『港南の白銀』は 唐揚げを冷ましたくない
旦那くんが朝、
「今日は唐揚げ食べたいな」
と言う。
そして朝のルーチン。軽くハグしてキスして…輝琉が真っ赤になって…
「任せて!」
照れながらも答え、行ってらっしゃいの手を小さく振る。
ホントはマンションの出口まで一緒に行きたい、でも出口まででは終わらない自信がある。駅まで? 会社の玄関まで? 旦那くんの部署の入り口まで?
玄関で別れるのが一番の『策』。この三カ月で学んだことだ。
冒険者8年で学んだことより私にとっては大切なこと。それ自体が大切で、そして、今の私を作り上げている。
いつものようにドアのロックを締めながら…
むむむ。唐揚げかぁ~
冷凍庫には以前仕留めたダンジョン産の鳥系魔物――たとえば《翡翠鶏》の腿肉がある。あれは一週間前、旦那くんが泊まりの出張に出た時に仕留めたものだ。
会えない寂しさに、ちょっと攻撃的な「鳥」を仕留めたくて…つい、ダンジョン25階まで行ってしまった私を許して欲しい。
ま、
ちょっとめんどくさい「鳥」だった。
鶏なのに空飛ぶし…
鳥なのに火吹くし…
30分くらいかかった。
いやいや、ちょっと遊んだけれど…
途中で面白くなった人って……私か……
けれど、ご近所の「奥さま」よりはかなり楽だった。
いや、ずーーーーーーーーーーーーーっと楽だった。
材料あるよね。
Aランクだろうが何だろうが、今日はもう狩りません。
午前中から解凍開始。
ジップロックに入れたお肉を流水につける。
そう言えば、このドロップしたお肉を持って帰ると言った時
「マジですか……」
とガクブルしてた窓口の人。
売れば2桁万円らしい…、が、私にとっては旦那くんに食べさせたい、そんな食材だ。
討伐料だけで十分。
「万が一ですが…余っていたら持ってきてください」
と言われたけれど、ん~~~…どうかな? ま、それを決めるのは明日以降の私だ。
いつもの洗濯と、掃除……
今日は曇り空。ちょっと悲しい。
「さてと…」
軽い昼食後、まったりとした時間を過ごして、うつらうつらとしていた自分に活を入れる。ただ入れすぎない。
本気で入れたら…どうなる? 少なくとも自宅の家具は崩れ去る。
ふっと微笑みながら、そして夕飯の用意に入る。
十分に解凍された鶏肉にペティナイフを使う。
このペティナイフについては、語ることが多いのだけれど今回は譲ろう。なにせ今回の話題は『唐揚げ』だ。
筋を取り、大きさを揃える。
その鶏肉を調理用袋に入れ…醤油、酒、生姜、少量のニンニク。ネットで調べた「大分風唐揚げ」、最近はこれが私のマストだ。
袋の上から調味液と鶏肉を軽く揉む。ホントに軽く…そして馴染ませる。
袋を破らなかった…その事実にほっとする。
私ってやれば出来るじゃない?
すみませんが、そのためにこれまで破いた12枚の袋に土下座お願いします。
*
とりあえず冷蔵庫に入れて馴染ませる時間…を置く。
ふふふふふ。
今日の私って完璧?
などと考えていると、スマホが赤くひかる。
いやいや、どーして今日よ?
見たくないけれどスマホを確認する。
二つほどの依頼。
《18層B級突然種の討伐》
《12層C級パーティーの救助》
救助? ちょっと気にかかる。
詳細を見る。
すでに近くにいた二組が救助へ向かっている。
ふ~~~~ん…
私じゃなくても良いじゃん?
少なくとも今晩の唐揚げよりも、ずっとずっと下。
スマホを閉じる。
そして洗濯物を取り入れる。
私にとっての堪能の時間は誰にでも邪魔されたくない。
そして、
ついに夕方となる。
冷蔵庫に入れていた袋を出して室温に近づける。ただし出しっぱなしにはしない。鶏肉は怖い。
輝琉にとっては『決戦』の時間だ、間違いない。全ては美味しい唐揚げを旦那くんの口に…
ちらりと時計を見る。スマホはあのあと沈黙したままだ。
大丈夫、タイムスケジュールはしっかりと頭の中に刻んでいる。
ダンジョンでは目測を外したことなどない。もちろん、唐揚げでも外すつもりはなかった。
下味も終わった。片栗粉も用意した。
鶏肉を室温に戻す間に、必須のキャベツもいい感じに千切りが終わり、軽く水にさらしている。唐揚げに合わせて具が薄揚げとわかめのみの味噌汁もむろん、あとは最後の加熱のみの状態。
あとは…旦那くんが帰る十五分前に揚げればいい。
なんて出来る「奥さん」、
きゃーーーーーーっ。
そんな私に…
メッセージ。
『ごめん、会議が長引いてる。ちょっと遅くなるかも』
輝琉は、全ての活動を停止した。
蛇口から水にさらされているキャベツ、小さく流れる音が続いた。
しばらくは息もしていない。
まあ、いらない情報だが…輝琉自身、20分くらいは無呼吸で行動できる、全力で…
あとは…
あとは揚げるだけなんだよ?
「……ちょっとって何分?」
十分?
三十分?
一時間?
会議が終わってから連絡?
それとも会社を出てから?
