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あなたに奇跡を贈りましょう  作者: かわもりかぐら


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前編

 この世界の薬には、奇跡が込められている。

 奇跡を扱える者は少ない。

 神に認められた清らかなる魂にのみ与えられるギフトであり、神からの恩恵なのである。


 彼らは与えられたギフトを使いこなすため日々努力する。

 神に最も近いとされる神殿に身を寄せ、人々のために薬を、奇跡を研究し、作り上げる。


 だからこそこの世界では、薬を扱う者を聖者、または聖女と呼ぶのだと言う。




 ―― そんな逸話を思い出しながら、銀糸の髪にアズールの瞳を持つ儚げな雰囲気の女性 ―― 聖女のひとりであるミスティアはある光景を眺めていた。

 彼女の視界の先では、


 己の婚約者が。

 堂々と。

 真っ昼間から。

 清らかなる神殿の中庭で。


 人目も憚らず、自分ではない女性を抱きしめていたのである。


 相手がふらついて助けたとかそういう次元ではない。

 しっかりとお互い相手の背に腕を回し、婚約者にいたっては相手の ―― 身につけている衣服からして貴族階級の女性の頭に頬を寄せている。どう見ても婚約者同士、あるいは恋人同士の抱擁だ。

 感情のない瞳でその光景を見てしまった彼女の心の中はいかほどか。


 ミスティアはそのままふたりから視線を外すと、踵を返して聖女の制服であるシンプルな白の長いスカートを翻して静かにその場から立ち去った。

 その際、ちらりと婚約者と抱擁していた女性と目が合った。彼女の口角が上がっていたようにも見えたが、ミスティアは気にすることなくその場から去っていく。



 ローレンツ男爵家の次女、ミスティアの婚約者の名はウィディアム子爵家の長男、グラムという。


 ミスティアの実家ローレンツ男爵家は、建国以来男爵位を保持し続けている稀有な一族である。

 一度も落ちず、一度も上がらず、歴代当主は陞爵(しょうしゃく)を固辞し続け、300年もの間男爵であり続けているのだという。


 一方、グラムの実家ウィディアム子爵家は新興貴族であった。

 国内を流れる、世界でも有数の暴れ川の治水事業に携わった三家のうちの一家で、そのグループのリーダー格だったのである。

 治水事業の功績が認められ、治水事業に携わった二家は男爵位を、事業の中心を担ったウィディアム家が一段上の子爵位を得たのである。


「まあ、とどのつまりただの政略結婚よね。血だけは古いのと聖女がいるうち(ローレンツ)と、人脈を広げたい向こう(ウィディアム)にとっての」

「そう、そうね。知っているわ。聞いているわ。分かっているわ。それでもわたくしは、信じていたかったのよ」


 質素な部屋の中。

 げんなりとした声と、今にも泣きそうなほど震える声が交互に響く。


「何度目、何度目よ。あなたが信じて、グラムが裏切ったのは」

「……今日で3度目だわ」

「そう、3度目。3回。3回もあいつはあなたを裏切ったのよ」

「でも、でも」

「でも、じゃないわミア!」


 バンッと机の上を強く叩けば、ミアと呼ばれた女はビクリと体を震わせた。


「何度も許してはダメよミア。何度も許せば、ああいう男はつけ上がるんだから!」

「でも、でもねティア。あの方は、こんな鈍間なわたくしを受け入れてくださったの。優しい方なのよ。きっと、気の間違いで」

「ミア、世の中には星の数ほど男がいるのよ。そしてその中に、ミアだけを見てくれる男がどれだけいることか! たとえ気の間違いだとしても、ミアから3度も目を逸らしている時点でもう終わりなのよ!」


