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あなたに奇跡を贈りましょう  作者: かわもりかぐら


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中編

 翌日。

 今日の務めである薬の配達を行って神殿内の食堂で休憩中。昼食を食べているミスティアのもとに、グラムから手紙が届いた。

 ミスティアが食べる手を止め、封筒を開封してみたところ内容は『昨日は連絡もなしに約束を破ってしまってごめん』というごく軽い内容のもので。

 それを目にした瞬間、ミスティアの瞳がスカイブルーに染まり、バンッと手紙をテーブルに叩きつけて勢い良く立ち上がる。

 その拍子に座っていた椅子がガタンと大きな音を立てて揺れた。

 正面に座っていたフリードが眉間にしわを寄せて目を怒らせたミスティアを見上げる。


「なによこれ! 侮辱しているも同然だわ!」

「落ち着けよティア様」

「だってフリード!」

「ここ、食堂だぜ。みんなびっくりしてる」

「……あら。ごめんなさい」


 食堂で同じように食事をしていた神官や聖者、聖女たちは驚いた表情や怪訝な表情をしていたものの、ミスティアの謝罪に「気にしないで」と笑って自分の食事に戻っていった。

 ミスティアは椅子を戻し、ストンと座り直す。

 だが手紙は見たくもない、見せたくないとでも言わんばかりに自分からできるだけ遠いところに置いた。


「同じようなことをするバカは思考回路も似てんだな」

「あら、じゃあフリードのところにも?」


 フリードは行儀悪くフォークで何かを指した。

 ミスティアがそちらへ視線を向ければ、ミスティアに届いたのとは違う開封済みの封筒から手紙が飛び出た状態でぞんざいに置かれている。


 そもそも、グラムからの手紙をミスティアに持ってきたのはフリードだった。

 たまたま配達の帰りに寄った事務局で「手紙がある」と局員から渡されたのがリナリアからの手紙だったのだ。

 内容を察したフリードはおそらくミスティア宛のグラムからの手紙もあるだろうと「これからミスティア様に会いに行くので、何かあればついでに渡す」と局員に伝えたところ、やはり届いていたのである。


