2.獰狼の章-2
アルバキースは、長い回想を切りあげた。乗合馬車の中である。あと1時間ほどで聖国の首都アリートレイに到着するだろう。光国から依頼された任務は傭兵団長として完璧にこなし、聖国北東部の情勢を不安定にした。任務の終了にともなって、光国への帰還命令が届いている。帰還する前に、アルバキースにはどうしてもやっておきたいことがあった。アリートレイに向かっているのは、そのためである。
憧れの男との立ち合い。9歳のあの時に見た驚異的な動きと技。じゅうぶんに鍛え磨いてきた今の自分ならば、抗しうるはずだ。そして、今まで経験したことのない、無上の戦いを行なえるだろう。だが、それも相手が承知すればの話だ。これまでの長い調査で、あの男の身元は割れている。名は、マイアノルテ・クインフィーナ。政府に雇われた暗殺者として、クーデター派の要人を何人も斬り殺した男だ。死んだ者を蘇生させる魔法はあるが、天命で死んだ者を蘇生させることはできないという制約がある。確実に生き返る保証など誰にもないのだ。やがてクーデターの計画は頓挫したが、その貢献をした男は、なぜかデイテリス教の祭司に転身し、今ではアリートレイの聖堂の祭司長だ。妻帯し、娘が4人いるという。聖職者としての評価は、型破りなところがあるものの務めはきちんと果たす、というもので、剣については一言も出てこない。もし、あの男の牙が抜かれ、ただの父親に成り下がっていたら。そう思うと、心に暗い影が落ちる。
その時は、歳月の残酷さを噛みしめながら、諦めよう。アルバキースは、そう思いなおした。初恋の女に、20年以上経ってから告白するようなものなのだ。あの男の年齢ももう40代の後半である。かつて、自分が鮮烈に憧れた男がいた。それだけでいい。
やがて、乗合馬車はアリートレイに着き、他の乗客に続いて、アルバキースも馬車を降りた。頭の中の地図に従って、聖堂へ歩いていく。ふと、緊張していることにアルバキースは気づいた。”獰狼”と呼ばれるこの自分が、人と会うだけで緊張しているのである。
「柄にもねぇ」
アルバキースは、苦笑すると、小さく首を振った。もうすぐ、聖堂に着く。どうやって訪いを入れようか、そちらに思考を切り替えていった。普通に訪ねたのでは、あの男は聖職者としての立場を崩さないかもしれない。それに、あの男の牙が抜かれていないか、確かめる必要もある。
聖堂に到着した。首都聖堂と呼ばれるだけあって、壮麗な造りだ。入口の大きな扉は開かれ、老若男女の信者が出入りしている。アルバキースは、人の流れからそれた場所に立つと、鋭い剣気を聖堂の中に向かって一瞬放った。周囲の人間の様子は変わらない。少し遠くに見える憲兵も気づいていないようだ。果たして、あの男は気づくだろうか。待った。自分の呼吸音が少し大きく聞こえる。
あの男が、出てきた。信者に笑顔で声をかけながら、近づいてくる。アルバキースは、片手を軽くあげ、気さくに声をかけた。
「いよう、マイアノルテだな?」
「人に訊ねる時は、まず自分から名乗るものだよ」
マイアノルテは、薄っすらと笑みを浮かべながら答えた。この男の牙は抜かれていなかったのだ。それよりも、ついに会えたという感慨の方が深い。この男に憧れ、自分の剣技を鍛え、傭兵の道を歩んできたのだ。
「俺はウォシタブラフ光国のアルバキース・ネイセイラって者だ。あんたに用があって来た」
聖国で使っていたヴィダスという偽名は使わなかった。アルバキースとして、この男とは、正対したい。
「用があるなら、正式に訪えばいい。物騒な剣気を飛ばさなくてもね」
マイアノルテの口調は穏やかだが、目にはこちらを責めるような色が浮かんでいる。誰かが被害に遭う状況も想定していたのかもしれない。それに対してアルバキースは、悪びれずに言った。
「剣気で訪いを入れたつもりなんだがな」
「ふむ、おもしろいね。訪いを受けたことにして、用件を聞こうか、アルバキース。僕がマイアノルテ・クインフィーナだよ」
マイアノルテはにこりと微笑んだ。