 ティアと呼ばれた女が、語気を強くしながらミアを説得する。

 このままではミアが、ローレンツ家が使い潰されるだけだと。

 ミアだけなら自業自得で済むだろう。だが現実はそうかんたんなものではないと。


 ティアの話を静かに聞いていたミアは、身につけていたペンダントトップを握りしめた。

 プラチナの裏面にはローレンツ家の家紋が彫り込まれ、正面にはミアの目の色であるアズールと似た、空を思わせるブルーサファイアがそこにはめ込まれている。

 家族からの贈り物なのだ。

 親元を離れて奇跡を使い、民のために奉公するミアへ、我らは共にいると宣言するための。


 ミアは目を閉じ、数度深呼吸をすると再びその目を開いた。

 その表情は真剣そのものだ。


「そう、そうね。わたくし、がんばるわティア」

「そうこなくっちゃ!」

「でもまずは、穏便に婚約解消を進めなくては。これは国に認められている婚約だもの。勝手に解消することはできないわ」

「オーケー、オーケー、任せてミア! なんなら()()を引き受けるわよ!」


 胸を張り、自信満々で答えたティアに、ミアは笑う。

 ティアはいつもミアを助けてくれる。

 ミアを思い、ミアのために良いと思ったことは進言してくれるし、逆にミアのためにはならぬと思ったことは忠告してくれる。

 いつもミアは、ティアの話を聞いて判断している。

 主体性がないと言われるかもしれない。だが、この方が良いのだとミアは思う。


「雑事だなんて、言わないで。大切なお勤めなんだから」

「ええ~。雑事だよ。ミアの方が大事だもの」

「もう」


 笑いを含めたミアの声色にティアは内心ほっと安堵の息を吐いた。


 ―― ミアがグラムのために身を粉にして働いていたことを、ティアは知っている。

 だからこそティアはあの男を許せない。許すことはできない。

 大事な大事なミアを、ローレンツ家を虚仮にしたのだ。国が許したとしてもティアは許すつもりは毛頭ない。

 彼女の笑顔を曇らせる者など、敵でしかないのだから。


 不意に、コンコンとドアがノックされた。

 ミアが振り返り「はい」と返答する。するとドアがゆっくりと開いた。

 そこに立っているのは顔見知りの神官。

 彼は恭しく一礼すると、頭を上げてにこりと微笑んだ。


「ミスティア様。お時間となりましたので、お迎えにあがりました」

「ありがとう。では行きましょう」


 ミアも微笑んでそう返し、ひとり部屋を出て神官とともに廊下を歩いていく。



 ―― ミアが出た部屋の中。

 穏やかな日差しが差し込むその部屋には、誰もいない。



 ◇◇



 聖者や聖女の日常はある程度決まっていた。


 日の出とともに奇跡を与えてくれた神への拝礼。

 朝食をしっかりと食べ、その後はその日担当している務め場所へと移動する。

 彼らは主に薬の精製、奇跡の研究、直接民のもとへ赴いて薬を届ける役割を交代で行うのだ。

 薬の精製、薬の配達はそれぞれ3日働いて、1日休むという仕組みになっている。例えば、精製を3日やったら1日休み、次は配達を3日やるといった形だ。

 研究だけはその性質上、まるまる1週間神殿から出られないし面会もできないといった不便なことはあるものの、期間が終われば3日間の休みがある。そうして、休みが明けたら薬の精製や配達の務めを行う。

 数少ない聖者・聖女の間でこのように協力して、薬を広く普及させていたのである。


 ミスティアが中庭で婚約者の不貞を見かけたのは、その研究の務めが終わった翌日であった。

 休みが取れたことは婚約者に伝えてあり、午後から彼が面会に来るということで、その前に散歩をしていたときだった。


 だから、神官が「時間です」と迎えにきたというのはグラムとの面会時間にほかならない。


 貴族向けの応接室へと通される。

 そこにはすでにグラムがいて、ソファに座っていた彼はパッと顔を明るくして立ち上がると、ミスティアへと歩み寄った。


「ミスティア、待っていたよ」

「ごきげんよう」


 神官が一礼して部屋から去っていく。

 それを横目で見ながらミスティアは、エスコートするように手を触れてきたグラムににこりと微笑んだ。

 そのまま何も言わず、彼にエスコートされるままソファに移動して腰を下ろす。グラムは当然のようにミスティアの隣に腰を下ろした。


「研究のお勤めご苦労さま。すまないね、貴重な休みに」

「いいえ、もう半日も休みましたもの。本当ならすぐにでも他のお勤めをしたいところですが……」

「ああ、ミスティア。休みはきちんと取らねば。この与えられた休みは君たちの心身を守るためだ。君の『皆の役に立ちたい』という気持ちは素晴らしい。けれど、それで倒れては身も蓋もない。何より私も悲しくなってしまう」