「内容もたぶん同じだろ。『昨日はすっぽかして悪かった』みたいなやつ」

「ええ、ええ。そうなの」


 いつの間にかアズールの瞳になったミスティアが、困ったように頬に手を添えながらため息を吐いた。


「ティアが怒るのも無理はないわ。だって、わたくしだってこれはおかしいと思うもの」

「まあでも証拠がひとつ手に入ったから、ラッキーといえばラッキーだ」

「うふふ。そうね」


 まるで宝物のように、ミスティアは便箋を丁寧に封筒の中にしまった。

 ミスティアが ―― ティアが叩きつけたことで少ししわがついてしまったが、些細なことである。


「それでミア様。次はどうするんだ?」

「うふふ。まずはお父様からのお返事待ちなのよ。だからもう少しお待ちになって」

「お父上に? それは……怖いな」


 苦笑いを浮かべたフリードに、ミスティアはにこりと微笑んでから食事を再開した。


 重ねて述べるが、ミスティアの実家であるローレンツ男爵家は、建国から約300年経てもなお()()()を保持し続けている稀有な一族である。

 この国では、低位貴族ほど同じ地位を保持し続けることはある意味難しい。

 なんらかの功績であったり、なんらかの不祥事であったりでその立場が変わることはよくあるからだ。

 だからある意味、ローレンツ家は有名であった。


 フリードのような平民ですら知っている。

 平民とも付き合いがあり高位貴族、果ては王族とすら付き合いがあると噂されるほど、ローレンツ家の人脈は広く、深い。


 そんなローレンツ家の現当主が動いているというのだ。

 フリードのような一介の平民との情報の精度などたかが知れている。


「きっと今晩にでもミア様のもとに情報が来るんだろうな」

「ええ、ええ。きっとそうよ。わたくしたちが動くのはそこからなのよ、フリード様」

「そうだな。楽しみに待っているよ」

「うふふ」



 ◇◇



 そもそも、フリードはリナリア・ディダックのことは好きではなかった。

 平民は商人でもない限り、自由恋愛が主であることも要因のひとつだろう。フリードの中で《婚約》という過程を経て結婚なんて知識はなかったぐらいだ。


 普通に出会って。

 普通に恋をして。

 普通に交際を経て結婚、という流れしかフリードは知らなかった。


 突然、聖者になったからと婚約を結ばされて「迷惑だ」と内心叫んだのは悪くないだろう。



 それでもせっかく結ばれた縁。

 長い付き合いになるのだから、とフリードなりに頑張ってはいたのだ。

 聖者の務めの合間や休日に貴族紳士としてのマナーの授業を受けたり、貴族社会について学んだりと少しでもリナリアの隣に立てるように努力はしてきたつもりではあった。

 しかし、リナリアはそう受け取らなかった。


 ある日、神殿の応接室で少しでもリナリアを楽しませようと話をしていたフリードであったが、扇子を開いて口元を隠し、黙って聞いていたリナリアは突然扇子を強く閉じてフリードを怒鳴りつけた。


「つまらない、つまらない、つまらないわ!!」

「……え」

「あなたの話は全然つまらないのよ!! 話す内容が毎回毎回同じで飽き飽きしちゃう!!」

「そ、れは……すみません」


 薬を作り、研究するという聖者の立場上、話せることは限られてくる。

 現在開発中の薬や改善のための試薬について語るわけにはいかないし、神殿内で過ごす分には大きな変化が起こることもない。

 だから自然と、フリードの話題は薬の配達先で見かけたり、体験したことの内容になっていた。


 配達先の庭で咲いていた花が綺麗だったとか。

 配達中、見かけた新しい店があって良さそうだったとか。

 屋台で売っていた食べ物が美味しそうだったとか。

 露天で売られていた工芸品が精巧なものだったけれど自分でも手の届く範囲の値段だったとか。


 ―― つまり、フリードの話は基本的には王都に暮らす平民の話でしかない。

 それ以外で話せることなどフリードにはないといっても過言ではないだろう。


 だが、リナリアが求めているのは下々の話ではない。

 社交界の、華やかな話題を求めていたのだ。

 たしかにフリードの話に出てくる店の中にはリナリアのお眼鏡に適うところもあったが、大抵は平民向けの店に過ぎない。

 そういう場所はリナリアが()()に足を運ばない場所だ。


「ほんっと、あなたって顔だけね。顔だけはとっても良いのに、私を楽しませる教養もなにもかもないわ!!」


 フリードの表情が歪む。

 ここまで言われて怒りを持たない者などいるだろうか。


 フリード風に言えば「貴族社会とは、直接相手するときは常にお互い腹芸をする」ようなもので、その場で何を言われても常に微笑んでおくのがマストだとはフリードも教わっている。