「情報が足りない……」
私にとって「たぶん」が一番困る。
スマホを睨む。
「……敵の位置が分からない」
そんなことって、ダンジョンでは学んだことがない。
一回も経験したことがない。
経験したことがない…というのは、恐ろしい。
いやダンジョンではまだ分かっていた。結局は差がない。下層に行く度に、目の前に表れる「敵」を倒すために、なるべく効率よく倒す。なぜ「効率よく」なのかはめんどくさいからだ、長引くと…。
しかし、この三ヶ月はそんな効率よくだけですまないものが、いろいろとある。
ホントにいろいろある。
今日で言えば?
キャベツを水から揚げるのはいつ?
鶏肉って漬け込みすぎて塩辛くなるし、ジューシー感がなくなる。
片栗粉の衣を付けて長時間置けば、水分を吸う。カリカリ感が…。
味噌汁の加熱っていつ始めるのかな。
『たぶん一時間くらい』
って言った。言った。言った。
タイムスケジュールを1時間遅らせるだけでいいの?
睨んでいたスマホ、赤い表示。
【笹下第三ダンジョン・異常発生】
彼女は見る。あそこか…
時計を確認する。目の前には完成途中の唐揚げ。その未満のもの。
通知を見る。
そして、
「今日は無理」
と閉じた。
管理庁担当は上司に応える。
「白銀、応答ありません」
「了解。他を当たれ」
笹下第三ダンジョンは対応のため、複数のパーティーに直接連絡を取ることとなる。
「来てくれたら、楽だったんだけれどなぁ」
それよりなにより、唐揚げです。
『終わった! 今から帰る。三十分くらい』
瞬間。輝琉は椅子から立ち上がる。生気を失っていた瞳に光がともる。髪が輝く。
「来た!」
はっとする。
いかん。
正気を取り戻さなければ…
髪の光がスンッと落ち着く。大丈夫、うんうん。
建物の異常は感知してない。
皿を用意して、キャベツを山盛り。
掛けるのは用意している。せっかくの大分風の唐揚げだ。キャベツに合うのは旨味たっぷりの甘めの酢醤油。そしてマヨ。これは必須。
油を張った鍋、一六〇度。間違いない、私の観察眼ではそう表示されている。
肉を入れる。が、一度に入れすぎない。温度を落とさないようにするためだ。
最初の荒い泡が細かくなる。
水分が抜け始めた。
まだ。
あと七秒。
魔物相手なら一撃なのに、唐揚げには七秒待つ。待つしかない。
そしてやっと引き上げる。休ませる。そう、その休ませることが唐揚げに大事なこと。
輝琉、忘れないいい妻…。
ふと我に返る。
そう言えば、このタイミングで…最後の仕上げの前に旦那くんが帰ってきているタイミングのはず???
まだ旦那は帰ってこない。
「…………え?」
スマホを見る。
『ごめん、電車止まった』
涙ぐむ。
これまでの…でも、でも、でも…。
いやいや、最後の仕上げは終わっていない。唐揚げは寝かせているだけだ。中から水分が少しずつ抜けているだろうが…まぁ、許容範囲にしよう。うんうん。
鍋への加熱を一旦止める。
油は危ない。火が出たらどうする?
下層の龍の火よりはましかもしれないが、地上の、マンションの火事はごめんだ。
しばらくたつ。
そして玄関。
ガチャ。
「ただいまー」
旦那くんにとって珍しいことに、輝琉がいない。
え?怒ってる?
「待って!」
台所から声がした。
「え?」
「手洗ってきて! あと二分!」
再度、油の鍋に火を入れる。温度を上げる、一九〇度。
寝かせていた肉をじっと見る、一度目の加熱と余熱で、中心へ熱は入っている。
ただ、休ませすぎた…かもしれない。
「ちっ、思っていたより時間が長くなった」
旦那くんには絶対に聞こえないように毒づく。
仕方がない、次に生かそう、そして二度目。
ジュワーーー。
色を見る、表面を中心に、肉の内部まで…
三十秒…。まだまだ。
四十秒…。いいか?いいのか?
(あと三秒)
二秒。
一秒。
「今」、今だ!
揚げトレーにひょいひょいひょい。
常人にはそのさい箸の動きは見えないだろう。
旦那くんは、何が何だか分からないままに、テーブルに付く。
皿が出る。ふんわりとしたキャベツの千切り。そしてその上には唐揚げ。
「熱いから気をつけてね」
「いただきます」
カリッ。
輝琉は、旦那くんの口元、表情、身体の動き、その全てを凝視する。
「……うまっ」
「ほんと!?」
「何これ。外、めちゃくちゃカリカリなのに中すごい柔らかい」
「えへへへへへ」
輝琉は照れくさそうにふんわりと笑った。
付けっぱなしのテレビではニュースが流れていた。
『本日、港南区のダンジョンでは突発的な異常が発生し――』
ちらりと見た旦那くん。
「あれのせいで電車、止まったんだよ…」
「あ、そうなんだぁ」
ちょっと反省した。微妙なところだけれど…。
「今日は白銀、来なかったみたいだね」
「へぇー」
「さすがに毎日は働かないか」
「そうだよ。休まないと」
「もう一個いい?」
「いっぱい食べて」
今日、港南の白銀は出動しなかった。
唐揚げは、揚げたてだった。