「まあ」


 どの口が。


 出てきそうになった言葉をミスティアは呑み込む。

 幸いにもグラムはミスティアの様子に気づいていなかったようだ。


「そうだ。明日か、明後日は出かけられるだろうか。ミスティアが気に入っていた雑貨屋にね、新しい商品が入ったそうだよ。一緒に見に行かないかい?」

「まあ嬉しい。そうですね、でも、あなたが言う通り明日はきちんとお休みを取ろうかと思っていますの。ですから、明後日でもいいかしら?」

「もちろんだとも。友人から聞いた、7番通りにあるとても美味しいカフェにも一緒に行こう。13時に迎えに来るよ」

「うふふ。楽しみにしています」


 そこから、ミスティアとグラムは30分ほど雑談をして過ごした。

 他愛もない話だ。

 グラムの父が休暇の際に釣りに行って、大物を釣ったこと。グラムの母が作り上げた刺繍が品評会で入賞したこと。

 グラムの友人が博識で、とても楽しい人だということ。


 ミスティアからの話はほとんどない。

 グラムに語るに任せ、ミスティアはただ相槌をうち、時折話題を広げるなどしただけ。

 以前のミスティアであれば神殿内での些細な出来事を語っていた。けれど今回、それをしなかった。

 ミスティアなりにグラムを試していたのだ。

 彼がそのことに気づけば、ミスティアとしては静かに身を引くつもりだった。そう。気づけば。


(―― 分かっていたことでしょう、ミア)


