1.獰狼の章-1
ウォシタブラフ光国のアルバキース・ネイセイラは、他人に言えない憧れを抱いていた。子供の頃に抱き、長じて35歳になった今でも、その憧れは色褪せることはなかった。
鮮やかに思い出せる情景は、家族に連れられて行った旅行先でのものだ。アルバキースが9歳になったことを記念して計画された旅行の行先は、西の隣国、フィリルレア聖国だった。
ネイセイラ家は、建国功臣の家柄であり、裕福な資産を持っていた。また、父は光国の高官であり、兄は軍人であった。その収入もあり、アルバキースは生活に不自由を感じたことはない。家族で隣国へ行けるのは、そのおかげでもある。父は、厳格な教育方針で、時には手をあげることもあるが、その後には必ず優しさがあった。母は、料理と噂話が好きで、他の家庭の事情に詳しく、時には成績などを比較する時もあった。兄は、生真面目な男で、武芸の腕はいまいちだが、機転が利き、女からの受けもよかった。転じて、アルバキースはというと、わんぱくで戦闘ごっこが好きな、元気あふれる少年であった。
フィリルレア聖国は、緑豊かな森と湖と酪農の国だ。デイテリス教という女神信仰の宗教を国教としていて、神樹信仰の光国から見れば異教の国となる。初めての国外旅行、それも異教の国とあって、アルバキースの期待は高まった。光国から一番近い聖国の街郭ラウドミケまでは、アルバキースが住むケレスチェナドから、およそ5日の旅程となる。
一家の旅は順調に進み、予定通りラウドミケに到着した。その日は、もう陽が傾いていたので、宿に直行して、翌日街郭を散策することとなった。宿の夕食で出された聖国料理はどれも美味で、アルバキースは特にじゃがいも料理のツェペリナイが気に入った。アルバキースは旅の疲れもあり、ベッドに入るとすぐに眠りに落ちた。
翌日、父と母は知人を訪ねるため別行動となり、アルバキースは兄と街郭の散策に出かけた。聖国の街郭は、光国とは少し違い、住人や建物など見るものすべてがアルバキースには新鮮だった。やがて、兄が住人の女性と立ち話を始めた。話は長引き、次第にアルバキースは待っていることに飽きてきた。
その時、黒色のネコがアルバキースの視界を横切った。ネコと遊んで暇を潰そう、そう思ったアルバキースはネコを追いかけた。兄は話に夢中で気づいていない。ネコは薄暗く狭い路地に入っていく。アルバキースは懸命に追っていった。
辿り着いたのは屋敷の庭だった。ネコはそこでのんびりと毛づくろいを始めた。アルバキースはにっこり笑ってネコに近づいていく。その時、大きな音とともに屋敷の扉が蹴破られ、二つの人影が飛び出てきた。一人は上質な貴族の服に片手剣を持った赤髪の男、もう一人はボロボロのローブに両手剣を持った金髪の男だ。ネコはその音に驚いてどこかへ逃げていったが、アルバキースは金縛りにあったように動くことができなかった。二人の男は、一瞬アルバキースに目を向けたが、再び睨み合う。なにか喋っているようだが、アルバキースにはよく聞こえない。
先に動いたのは、赤髪の男の方だ。金属と金属がぶつかり合う高い音が何度か響き、気づくと二人の位置が入れ替わっている。長い固着だった。アルバキースは、冷たい汗を滲み出させていた。再び、二人の姿が交錯する。今度の音は一回だけだ。赤髪の男の片手剣が宙を舞った。次の瞬間、赤髪の男の四肢が斬り飛ばされ、最後に首が飛んだ。あまりの凄惨な光景に、アルバキースを腰を抜かしてへたりこんでしまった。金髪の男は返り血を拭おうともせず、アルバキースに近づいてくる。金髪の男の端正な顔には、なんの感情も浮かんでいなかった。
「ここで見たことは、忘れろ」
アルバキースは震えながら頷くことしかできなかった。
気づくと、金髪の男の姿は消えていて、アルバキースは駆けつけた憲兵隊に保護されていた。聴取に答えると、その憲兵は吐き捨てるように言った。
「告死人形か」
その告死人形に、アルバキースは憧れた。