 だが、そもそも幼い頃からそのような教育を受けているはずのリナリアがこのように感情を顕わにしているのだ。

 フリードが多少怒りの様子を見せたとて、お互い様というものであろう。


 だがリナリアはそうは思わなかったようだ。

 カッと顔を赤くしたリナリアは勢いよく立ち上がり、テーブルに手をつき、反対の手で持っていた閉じた扇子を振り上げ、フリードの左頬を引っ叩いた。

 耳元に聞こえたまるで劈くようなバシンッと強い音、遅れて強い痛みを感じたフリードは呆然とする。


 ゆっくりと、フリードの視線がリナリアに向けられた。

 リナリアは肩で息をするほど呼吸が荒く、まるで親の仇を見つけたかのようにフリードを睨みつけている。


「立場を弁えなさいよ!! いくら聖者だからって、お前は平民!! 私とお前は天と地ほどの差があり、お前は私に何か意見することすら許されないのよッ!!」


 何も言い返さぬまま呆然と見上げてくるフリードを再び睨みつけたリナリアは、そのままヒールの音を強く響かせながら応接室を出ていった。

 廊下で待機していたであろう護衛が「お嬢様!」と慌てて追いかけたのが、フリードの耳に届く。


 フリードの心はここで折れたと言っても過言ではない。

 もともとなかったとはいえ、リナリアへの好意も地の底に落ちた。



 フリードにとって幸運だったのは、このやり取りを聞いていた者がいたこと。

 応接室の窓の外は、待っている者が退屈しないように神殿の中庭に面している。

 この日、天気が良く風も心地よいものであったから、フリードはリナリアが来る前に窓を少し開けていたのだ。


 そこで偶然、中庭で散歩をしていたその者はフリードとリナリアのやり取りを聞き、慌てて神官長に相談しにいった。

 重ねて述べるが、聖者、聖女は人数が少ない。

 聖者や聖女に何かしら問題が出た場合は、彼らの後ろ盾となっている神殿がサポートしてくれる仕組みがある。

 この仕組みが全世界で一斉に作られた有名な事件があるのだが、今回はそこは割愛しよう。


 とにかく「聖者フリードがあらぬ言いがかりをかけられ、殴られた」という事実は迅速に、神官長に伝えられた。

 殴られた本人であるフリードがようやく復活して「神官長に相談行くかな」と立ち上がったタイミングで、神官長本人が息を切らして応接室に駆け込んできたほどである。



 ―― 調合室。


 クツクツ、クツクツと、両手のひらサイズの小鍋が小さな泡を鍋底から吐き出しながら揺れている。

 小鍋に入っている材料からじわりと色が溶け出した。うっすらと青く色づいた液体は、徐々に色を濃くしていく。

 真っ青な液体になったタイミングでフリードは火を止めた。

 周囲には独特の匂いが漂う。慣れない者は顔をしかめるほどの臭いだが、フリードたちは慣れたものだ。


 耐熱性の三角フラスコの口には漏斗が差し込まれており、その上にはフィルターが置かれていた。

 ゆっくりと、小鍋からフラスコに液体を流し込んでいく。

 フィルターで濾された液体は、まるで海を思わせるマリンブルーとなった。


 小鍋をコンロの上に戻したフリードは、まだ熱い三角フラスコから漏斗とフィルターを取り去った。

 手にミトンをはめて、フラスコを持ち上げて作業台に運ぶ。

 作業台の上にあるフラスコ台に持っていた三角フラスコを置くと、フリードはミトンを外して作業台の上にあった容器から一匙、なにかを掬った。


「―― 祈りを、祈りを、祈りを」


 そう呟きながら、フリードは匙にあったサラサラとした粉をフラスコに入れた。


「神よ、聞き届け給え。どうか弱き我らに慈悲を。どうか苦しむ者に救いを」


 包み込むように、触れるか触れないかの位置でフラスコを両手で囲う。

 淡い光がフリードの両手から溢れ出した。


「神よ、許し給え。与えたもう力をもって、我らが人を救う手助けを行うことを」


 フラスコの中にあった液体が揺れ、色が変わっていく。

 はじめはマリンブルーであった液体は、徐々に色が抜け、変化していく。


「神よ、許し給え ――」


 微かな声の詠唱が終わると同時に、一瞬眩い光がフラスコから発せられた。

 それが合図かのように、フリードの手がゆっくりとフラスコから離れていく。


 完成品であった。

 それを感情なく眺めたフリードは、やがてふと苦笑いを浮かべる。


「本当にできるなんてな」

「おや、できたのかい」

「セレスタン様」

