第14話 自身の力
朝の柔らかな光を浴び、ダンジョン街アルヌスが紅く照らされる。耳障りの良い鳥たちのさえずり声を聴きながら、僕は目覚めた。
「……よく寝たなぁ」
まだ寝ぼけ眼を擦りながら、僕はソファーから起き上がる。今日は確か、ルーシェ様と買い物に行く予定だ。早めに準備をしておきたい。
背伸びをし、ゆっくりと立ち上がる。そのときだった。不思議な違和感に襲われた。
身体から漲るような力の脈動。全身に血が巡る度に、力強く鼓動が鳴る。凝縮されたような感覚は研ぎ澄まされ、より鋭敏に、僅かな物音にも反応する。
「……な、なにこれ!?」
僕はその不思議な経験に慌てて自身の体を確認する。
両手を目線の下辺りまで持ち上げ、その手の平を確認するかのように握ったり開いたりした。僕のあまり肉付きの良くない筋肉でも、その単純な運動でぎちりと固く引き締まる。筋繊維の収縮する音すら聴こえてきそうだ。
まるで自分の身体が別人の物のよう。いや完全に別物と言っても過言ではない。
いつもならダンジョンに潜った次の日は、倦怠感と筋肉疲労、そして前日のダメージを引きずる痛みが程々にあるはずなのにそれも一切ない。むしろ今が絶好調であるという確信すら持てる。
今すぐにでも身体を動かしたい。そんな衝動に僕は駆り立てられる。
「……どうかしたの?ユウリ」
「あっ、ルーシェ様。すみません、起こしてしまいましたか……」
声のした方を振り向くとまだ眠そうなルーシェ様が、寝巻き姿のゆったりとした格好でベッドから起き上がっていた。
僕はルーシェ様が起きたのもあって、一旦思考をとりやめ、お嬢様方の飲み物の準備をする。
ダンジョンに潜り始めてから疎かになっている奴隷の仕事を、休日の日くらい果たそうと調理台に立った。
手慣れた手つきでお湯を沸かし、無駄なく優雅に紅茶を入れていく。
といってもこの紅茶はこの街で一番安い最低ランクの品だ。貧乏である今の僕らに、元のお屋敷で使っていたような高級品なんて買えない。
僕は紅茶を入れると、ルーシェ様に持っていく。ルーシェ様はベッドからソファに移動して紅茶をいれる僕の後ろ姿を、今までずっとぼんやりと眺めているようだった。
「はい。ルーシェ様、紅茶ですよ。いつも通り砂糖は入ってないので美味しくないかもですが」
「……ありがと。相変わらず、紅茶を入れる姿だけは様になってるわね」
「まあ、執事長に厳しく仕込まれましたからね。おかげで紅茶をいれることには自信がありますよ」
ふと昔を思い出す。シーラス領フィリウス家のお屋敷にいた日々のことを。
グラハム様に引き取られ、何もわからなかった奴隷の僕に、執事の仕事を教えてくれた執事長。
厳しい指導だったけど礼儀作法から立ち振る舞い、美味しい紅茶のいれ方まで全て執事長から学んだ。
だがその執事長もあの戦いの最中、僕にお嬢様方を託され、自らは戦場に向かわれた。必死に説得なさるお嬢様方の言葉も聴かずに。
今にして思えば、敬愛していたグラハム様がお亡くなりになられたあの時、もう覚悟の上だったのだろう……。
「……そうね、ユウリのいれる紅茶は爺やのよりも美味しいわ。まさか爺やも教え子が、自分より上手くなるなんて思わなかったでしょうね」
「僕なんてまだまだです。執事長の足元にも及びませんよ……」
少しだけ沈黙が流れた。ルーシェ様はゆっくりと僕のいれた紅茶を飲まれている。
鼻をすすりながら、紅茶を飲み干されるルーシェ様を僕は立ちながら待った。「ご馳走様」という言葉の後に、置かれたティーカップを僕は受け取りに行く。
ルーシェ様からそのティーカップを受け取ったとき、その手が僕の腕を掴んだ。
「……ユウリは、ユウリだけはどこにも行かないよね?」
その虚ろで寂しげな目が僕を見つめてくる。その手が少しだけ震えていた。
