【第二十六話】パンチは拳と札束で。
「今か?今なのか?えっほんとに今???」
眼前にて手を差し出す男に、吾輩は困惑の色を隠せなかった。かなり濃い、ビビットな困惑の色である。
「ええ、今でございます」
今現在大変なことが起こりそうな予感バリバリの舞台上を指し示す。気絶し倒れ伏すフィリィの元へ、手を鋭く尖らせたリーヴェンスが歩を進めておるのだ。
しかし、コレオはニコリと笑うだけ。瞳の奥には確固たる意志。これ以上、支払いの遅延を許すつもりはないようだ。
もし今、彼を追い払ったら、次に会うときには訴状を握りしめておるであろう。吾輩と、そしてフィリィに向けた訴状を。
至極真っ当な経営者魂に敬服するのみである。
「しかし困ったな」
「と、おっしゃいますと?」
「吾輩、持ち合わせないのだ」
「それは困りましたねえ。私共が」
「すまんのお」
腕を組む。どうしてくれようか。
「戻るか……? 我が家へ」
瞬間移動なら一秒未満で帰宅可能。
待てよ……城のどこにお金があるのか、この主は知らぬのである。
「む〜〜〜困ったのお〜〜〜」
そもそもお支払いをしていてはフィリィを助けられぬ!
リーヴェンスが彼女の元に辿り着くまで残り五秒とないのだ。
自らが当日に払わなかった代金がこのような形で牙を剥くとは、フィリィも皮肉な運命の元に生きておるのお。
「ん?そこの初級生はどうしたんだ?」
近くから声がする。いつの間にか、観衆の目の半分ほどは、吾輩とコレオの方へ向いていた。奇異の目とはこういう色をしているのだな。
「一昨日食った飯の代金要求されてるんだとよ」
「食い逃げはいかんでしょ」
「そうだね。払いなよ」
「払え!」「そうだ!払え!」「払え!払え!」
「はーらーえ!はーらーえ!」
『払えコール』が始まってしまった!
流石は勇者学校の生徒。悪を許さぬ魂。
そのとき、三文字しか口にできぬようになってしまった観衆の中で、誰かが六文字の言葉を叫んだ。
「──めんどくさいッッ!!!」
鳴り響いたそれは地を揺らし、この場におる生徒ら数十名の鼓膜を断裂させた。
「ギャアアアア!」
「耳がああああ!」
「俺は、俺は喋っているのか!?」
阿鼻叫喚の悶絶祭りだ。
六文字の言葉は舞台上から発されていた。その少女はまるで無から現れたかのようにそこに立ち、リーヴェンスの頭部を思い切り殴りつけていた。
リーヴェンス、ダウン!
かと思えば今度はコレオの頭部を思い切り、札束で殴りつけた。
「立て替えです!」
「オウッ!痛いですね。お支払いを確認いたしました。またのお越しをお待ちしております」
彼はお金を懐に仕舞い、お釣りを置いて去っていった。
少女が振り向く。長い髪、青紫色の内側は、弾けるような桃色。
「私が助けられる側じゃなかったんですか?」
レイン・ラーエルクだった。
吾輩はフィリィを起き上がらせる。幸い、彼女はすぐに目を覚ました。パチパチと瞬きをしている。
「面目無い。それしか言えんのお」
レインはため息をついて、呆れたように首を振った。
「自分の身は自分で守れますので、余計なお世話は結構です」
そう言い、彼女は歩き出した。
「行くところがあるので」
「あっあの!レインさん!」
手を伸ばすフィリィ。しかしレインの姿はない。悶える観衆の雑踏の中にも、その姿を見つけることはできなかった。
「……ありがとうって言ったら、『お礼は結構です』って言われちゃうかな」
「それでも、伝えるべきだのお」
「お金も返さなきゃね」
「……そうだの」
その後、吾輩はフィリィを保健室に送った。アレックス──もとい、ホロウ先生は困ったように笑って、彼女の手当をしてくれた。
そして我々は勇者学校区、第六地区サラマンダー通り。藍色と黄色の建物、第十三学生寮に入った。
「それじゃあ、またね」
「うむ。明日は最初の授業である。いっぱい寝ろ」
五階の部屋までフィリィを送り届け、吾輩は階段を降りた。
「吾輩の部屋は……『四〇六』か」
手をかけたドアノブは使用感があり、古いものと一撃で分かるが、しかし堅牢。数世紀前に丁寧な建築家がいたようだ。
寮は全生徒に与えられるよう、区の広大な土地を喰うかの如く、数多建造されている。
今吾輩がおるこの寮は第十三学生寮。その数字が寮の量の多さを語っている。そしてその全てが無償で提供されるよう。すごいではないか。
だが手厚い支援を素直に喜んでばかりはいられない。
勇者学校に多くの税金が注ぎ込まれていること。それはガルイア王国にとって我ら魔王軍を含む、脅威の排除が極めて重要なる事項であることを示しているのだ。
「ふむ、どう争いを回避したものか……」
未来のことばかり考えてはいられない。今はまず目の前の課題。如何にして住処を心地良くするかに思案エネルギーを割くべきであるな。
握ったまま、吾輩の体温が移り温かくなってきたドアノブを捻る。
「バオンッ!」
開いた扉の奥から、高い音が響いた。
「鳴き声……!?」
基本的な家具のみが配置された物寂しい空間にひとつ、動き回る者がいた。チャッチャッチャッと、木床を蹴る軽い音が鳴る。
「子犬だ」
その者は吾輩に駆け寄り、くるくると周りを回りだした。よく見てみれば、その子犬は頭を三つ持っていた。
「ケルベロス?なぜこんなところに……」
「バオンバオンッ!」
「お主どこの子であるか?」
持ち上げてみると、手のひらサイズしかない。三頭の子……小犬の荒く温かい息が鼻をくすぐる。
「この臭くも不愉快から程遠き口臭……お主まさか──ケルベローか!?」
「バオンッ!フスフス……!」
我がレイメルナングス城で飼育していたはずの三頭の巨犬は、嬉しそうに尻尾を振った。
「小さくないか!?!?」




