第七十四話 黒瑪瑙
黒瑪瑙龍は谷のど真ん中で悠々と寝ていた。
この谷はかなり大きく、横幅もそれに伴って広いのだがその全てを巨体で埋め尽くしていた。
どうにか倒さなければ先へは進めないだろう。
この龍は察知系のスキルを全て持っている可能性があることはカルドも聞いたことがある。
なので横を通り過ぎていくというのは無理だろうと判断した。
縄張りは狭いがその分、縄張り意識が高いそうなので間違いなく攻撃されるだろう。
「罠は……すぐにバレたって聞いたな……。」
しばらく作戦を考えていたが先に龍の観察をすることにした。
もしかしたら過去の討伐隊の情報が間違っていたかもしれないし、過去の討伐隊が気づけなかった弱点があるかもしれない。
焦ってはいたが親友のために失敗は許されないというプレッシャーと戦闘で焦ってはいけないということを理解していることの二つによって冷静な判断ができていた。
冷静に見ていると幾つか不審な点を見つけた。
まず、一つ目は体中がボロボロだということだ。
暗い谷底で気づきにくかったが体のあちこちから血が流れている。
どうやら怪我をしたので寝て休んでいるらしい。
まさか、龍同士での縄張り争いだろうか。
そうでもなければあそこまでの重傷にはなるまい。
珍しいことだが龍同士の縄張り争いが起きることはしばしばあるというし恐らくはそうだろう。
これならば勝機はある。
あの龍を倒す上で一番の難関は圧倒的な防御力と生命力。
あれほど血だらけなら生命力が高いとは言えないだろうし鱗が一部剥がれてる場所なら防御力はかなり低くなるはずだ。
それならば攻撃も通るだろう。
だが、勝機はあると言ったがそれでも可能性はかなり低い。
なので自分の手札を完璧に使えなければカルドは死ぬこととなるだろう。
当然、そのままシンもまた死ぬことになる。
この戦いには二人の命がかかっているのだ。
しばらくして、考えた作戦を再確認してからカルドは龍に向かって歩き出した。
傷ついて疲弊していても、あるいはだからこそ警戒していた黒い龍はその高い察知能力で既に発見していた人間がこちらへと近づいてきていることに気がついた。
体中が痛い中、緩慢とした動きで立ち上がると睨みつけた。
既に剣を抜いて臨戦態勢のカルドを見ると咆哮を浴びせかけた。
さすがは龍だと思う迫力と威厳のある咆哮。
小心者ならこれだけで気を失うかもしれない。
だがカルドには何の重圧もかかっていなかった。
咆哮を浴びても一切逃げる気配を見せず、さらに近づいてきたカルドを見て、龍は大きく腕を振り上げた。
そして大木のように太い腕を勢いよくカルドへと振り下ろした。
だが命中した感触はない。
攻撃を完璧に見切り、避けていたのだ。
持っていた剣をすぐさま構えると一気に走り出す。
幸いなことに普段と違って鎧を着込んでいなかったおかげでかなりの速さで走ることができる。
走りながら腕に数度斬撃を傷目掛けて浴びせた。
予想通り、鱗が剥が落ちている傷ならば剣も通るらしい。
かなりの量の返り血が飛び散り、龍が痛みに苦悶のうめき声を上げた。
巨体と比較すれば小さな傷だがそれでも刃物で傷を抉られれば痛いのも当然だろう。
この龍はブレスも魔法も搦手も使えないため純粋な物理でしかこれない。
だからこそ次の攻撃も読めるというものである。
予想通り、次の攻撃はもう片方の腕の攻撃だ。
それでどうするかはさすがに予想できないので全力で集中して動きを見続ける。
腕に力を溜めると、横に構えた。
薙ぎ払うつもりだ。
巨人がこん棒でも振ったかのように龍の腕が振られる。
腕が巨大なのでリーチも攻撃範囲もまったく違う。
普通にやれば避けられず、当たればそこらの小石を蹴飛ばすかのように弾き飛ばされるだろう。
すぐさまその場で伏せる。
地面と巨大な腕の隙間に伏せることで腕をギリギリで避ける。
そして立ち上がると距離をさらに詰めていく。