「……もちろんですよ。僕はどこにも行きませんよ、急にどうしたんですか?」
「……昨日言ってたじゃない、昔のことを思い出したって。それってユウリの故郷のことでしょ?だとしたらいつかユウリも帰って、いなくなっちゃうん、でしょ……?」
昨夜のミリヤ様に咄嗟に言ったことだろう。もしかしてそのことをずっと気にされていたのか。そもそも思い出したと言っても前世の記憶だけだ。未だ奴隷生活以前の記憶はない。
「ルーシェ様、僕は帰るなんて一言も言ってませんよ?それに僕の帰る場所は、お嬢様方のところ意外にありません」
「……嘘、じゃない?」
「ええ、誓って嘘じゃありませんよ」
その不安げな瞳は確かに光が灯ったように感じた。安心なさったのか、僕の腕を握る力は脱力していく。
この半年間にお嬢様方はあまりにも多くのものを失われた。グラハム様、領地、領民、仕えてくれた者たち。残った資産といえば僅かな路銀と幾つかの物資、それと奴隷の僕だけ。
不安に思わない方がおかしいだろう。以前より遥かに質の落ちる生活に、苦痛を感じないほうがおかしいだろう。
普段は貴族として毅然となさっていても、まだ齢十五の少女に過ぎないのだ。
僕はそんなルーシェ様をどうにか励まそうと案を練ったが、なかなか思いつかず、どうすること出来なかった。
「……おはよう。ルーシェにユウリ、今日は買い物に行くんでしょ?」
ベッドの方からアリシア様がその体を起こしていた。
それに釣られてミリヤ様も大きな欠伸をしながら、お目覚めになられる。
「あ、はい。おはようございます。アリシア様、ミリヤ様。すぐに紅茶をいれますね」
僕は急いで紅茶をいれた。
いれる途中、視線を投げかけるとアリシア様とミリヤ様もソファーに座り、ルーシェ様となにやら談笑されている。その顔からは先程の不安さは感じられない。
この半年間の不幸続きだった生活で一つだけ幸運なことがあったとすれば、それはお嬢様方が散りじりにならず一緒に逃げられたことだろう。もし一緒じゃなかったら、例えルーシェ様でも今のように笑っていられるとは思えない。
「あっ、ユウリ。買ってきてもらう物はもうルーシェに伝えたから、後はよろしくね」
紅茶を持ってきた僕にアリシア様がそう言った。僕は二つ返事で言葉を返す。そしてルーシェ様に言葉を発した。
「ルーシェ様、では買い物へと参りましょう。僕はすぐに支度が済みますので、終わり次第外で待機していますので」
「そう、わかったわ。少し待っていて頂戴。わたしもなるべく早く準備をするから」
そして僕は素早く準備を済ませ、家を出る。
この家にはそこそこ広い部屋が一室しかない。他にお風呂、トイレ、調理台もあるが、それだけ。僕がずっと部屋にいたらお嬢様方は着替えなど大変だ。一応お風呂場に行けば着替えはできるが、そんな狭苦しい思いはさせたくない。だから僕は気を利かせ早めに出たという訳だ。
地下室の家から出て、外に来ると穏やかな陽射しが眩しい。鳥たちの鳴き声も相まって、気持ちの良い朝だ。
僕は徐ろに視線を腰のロングソードに落とす。今朝のあの感覚が気になって仕方がないのだ。体が疼いてくる。
僕は堪らず、ロングソードに手をかけるとおもいっきり振るう。そしてその感覚に驚いた。
軽かった。以前は少し重く感じていたロングソードも訳なく振れる。それだけじゃない、その速度も身のこなし、反応どれもが以前の僕じゃない。僕はその感覚に酔いしれ、満足するまで舞った。
「何してるの、ユウリ?」
膝に手をつき大きく息をし、今まで剣に酔いしれていた僕はルーシェ様に気づかなかった。慌てて向き直る。
「いえ、少し体を動かしていましたので。すみません」
「そうなの?まあいいわ。さあ行きましょう」
僕は自身の力を不思議に思いながらも街の中心街を目指し、ルーシェ様と歩き始めた。