「おっと、もう時間だな。すまない、今日はこのあと予定があって」

「わたくしもこのあと、友人との約束がございまして。名残惜しいですが、本日はお開きですわね」


 悲しげに眉尻を下げたミスティアにグラムは僅かに驚いたような表情を見せた。

 グラムとしては、ミスティアから今まで一言も「友人」の話を聞いたことがなかったからだろう。

 ミスティアも今まではあえて話すつもりはなかった。だが、彼女と決めたことだ。


 ミスティアは、グラムの反応をもって婚約を()()する手続きを進めることを心に決めた。

 そのアズールの瞳には決意が宿っている。けれどグラムはミスティアのその瞳を見逃した。

 ここでその瞳に気づいていれば、ミスティアの決意を翻すことができたかもしれない。けれどグラムは見逃した。

 それがどれほどの意味を持つのか、知らずに。


「実はこのあと、友人がこちらに来る予定でして。お見送りはできそうになく……申し訳ありません」

「いや、大丈夫だよ。また明後日、出かけられることを楽しみにしているよ、ミスティア」

「わたくしもです」


 グラムがミスティアの左手を軽く持ち上げ、その手の甲に口づけが落とされる。

 その行為を凪いだ瞳でミスティアは見つめていた。かつての彼女であれば、ほんのりと頬を赤く染め嬉しそうに微笑んでいただろう。

 だがグラムはそのことに気づくことなく、ミスティアから離れ、別れの言葉を残して応接室から立ち去った。



 しん、とした音に部屋が支配される。

 ミスティアはソファに座り直すと、ふう、と息を吐いた。


「やーっぱり、気づかなかったわ。あの男」

「そう、そうね。ふふ。結果的に4度目になってしまったわ。こちらが勝手に、事情を話さずやったことだけれども」


 ―― グラムが退出してから、この応接室のドアは一度も開かれていない。

 そして、この部屋には先ほどまでミスティアとグラムのふたりしかいなかった。


 だが、声が響く。


「いいのよ、そのぐらい! そのぐらい察せなければ、ミアの夫にはなれないわ!」

「まあ、ひどい」

「要するにそのぐらいイイ男が他にもいるってことなのよ!」


 声が響く。

 高らかに、強く紡がれる言葉を紡ぐ音と。


「ええ、ええ。そうね。傷物になってしまうけれど、わたくしを拾ってくれる人はいると信じるわ。ティアの言う事だもの」

「そうよ! その意気よ、ミア!」

「そうね、まずは父に連絡を取りましょう。明日外出する手続きを取るわ」


 声が響く。

 静かに、柔らかくとも決意のこもった言葉を紡ぐ音と。


 ミスティアは立ち上がる。

 グラムにはああ言ったが、このあとの時間の応接室は押さえていない。

 誰か利用者が来る前に去った方が良い。


 ゆっくりと応接室のドアに向かい、ノブを回して開いて一歩、踏み出したそのとき。

 ちょうど、こちらに向かってきていた神官がいたのがミスティアに見えた。


「おや、ミスティア様。これからお戻りに?」

「いいえ。外出の手続きを取ろうかと思って、神官様方の事務局の方へ向かおうかと」

「おお、お出かけですか。ちょうど私も向かうところでしたので、ともに参りませんか? そのまま私が手続きいたしましょう」

「まあ。ありがとうございます」


 ミスティアが廊下に出ると、神官が念のため応接室内を確認した。

 誰もいないことを確認した神官はよしと頷くと、応接室のドアの鍵を閉める。くるりとミスティアに向き直り「参りましょうか」と告げると、ミスティアも微笑んで頷いた。



 ◇◇



 ローレンツ家当主、トーマスは妻であるビビアナとともに子どもたちを大事に、時には厳しく育て上げた。

 その結果、長女アイリーンは次期女男爵と呼ばれるほどの秀才に成長。

 次女ミスティアはギフトの件もあり、家族総出で彼女を支えた。

 姉妹は、夫婦にとって最上の宝であり、自慢の姉妹なのである。


 だから。だからこそ。

 彼らは、激怒した。


「不貞だと!? ミアの目の前で! しかも神殿内で!?」

「ミア! どうしてやるのがいい? あなたの希望を聞かせて!」

「静かになさい、ふたりとも」


 ビビアナの一声に声を荒げていたトーマスとアイリーンはピタリと口を閉ざし、すごすごとソファに座り直した。

 私服姿で帰ってきていたミスティアは「そこまで怒ることだったのか」と目を瞬かせながら、ぼんやりと思った。



 ―― ミスティアが珍しく自分から帰ってきた。


 普段は「会いたい」とこちらからアクションして、休日を調整して帰ってきてくれた子であった。

 だが今回は突然ではあったが、自発的に帰ってきている。

 ミスティアの帰宅に喜んだ一家は「相談がある」というミスティアの言葉に一も二もなく頷いた。


 そうして、談話室で話された内容に激怒したのだ。


 グラムと直接何度か交流し「この男であればミアを託せる」と判断したトーマスは特に怒り心頭である。

 自分の見る目がなかったと言えばそうではあるのだが、責はあちらだ。

 一応この婚約は政略の意味も含まれているが、人脈を形成するという意味ではローレンツ家以外にも古い血筋の家はいるのだからそちらと婚約を結び直せば良い。

 政略上、婚約を変えるということは稀にあることだから法律上も問題ないのだ。評判が多少……という点はあるが、ちゃんと理由があればそこまで言われることもない。



 一喝で静かになったふたりを見てから、ゆっくりとビビアナはミスティアに語りかける。


「ミア。あなたはどうしたいの?」

「婚約を()()したいわ。白紙ではなく」

「そうか! なら早速「お座りなさい、あなた」……」


 ミスティアの意思を聞いて立ち上がったトーマスにビビアナはピシャリと言いつけた。

 勢いを削がれたトーマスはしおしおとまたソファに座り直す。


(相変わらず、仲の良い人たちね)


 アイリーンはというと、座ったまま「どうして?」と静かにミスティアに尋ねた。


「どうして、白紙ではなく破棄を選んだの? 破棄ではミアの経歴に傷がつくわ。ミアの今後のことを考えたら、悔しいけれど白紙にした方が良いんじゃないかと思ってるの。理由を聞かせて、ミア」