「いやなに、面白い調合を始めたからな。見てたんだよ」


 フリードの背後からひょっこりと現れた黒髪短髪の、セレスタンと呼ばれた無精ひげの男はからりと笑った。

 20代のフリードよりも年上で、頭髪には少々白髪が交じっている。

 長年、聖者を務めているということもあってセレスタンは誰よりも博識であった。


「ミスティア様から依頼されたやつか」

「はい」

「はぁーん……ミスティア様も面白いこと考えるもんだな。なるほどなぁ。こいつが制約に引っかからねぇと」

「そうらしいですね。作れてしまったので」

「こりゃ勉強になるわ」


 ほらよ、とセレスタンが手のひらサイズの、透明の空の容器をふたつ、フリードに差し出す。


 この調合室では、既存の薬の製造もそうだが、新薬を作ろうと研究し試行するものも多い。

 神から与えられたこの《ギフト》は万能ではないからだ。


 たとえば、薬草の量が多すぎて人には毒となるだとか。

 たとえば、入れた薬草の組み合わせがよろしくなく、毒になるだとか。

 要するに「人にとって毒となる」薬はなぜか作れないようになってるのだ。この場合、フリードが行った最後の《奇跡》の力を込める行程で中の液体が蒸発する。

 ただ、何が原因で毒となったのかまでは分からない。

 だから聖者や聖女たちは研究を、試行を繰り返す。


 フリードもそのうちのひとりとしてこの調合室に入り、この薬を作った。

 新薬である。


 渡された容器にそれぞれ、作った薬を注ぎ込む。

 見た目はただの透明な薬であった。透明な容器に注ぎ込んだとてただ水が入っているようにしか見えない。

 だが、これはれっきとした薬である。


「治験はやるのか」

「いいえ。実はこれ、ティア様からの指示で作ったんで」

「ああ、ティア様の方か。なら不要だな……ま、うまくやれよ」

「もちろん」


 ひらりと手を振って自分の持ち場に戻っていったセレスタンの背を見送ったあと、フリードは後片付けを始めた。



 ◇◇



 ミスティアとフリードが協力者となって、1週間後のこと。


 休みとなったふたりは、結託したあの7番通りのカフェのテラスでお茶を飲んでいた。

 飲み物は前回と同じ。

 ミスティアはアイスレモンティーを。フリードはホットティーを。

 前回と少し違うのは、そのテーブルの上に手がつけられていないショートケーキとチーズケーキがあり、1通の立派な封筒があるぐらいだろうか。

 宛名はフリード。差出人はトーマス・ローレンツ。


 ホットティーをゆっくり一口飲んで、ふと息を吐いたフリードは苦笑いを浮かべた。


「まさか俺にまで送ってくるとは」

「あら、当然でしょう? フリードは当事者だもの。参加する権利はあるわ」


 スカイブルーの瞳を楽しそうに細め、頬杖をついてミスティアが笑う。

 一度肩を竦めたフリードは、封筒に手を伸ばした。封はすでに切られている。

 封筒から便せんを取り出して広げると、ふわりとフリードの鼻先を花の匂いが掠った。

 クドくなく、かと言って存在感がないわけでもない。

 貴族とは妙なことをやるものだ、とフリードは考えながら便せんの内容を目で追った。


 要約すれば、ローレンツ家が主催する夜会への招待状である。

 日時は2週間後。この招待状が届いたのは3日前だ。

 社交界での慣習と照らし合わせると急な招待状となるが、ローレンツ家としてもこれ以上長引かせるつもりはないのだろう。


「『ぜひ、パートナーとご参加ください』ってなぁ。……これ、パートナーってのは婚約者や伴侶って意味だろ。お友達同士で、とかじゃない」

「そうよ」

「俺、欠席として連絡したって言われたんだけど」


 婚約している当人同士の仲がどうであれ、ディダック侯爵家としてはフリードを逃すつもりはないのだろう。

 リナリアがフリードに理不尽な怒りをぶつけた後も定期的にリナリアが会いに来ていた。

 とはいっても、滞在時間はものの5分とかそんなものだ。


 そこでフリードは招待状が来た話をした。

 パートナーと一緒に、と言われているのだからフリードとしては確認すべき話題だった。

 ところが、リナリアは「誰がお前なんかと行くものですか」と鼻で笑った。


『私には私に相応しい人がいるの。その方にエスコートしていただくことに決まっているのよ。お前なんかお呼びでないわ。もう欠席の連絡してあるから、お前はいつも通り聖者の務めをしていればいいのよ』