巨大な魔物、あるいは長大な武器はほとんどゼロ距離の超近距離戦に弱いというのは相場が決まっている。
何せ攻撃をした時はいいがそれを避けられたりした後は爪しかり槍しかり、武器を引き戻してまた攻撃の体勢に戻るのに時間がかかるのだ。
しかも、どうやら巨大な腕がうまく邪魔してあちらの死角に入っているらしい。
おかげで完全に懐に潜り込むことに成功する。
視界から消えたことで龍も戸惑っているようだ。
スキルで存在は気づいているだろうが目の前から瞬時に消えれば驚くのも当然だろう。
だが負けてばかりではない。
しびらくすると大きく足踏みした。
それだけで巨体と重量のせいで小さな地震が起きたかのように錯覚するほどだ。
初見の時はその揺れで足を止めたところを狙われたため、かなり回避がギリギリになった。
だが一度見てしまえば揺れの時にジャンプするなり何かを掴むなりすれば簡単に避けれた。
一時間後。
龍はカルドに追い詰められていた。
最初の時も血塗れだったが今はさらに酷く、血がかかっていない場所のほうが少ないのではないだろうか。
カルドはそんな状態の龍が相手でも油断しないように自制しながら剣を構えていた。
何せ運悪く龍の一撃が当たればそれだけで死にかけるのだから。
だがそれでも一時間もの長期戦で、尚且つその間ずっと集中し続けていたことで少しは気が抜けていたのだろう。
龍が突然、光を放ってもすぐには反応できなかった。
「なっ!?」
反射的に剣と盾を自身の前に出した。
次の瞬間、爆発音がして、それとほぼ同時にカルドは吹き飛ばされていた。
五メートルほど吹き飛ばされ、その後も何メートルか地面を転げまわったほどの勢いだ。
転げ回った時の衝撃で胸あたりを強打したため咳き込みながら何とか立ち上がろうとする。
だが立ち上がろうとすると鈍い痛みが走った。
まさか強打した際に肋骨などが折れたのだろうか。
こんな人のいない場所でそんな怪我をすればほぼ間違いなく死ぬ。
そう、考えながら視線を自分の体がある下へと向けると防寒服の腹付近が真っ赤に染まっていた。
「うっ……。」
顔をしかめながら傷口を確認すると鱗のようなものが刺さっていた。
ような、ではなく本当に鱗のようだ。
ナイフのように鋭く尖った黒い鱗だ。
視線を少し離れた位置にいる龍に戻すと鱗が一部剥げ落ちている。
まさかあの鱗を飛ばしたのだろうか。
分厚い防寒服のおかげで体を貫通してはいないがかなり深く刺さっている。
臓器に達していてもおかしくはないほどに。
もしそうなら適切な処置のできない現状では――
そこまで考えたところでそれ以上考えることをやめた。
どうせ死ぬなら考えても仕方ない想定だ。
今は生き残れることを前提で動かなければならない。
鱗を飛ばした龍はぐったりとしている。
かなり疲れているようだ。
あれは最後の最後で使う奥の手だったらしい。
だから追撃がこなかったのだろう。
そしてまだ疲れているならばそれは隙になる。
すぐに動き始めた。
痛みで動けないというわけではない。
だが衝撃で軽い脳震盪を起こしたのか足元がおぼつかないし、視界が狭い。
自身の心音がドクドクと忙しなく鳴っているのがうるさい。
だが止まりはしない。
止まることはできない。
今止まれば殺されるから。
殺される前に殺さなければならないから。
とどめを刺すためにカルドは魔法を放とうと掌を龍に向けた。
鱗がほとんどない今なら魔法の槍も龍を貫通できるだろう。
そして全力の一撃を放った。
放つ寸前、龍が怯えているかのようにこちらを見ていることに気づいた。
単にこれから殺されることに怯えているわけではない。
そして圧倒的な存在であるはずの龍がカルドの何に怯えているかは簡単に予想ができた。
生物として間違いなくある恐怖だ。
そして次の瞬間には、龍の心臓の機能は永遠に停止していた。