「……破棄にすれば、少なくとも向こうにも経歴に傷がつくでしょう? わたくしは一矢報いたいの。そう、気づいたの」

「そうだったの」


 ミスティアの答えにアイリーンはそう呟き、黙って様子を見ていたトーマスとビビアナは顔を見合わせて頷いた。

 娘がこれほどの覚悟を持っている。

 それならばそれに少しでも応えなければ。


 膝を叩いたトーマスは、うんと頷いた。


「この父に任せなさい、ミア。我が家は男爵家ではあるが、先祖代々から続いている恵まれた人脈がある」

「私の実家にも働きかけましょうね。可愛い孫の危機ですもの。すぐ動いてくださいますわ」


 ―― このふたりが動いたら、どれほどの人間が動くことか。

 その事実を知っているアイリーンとミスティアはお互い顔を見合わせ、笑った。


「わたくしも、頑張るわ」

「ミアはもう十分頑張ってるのよ」

「ミア」


 ビビアナの呼びかけにミスティアが振り向く。

 すでにどこに連絡を取ろうか考え始めているトーマスの隣に座っていたビビアナは、にこりと微笑んだ。


「相談してくれてありがとう。そして、あなたに発破をかけてくれた彼女にもお礼を」



 ◇◇



 翌日。

 つまり、グラムがミスティアと面会して約束とした日。


 ミスティアは実家から神殿に戻り、白を基調とした制服ではなく人との外出に適した清楚なワンピースとカーディガンを羽織って、自室でグラムの訪問の一報を待っていた。

 神殿側には13時頃にグラムが来ることは伝えてあった。だから、グラムが神殿に来れば神官が呼びに来るはずだ。


 コンコン、とドアがノックされた。

 ミスティアは時計に目をやる。その針が指す時刻を見て、目を細めてから「はい」と返事をした。


「ミスティア様、あの……」

「分かったわ。これから事務局に行くので、先にお伝えくださる?」


 ミスティアの答えにドア向こうの神官は「承知しました」と答えると、ドアの前から立ち去ったようだった。

 現在時刻は15時。

 グラムから遅れるとも、今日はダメになったとも連絡はない。


「ほらごらんなさいよミア! たった2日前に約束したことを忘れるなんて、なんて鳥頭なのかしらあいつは!」

「あら、ティア。それは鳥に失礼だわ」

「それもそうね。この次はどうするの、ミア」

「そうね……お父様に速達を出すのはどうしかしら、ティア」

「いい案だわ! もっともっと怒ってもらいましょう!」


 ミスティアは早速、机の引き出しから便せんを取り出すとスラスラと書き始めた。

 文章の体裁などない。ただ「グラムに約束をすっぽかされた」という事実のみを書き連ね、便せんに封をする。宛名にはトーマス。


 その手紙を眺めながら、ふふ、とミスティアは笑みを零した。


「お出かけしましょう、ティア」

「そうね! スカポンタンのことなんか忘れて出かけましょう!」

「うふふ」




 手紙を持ち、これから出かける旨を事務方に伝えてミスティアは神殿を出た。

 神殿を出るにはあらかじめ外出届を出す必要がある。

 休日ではあるとはいえ、万が一体調不良が出て体制に穴が空いたときにすぐ入れるようにしなければならないからだ。

 つまり、誰がいつからいつまで外出しているのかは事務方は把握してるし、何ならこれから外出する者も誰が外出しているか分かるのだ。

 事務室に入りさえすれば、入口から見えない位置にあるボードに誰それがいついつ外出と書かれているのだから。


 ミスティアは雑談とこれから外出する旨を伝えるために、事務室に入った。だからボードを見ている。

 今日、ミスティアの他に外出予定していた者がひとりだけいた。


「ねえ、ティア。あの方はどちらにいらっしゃるかしら」

「まっ! ミア、とっても面白いことを考えついたのね!」

「そうね。あの方にとっては面白いことじゃないかもしれないけれど」

「どうかしら! あの方は ―― あの男が言っていた7番通りのカフェにいる()()()()わ」

「ありがとう」


 ミスティアの足は、王都のメインストリートに向き、しばらく歩いたところにある7番通りへと進んだ。

 途中、ミスティアが聖女であることに気づいた都民らが軽く挨拶をしてきたのでミスティアも笑顔で挨拶を返す。ミスティアが携わった薬の恩恵を受けた者たちだ。

 ミスティアたちがいなければ病に倒れ、こうやって元気に生きていくことはできずそのまま儚くなっていたであろう者たち。


 薬で助けられない場合もある。それで、理不尽に怒鳴られたこともある。

 それでも、それでも。

