祈り
数日ぶりに私邸に戻り自室で一人になったベルナルドはそこでようやく寛ぐことができた。
ベルナルドはいくつかの自分を使い分けて生活している。
王族として臣下に接する格式に縛られた自分、廃嫡されて地位を失いやる気を失った様に振る舞う自分、ユエールやパトリシアといったごく親しい人間の前で陽気に振る舞う自分。
(こうして一人自室にこもっている時の気弱な姿が本当の僕なんですよね)
自嘲めいた笑みが自然と浮かんでしまう。
王太子として王族として強くあらねばならないと、仮面を使い分けてきたはずだった。立場を失いその必要が無くなっても、なおそれを続けている自分は一体なんなのだろう。
「せっかく今日は他に考えることが出来たのです。益体のないことを考えるのはやめておきましょう」
いつもの自傷めいた自己探求を頭の隅に追いやると、ベルナルドは傍に積んであった書籍に意識を向ける。
いずれも彼の祖父にあたる先王の時代の歴史や戦史にまつわる書籍だった。ユエールの元にパトリシアを送り届けたのちに、王城に寄って借り出してきたものだ。
別れ際にパトリシアがふとこぼした一言が妙に心に引っかかったのだ。
「そう言えば私、テレサ夫人と剣聖様の逸話を知らないんですよね」
剣聖の生涯の全てが物語となっているわけではないと、彼女は一人納得してそれ以上考えを深めることはしなかった。
しかし、ベルナルドは見過ごせない違和感をそこに覚えたのだ。
(お披露目会の時に見せたテレサ夫人の知識の深さと、夫人自身の無名さが釣り合わないのですよ)
オークションの前のお披露目会、その時の事を思い出せば違和感は明白だった。テレサ夫人は自分以外の女性にまつわる品々にも造詣が深かったのだ。
(剣聖スワロフという人物は行く先々で女性と関係を持っていたという話でした。その女性たちとスワロフとの関係を知るということは、長い期間にわたって剣聖と共に時間を過ごしたに違いないはず)
そんな人間が無名のはずはないのだ。少なくとも誰かの逸話の中に敵役としてでも出てきてもおかしくは無かった。
そう考えた時、ベルナルドの脳裏に一つの仮説が浮かび上がった。
そしてそれを確かめるため、彼はこうして王城から資料を持ち出してきたのだった。
まずは当たりをつけるためにベルナルドは貴族名鑑をたぐる。
(テレサさんは確か北の国境沿いに近い場所に領地があると言っていましたね。そして家柄はそれほど高い家格では無いとも。あのあたりは王領か公領が多い。下級貴族が封じられている領地となればそういくつもないはずなのですよ)
先王の時代の貴族名鑑からそれらの領地に封ぜられた貴族家の家名を記憶していく。次々と頁を手繰りながら紙面に指を滑らせていた少年の動きがふと止まった。
(これは、手間が省けたかもしれないですね)
-- ヴィンデシュタット領 シアン子爵家
(剣聖スワロフの関係した女性の中で一番有名なのがシアン夫人といいましたか)
シアン子爵家には賞罰の記録が付いていた。そこには第二次ヴィンデシュタット戦役の功績にて子爵に陞爵とある。
ベルナルドはそこで貴族名鑑を放り出し、積んだ書籍の山から別の書籍を引き出した。
今度は王国の戦史についてまとめたものだ。
クタール王国は伝統的に軍事行動を回避する外交政策をとっている。それでも回避不能だった戦については、こういった形で詳細な資料が残っていた。
第二次ヴィンデシュタット戦役はモルガナ帝国が王国の国境を侵した事に端を発する戦いだった。緒戦で当時のシアン男爵が命を落とし王国側は一時的に総崩れになったと記載がある。
しかしそこに少数の手勢を率いて領主の娘が救援に駆けつける。彼女の手勢のおかげで王国軍は戦力を温存したまま撤退に成功。
その後は領主代行となったその娘が軍の士気を支えて帝国軍を押し返す事に成功した、と戦史にはあった。
戦の推移を記録した戦闘抄録を斜め読みしていけば、あちこちに剣聖スワロフの名前も出てくる。領主の娘に手を貸してその手勢に加わり、獅子奮迅の活躍を見せたようだ。
(剣聖と交流したシアン夫人とはこの領主の娘なのでしょうね)
最後にベルナルドは領主の娘のもう一度見直す。
--テレージア=ヴィンデシュタット=シアン
「それでテレサ夫人だったのですか」
開いていた戦史書を閉じたベルナルドの胸の内はすっきりとしていた。奥歯に挟まった小骨が取れたような、爽快な気分と言っても良い。
政治の舞台に身をいていた身としては、急に自分に接近してきた人物の正体がまるで見えないというのはどうにもすっきりしなかったのだ。それが自分達に害意を持っていないことが明白な相手でもできるだけ明らかにしておきたい。
この性分はなかなか抜けることはないだろうという予感に、ベルナルドは苦笑いを浮かべた。
(彼女にこの事を教えてあげたら喜ぶでしょうか?)
次に考えたのは、パトリシアのことだった。
あれだけ剣聖スワロフとその周辺の恋物語に入れ上げていたのだ。以前の彼女であればきっと喜んだに違いない。
しかし、今の彼女であればどうだろうか。
ザンダでテレサ夫人と過ごした数日間。パトリシアは憧れるだけだった恋物語に直接手を触れ、その手触りを知ってしまったのだ。
(しかもその幕引きに自分で手を貸すという形で、物語の結末を知ってしまった)
その上でテレサ夫人の正体を知らせたならば、きっと涙を流して悲しむに違いなかった。憎からず思っている相手を悲しませるのは、彼としても本意ではなかい。
それに夫人もまたそうやってパトリシアに悲しまれることをきっと望まないはずだ。年若い友人が出来たことを心の底から喜んでいた夫人は、きっと気遣われることを嫌うだろう。
このことは、自分一人の胸のうちにとどめておこう、そう結論付けたベルナルドはこれ以上この事を考える事をやめた。
窓の外を見れば、白い月が明るく夜空を照らしている。
明日からはまた日常に戻らねばなない。今日はもう眠りについてしまおう。
ベルナルドは懐から古ぼけた小さな指輪を取り出すと、いつものように亜神エレガナへ祈りを捧げ始めた。
◇ ◇ ◇
白い月が明るく夜空に輝いていた。
王都アルテラントのどこかで、少年と少女が祈りを捧げている。
少女は首飾りを手に、姿も朧げな少年の明日の幸せを願う。
少年は小さな指輪を握りしめ、少女の明日の無事を願う。
「明日も一日あなたの身が健やかでありますように」
「私の祈りがあなたを危難から遠ざける護りとなりますように」
吹きゆく一陣の風が二人の願いを運んでゆく。
きっとこの願いは届けられるのだろう。
遥か北の森に座す亜神の元へ、そして傍にいる互いの想い人の元へ
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
これにて「見習い賢者の博物誌 〜旅の祈り〜」は完結となります。
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