悪いんだか……)
私は呆れつつも、特注のレモンタルトをもう一口口に運んだ。
二人のイケメンに囲まれ、最高の温室宮殿で、美味しい紅茶とお菓子を楽しめるスローライフ。
当初の「欲張りオーダー」からは大幅に逸脱しているが、これはこれで『悪役霊樹(レモン付き)の極上スローライフ』として完成しているのではないだろうか。
……そう、私が呑気にそんなことを考えていた時のことだった。
『ドカァァァァァァン!!!!』
温室宮殿の外から、大地を揺るがすような激しい爆発音が響き渡った。
「「「っ……!?」」」
ガラス張りの天井が微かに振動し、外の防衛魔法陣が不気味な赤い光を放つ。
「何事だ!?」
ルキウスが即座に立ち上がり、腰の飾剣に手をかけた。
マルクスも一瞬で表情を冷徹な「聖騎士長」のそれへと戻し、背中の大剣を抜き放つ。
根っこのセンサーを極限まで広げると、結界の外側――温室宮殿を取り囲む広大な森林の入口に、見知らぬ大軍勢が押し寄せてきているのが分かった。
その数、およそ五千!
全員が王室直属の金色の甲冑を身に纏い、先頭には大型の魔導砲まで配備されている。
「報告!!」
外の見張りについていた聖騎士が、息を切らして温室の中に飛び込んできた。
「マルクス隊長! ルキウス様! 大変です! 王都より『王室直属・第一近衛騎士団』が襲来! 先頭に立っておられるのは――タイタス皇太子殿下です!!」
「タイタス殿下……!?」
ルキウスが眉をひそめた。
「あの分からず屋の皇太子が、なぜこれほどの大軍を率いて『死の森』に……?」
「殿下は……殿下はこう叫んでおられます!」
聖騎士は冷や汗を流しながら、報告を続けた。
「『公爵ルキウスと聖騎士長マルクスは、死の森の凶悪な「レモンの魔女」に洗脳された! 直ちに洗脳の源である悪魔の拠点を破壊し、二人を正気に戻す!』……と!」
(レ モ ン の 魔 女 !?!?)
私は思わず自分の胸を指さした。
私のこと!? 私、いつの間に「レモンの魔女」なんて二つ名がついたの!?
◈
事態は、ここ数週間のうちに王都で囁かれていた「激しい噂」が原因だったようだ。
『アウレリウス公爵と聖導会の最高聖騎士長が、死の森で謎の宗教にはまった』
『国家の予算と聖導会の資産を傾け、死の森に怪しげなガラスの宮殿を建てている』
『二人は毎日、黄色い果物を拝み、謎の魔物に膝をついているらしい』
これを聞いた王国の皇太子、タイタス・フラウィウスは猛烈に激怒したのだ。
タイタス皇太子は、金髪碧眼の正統派イケメンではあるものの、非常にプライドが私の幹より高く、自尊心の塊のような男だった。
幼少期から文武両道の天才と称され、国で最も優秀な若い指導者として称賛されてきた彼にとって、自分と同等以上のカリスマ性と実力を持つ「ルキウス」と「マルクス」は、常に目の上のコブだったのだ。
その二人が、揃って「狂った」という報せ。
タイタス皇太子はこれを「二人の威信を失墜させ、己の軍功を立てる絶好のチャンス」と捉えたのである。
「ハハハ! 哀れだな、ルキウス! マルクス! 呪いの森の魔女に脳を狂わされ、このようなガラスの玩具の中でままごと遊びとは!」