 ミスティアは授かったギフトを活用して、この国の、この世界に生きる人々の少しでも助けとなれば良いと、日々薬を生成していく。


 それを苦だと思ったことは、ミスティアは一度もない。

 一度、瞳を閉じ。再び開いたミスティアの瞳に、今の空と同じスカイブルーが映った。


 露店売りの肉刺しが美味しそう。

 パン屋の、パンの焼ける匂いに自然とよだれが湧いてくる。

 隣国産の美しい工芸品に目を奪われる。


 けれどミスティアは足を止めない。

 そうして辿り着いた、7番通りのカフェ。

 そこにはテラス席があり、そこには端正な顔立ちの男が優雅にティーカップで何かを飲んでいるようだった。

 男を見つけたミスティアは自然と口角を上げて、ゆっくりと男に近づいていく。


 自分に近づいてきた何者かに気づいたのだろう。

 ふと、男の視線がミスティアへと向けられ、サファイアのような瞳が見開かれる。


「ミスティア様」

「偶然ですわね、フリード様。わたくし、ひとりで散歩をしていたのですけれど……相席してもよろしくて?」

「もちろん」


 フリードと呼ばれた男は微笑むと、立ち上がって自身が座っていたテーブル席の空いている椅子を引いた。

 軽く頭を下げたミスティアは、彼の行動に甘えて椅子に座る。その行動にあわせて椅子を動かしたフリードは、自身の席に戻り、メニューを差し出した。


「何かお飲みになりますか」

「そうですわね……こちらで」

「では店員を呼びましょう」


 ミスティアが指さしたメニューを確認したフリードは、テーブルに備え付けられていた呼び鈴を鳴らした。

 チリンチリンと、心地よい音が響く。

 やがて間もなく、テラス席に面した大きな窓がある店内から店員が注文票を片手に現れ、フリードたちの席の前で立ち止まった。


「こちらのご令嬢に、アイスレモンティーを」

「お砂糖はいかがなさいますか?」

「いらないわ」

「承知いたしました。しばらくお待ちくださいませ」


 店員が頷いて、店内に戻っていく。

 その様子を眺めていたミスティアはフリードへと視線を戻した。

 ぱちりと目が合ったフリードは、穏やかな笑みを浮かべる。その目元には、その美貌に不釣り合いな濃い隈があった。



 フリードは、平民出身の聖者だ。

 ミスティアより少し先に神殿に入った身だが、少し先と言っても僅差でほぼ間を置かずミスティアも神殿に入ったということもあり、ほぼ同期である。

 儚げな雰囲気のミスティアと、整った面立ちのフリード。

 このふたりが並び立つと場が華やかになると老神官が笑っていたほどだ。


「ミスティア様おひとりでお出かけですか」

「あら、フリード様もおひとりですわ」

「約束していたのだけれど、すっぽかされてね」


 苦笑いを浮かべながら肩を竦めるフリードに、ミスティアは瞳を細めて笑みを浮かべる。

 その様子を見たフリードは行儀悪くテーブルに肘をついて、その手のひらに顎を乗せながら先ほどとは一変して意地悪い笑みを見せた。


「ミスティア様もだろう? だからティア様()ここにいる」

「―― ふ、ふふっ」


 ミスティアの口から笑い声が漏れた。

 大口を開けてケラケラと笑いたいのだと言わんばかりにおかしそうに()()()()()()の瞳を細めたミスティアは、口元に手を添えながらもニヤリと口角を上げる。


「あらやだ。わたしとしたことがフリードにバレるだなんて」

「俺の前では何度も出ているじゃないか。もう見慣れたよ」

「フリードぐらいよ、わたしとミアの見分けがつくのは」


 テーブルの下で行儀悪く足を組んだミスティアは、椅子の背もたれに寄りかかって腕を組んだ。

 先ほどまでの清楚な姿などどこもなく、まるで下町を駆け回る町娘のような態度である。


 くるくると長い髪を指先で弄りながら、ミスティアは口を尖らせた。


「今日はうまくごまかせると思ったのに」

「それで、俺に何の用だ?」

「あら、あなたに用があると思ったの?」

「そうでなければわざわざこんな外れのカフェに、あんたたちが来ることはないだろう」


 そう言っている間に、店内から店員がトレイを持って出てきた。

 ミスティアは姿勢を軽く正しながら、注文したアイスレモンティーを載せて運んできてくれた店員にニコリと微笑む。


「おまたせいたしました。アイスレモンティーです」

「ありがとう」


 ことりとレモンのくし切りが縁に飾り付けられたストローがささったグラスと、レモンを置く小皿がテーブルに置かれる。グラスに満たされたアイスティーの中にあった氷がカラン、と音を立てて軽く揺れた。