 ―― リナリアから言われた言葉を一言一句違わず口にしたフリードは思わず眉間にしわを寄せ、静かにため息を吐く。

 ミスティアは目を瞬かせると、ニヤリと笑みを浮かべた。


「大丈夫よ。今朝トーマスに確認したけど、フリードが欠席するなんて連絡はないって言ってたわ。だってメッセージカードが届いていないもの!」

「……それは」

「だから今日、この場で『出席する』と返事を書きなさいな。今日中に出せば明日にでも届くわ」


 言いながら、ミスティアは持っていたサコッシュからペンを取り出し、フリードに差し出した。

 フリードは何度か目を瞬かせながら差し出されたペンを見つめ、やがて目を細めてふと笑いながらペンを受け取る。


 招待状に同封されていた、返答用のメッセージカードに書かれている「出席」の部分に丸をつけ「欠席」の部分に斜線を引いた。


「でも、あのお嬢様はどうやって俺を欠席にしようとしたんだ?」

()()()カードが届いたらしいわよ」

「……ディダック侯爵は止めなかったのか」

「さあ。むしろ、ディダック侯爵は知らないんじゃない? 自分の娘が文書を偽造しただなんて」


 たとえフリードが平民だったとしても、フリード本人と偽って返答することは立派な犯罪である。

 代筆であれば説得できたかもしれないが、と考えてフリードは思い当たる節があって思わず笑った。

 そう。そうだと、フリードは思い出す。


「あのお嬢様、俺が読み書きできない人間だと思ってるな」

「はぁ? バカじゃないの?」

「そうかもな」


 読み書きできないと聖者の務めなどできないのに。

 過去の研究記録を読み解き、過去の試行結果からより良い薬を作るためにレポートや神殿の蔵書を読み漁るのは日常茶飯事である。


 フリードは人前で本を読まない。

 邪魔されるのが嫌だし、ゆっくり自分のペースで読みたいから。

 だから、リナリアと会う応接室や外では本を読んだことはない。待っている間でさえも、ぼんやりと部屋や周囲の様子を眺めて待っている。

 手持ち無沙汰のときは本を読む機会が多い貴族社会出身のリナリアにとっては、フリードの様子は「読み書きできないからぼんやりしている」とでも思ったのだろう。


「代筆にしちまえとでも思ったんだろうな」

「バカだわ。ちゃんと送られてきたカードを返さなければ意味がないのに。偽物用意したってすぐバレるのよ」

「そうなのか?」


 先ほど書き込んだカードを持ち上げ、あちこち眺めてみるがフリードの目には特に変哲もないカードにしか見えない。

 ミスティアに視線を向ければ、いつの間にかアズールの瞳となったミスティアが微笑んでいる。


「ふふ。気になります?」

「気にはなるが、ローレンツ家独自のものであれば聞くわけにはいかないな」

「ええ、ええ。おそらく我が家か、我が家と同等の歴史を持つ家か、王家か。そんなごく僅かな家しか知らぬことです」

「ますます聞いたらマズいことじゃないか。というか、その事実を俺に伝えても良かったのか?」


 ミスティアは目を瞬かせ、不思議そうにかくりと首を傾げた。


「フリード様は、ティアが許している方ですもの。つまりこういったことには口が堅い方ですから」

「買いかぶってる気がするなぁ」

「あら、そうでしょうか? わたくし、もし結婚するならフリード様のような方が良いです。ティアのことも受け入れてくださってますし」


 ホットティーを飲もうと持ち上げたタイミングで告げられた言葉に、ガチリとフリードの動きが固まった。カップの中身がチャプンと音を立てる。


 驚いた表情で、フリードはミスティアを見つめた。

 告げた本人は、アズールの瞳を楽しそうに細めながらにこにこと微笑んでフリードを見つめていた。


「お、おう……? ありがとう」

「うふふ。本当ですのよ」

「本当よ!」


 言いながら瞳を閉じたミスティアが、もう一度開いたときにはスカイブルーの色になっていた。

 その瞬間に発せられた「本当だ」という言葉の強さに、フリードは目を瞬かせる。


「もちろん、神殿のみんなも良い子たちだわ。でも、わたしが良いって言ってるのにみんな一歩引くんだもの。お前ぐらいよ、わたしの言葉通り、望み通り接してくれたのは」

「……そんなもんで?」

「そんなもんで、よ。お前ならミアを任せられる。伴侶でも、友人でも、上司と部下という関係でもお前ならミアを任せられると思ってるわ」


 胸を張って、自慢げに告げるミスティアにフリードは呆気に取られていたが、やがておかしそうに声をあげて笑った。

 大声ではない。けれど、遠慮のない笑い声に今度はミスティアが目を瞬かせる。

 カップの中身を零さないように置くことに苦労しつつも涙を浮かべるほど笑ったフリードは、落ち着かせるように息を吐くと姿勢を正した。


「ティア様、ミア様に伝えたいんだが」


 フリードの言葉にニッコリと笑ったミスティアは瞳を閉じる。