 店員は軽く一礼すると、トレイを持って店内に去っていく。

 テラスにはフリードとミスティア以外にも何人か客がいるから忙しそうだ。15時というちょうどティータイムの時間だということもあるだろう。

 今も男女のカップルが涼やかなドアベルを鳴らしながら店内に入っていくのがミスティアから見えた。

 それはフリードも同じで、彼はそちらに視線を向けていたがゆっくりとミスティアへと視線を戻す。


 ミスティアはグラスの縁にあったレモンを掴んで持ち上げるとアイスティーに絞った。

 ゆらゆらとレモンの果汁が模様を描いてアイスティーの中に沈んでいき、ストローで混ぜることで鮮やかな飴色へと変化していく。

 小皿に絞ったレモンを置いたミスティアは、一口、ストローでそれを飲んでから楽しそうに笑う。


「そうねえ。用件はあなたと同じよ」

「―― なるほどなぁ」

「あなたも気づいていたのね」

「それは、まあ。約束の時間に毎回遅れてくるからな。今日は特に酷かった」

「まっ、こっちも同じよ! この前の面会は珍しく時間通りに来たけれど!」

「たぶん同じ日だろうな。俺のところも同じで……終わり際『このあと予定がある』って言われなかったか?」

「ええ、ええ、ミアが言われたわ!」


 しかめっ面をするミスティアに、呆れた表情を隠さないフリード。

 このふたりの会話を聞けば概ね察することができるだろう。


「ミアの婚約者が、フリードの婚約者と不倫だなんて!」

「声が大きいよ、ティア様。それにお互いまだ結婚していないから、不倫という言葉は不適当じゃねえの」

「あら。それなら浮気ね、浮気」


 そう。

 ミスティアの婚約者であるグラム・ウィディアムと、フリードの婚約者であるリナリア・ディダックは恋に落ちたのだ。

 お互いに別の婚約者がいると理解しているにも関わらず。


 平民であるはずのフリードに婚約者がいるのはよくある話、聖者である彼の血を入れることで少しでもギフト持ちを自分の家系から出せるようにという、これまた政略的な話なのである。

 ただギフトは血筋によるものではなく、魂そのものを見定めて与えられていると言われている。

 つまりは「聖者を家族に迎え入れた」というステータスが必要であった、という話だ。

 ちなみにディダック家は侯爵家であるが、最近やや落ち目であるという噂もある。


「神殿を敵に回してるって気づいてないのかしら、あいつら」

「恋は盲目らしいからな。今は『禁じられた恋』みたいな感じで盛り上がってんじゃないか」

「はぁ? 禁じられたもなにも、ミアやフリードと婚約を白紙にすれば合法的に結ばれるじゃない。バカじゃないの?」

「バカだからだろ」

「そっか。バカだったのね。可哀想に」


 心底憐れんでいる、という声色に対してミスティアの表情はバカにしたような表情だ。

 そんな彼女のチグハグさにフリードも思わず吹き出したものの、笑い声を抑えようと口元に手を添えた。だが目はすでに笑っている。


「ぶっ、ふ……ふはっ、声と顔が一致してねぇよ、ティア様!」

「あらやだ。失礼」

「ぜんっぜん悪いとも思ってねぇなあ」

「そりゃね。あんなバカたちを憐れむなんて、無駄よ無駄。それだったら」


 言葉を区切ったミスティアは人差し指を立て、しぃ、と口元に添える。

 楽しそうに、意地悪そうに笑みを浮かべながら。


「―― あいつらをどん底に叩き落とす方がよっぽど有益だわ。ああ、ちなみに。これはミアの発案よ。ねえ、ミア?」


 ミスティアがゆっくりと瞳を閉じる。

 そうして次に開いたとき。


「ええ。僭越ながら」


 慈悲の女神を思わせるような穏やかな笑みを浮かべ、アズールの瞳が輝いた。 

 目を瞬かせたフリードであったが、次の瞬間にはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて。


「その話、乗った」

「うふふ。まだお話していませんのに」

「ミア様とティア様の話なら面白いに決まってんだろ」

「あら、まあ。嬉しい」


 ミスティアとフリードの視線が、店内へと向けられる。

 大きな窓から店内の様子が窺えた。ただ、テラスから店内に差し込む日の方角上、店内からテラスに誰がいるのかははっきりと見えないだろう。

 逆を言えば、テラスからは店内は丸見えだ。


 そこでは、まるで恋人同士のような距離感でソファ席に座り、体を軽く寄せ合いながらティータイムを楽しんでいるグラムとリナリアがいた。


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