 ゆっくりと開かれた瞳の色がアズールに染まり、表情は穏やかなものに切り替わっていった。


 穏やかな、柔らかい風がふたりの頬を撫でた。


「ここで正式に返事をすると、色々と余計なことに巻き込まれると思うから。返事は今回の件が終わってからでいいか?」

「ええ、ええ。もちろん」

「じゃあ、それまでは今まで通りということで」

「ええ、そうですわね」


 そこまで言って、ふたりの会話は雑談に戻る。

 手をつけていなかったケーキにそれぞれフォークを刺し、口に運んで舌鼓をうった。



 ◇◇



 2週間という期間は、長いようで短い。

 通常、最低でも1か月はかかるという夜会の準備は非常に慌ただしく行われた。

 それでも問題なく準備が整ってしまうのは、ひとえにローレンツ家の人脈や信用に他ならない。


 ローレンツ家の馬車に揺られながら、ミスティアとフリードは会場であるローレンツ家に向かう。

 距離にして約3時間ほど。途中休憩を挟めばもう少しかかるため、ふたりは早めに出発していた。


「正装ってこんな長く着たことないから、窮屈だな」

「まあ、うふふ。お似合いですのに」

「普段の作業着の方が気楽だよ」


 苦笑いを浮かべてそう答えたフリードや微笑むミスティアの服装は、普段見かけることのないものであった。


 フリードは黒地に金糸で袖や裾に植物の刺繍が施されたカソックに、薄緑の地にオレンジの幾何学模様が刺繍されたストラ。

 ミスティアは裾の長いワンピースドレスに、頭は腰ほどまである長いベールで覆っている。ドレスやベールの色や刺繍は、フリードのカソックとストラと同じである。

 いずれも聖者と聖女の正装であり、国政や外交の場で彼らが表に立たなければならない場面で着用が義務付けられているもの。

 今回の夜会もそれに該当するとして正装に着替えたのだが、普段に比べれば動きにくいのは多少仕方がないことだろう。


「これに袖を通したのは今回で2回目だよ」

「あら、まあ。では神命式以来ですか?」

「そう」

「うふふ、それでは彼女もご覧になられていないのね、フリード様のこのお姿は。ころりと意見を変えられてしまうかも」

「それはそれで困る」


 実際、ミスティアの目から見ても正装姿のフリードはいつもより輪にかけて凛々しく、見る人によっては後光すら感じられるのではと思われるほどの麗人であった。

 普段のフリードも面立ちが整っていて目を引かれる部分はあるが、おそらくティアがこの場で出てくれば「普段からこの格好でいられたら、みんな目がやられるわ」と笑っていたことだろう。


 対して正装姿のミスティアの方は「美しい」「可憐」というより「清楚」といった方が良い。

 正装姿のフリードのように誰も彼もが振り返るといった目を引かれるものはないが、どこか安心させるような雰囲気がある。

 そう。まるで、この世界を見守る女神のような。


「―― 昨日、わざわざあのお嬢様が『お前は欠席だ』と念押しにきたよ」


 ぽつり、とフリードが呟くとミスティアは笑みを深めた。


「グラム様も嬉々としてディダック様といらっしゃるでしょうね」

「俺も君も、夜会に『欠席する』なんて一言も言ってないのに?」

「ええ、ええ。ただの一言も。わたくしはただ『当日はあなたと行けそうにない』と伝えただけですもの」

「それ『その日はお前となんざ行かねぇよ』って話じゃん。そのウィディアム様とやらは疑問に思わなかったのか」

「『それは残念だ』と。表面上は残念そうでしたが、面白いぐらいに嬉しそうな声色が隠せていませんでしたわ。思わず笑ってしまいそうになりました」


 リナリアと約束していたからか、グラムは気もそぞろだったのだろう。

 ミスティアは一切、なぜその日、グラムと一緒に夜会に参加できないのかを話していない。

 懸念だった婚約者であるミスティアから「当日行けない」という事実だけ都合よく理解したであろうグラムはそのまま話を流してしまった。

 フリードですら気づく言い回しなのに、彼は気づかなかった。


 ―― もう潮時なのだとミスティアは思う。

 これ以上婚約を長引かせるのはお互いによろしくない。

 それこそ、想い合っているふたりを婚約させるのが良い。


 それが例え、周囲にどのような印象を与えるのだとしても。


「そういえば、あの薬はどう使うんだ? 効能からして、使いどころが難しいやつだと思うんだが……」

「ああ……あれは、然るべきときにおふたりに飲んでもらう予定なんです」

「……飲むのか?」

「ええ、飲むでしょう。いえ、飲まざるを得ないというか」


 ぺたりと頬に手を添えて、ミスティアは困ったように眉尻を下げながら微笑んだ。


「おそらく自らお飲みになられますよ、おふたりとも」


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