暗闇に奔る
バトルシーン書いてる時に、つい体を動かしたくなってしまいます。
「こんばんわ、道を塞いでしまって失礼しました。どうぞお通りくださいませ」
うす暗い路地裏に丁寧なパトリシアの声が場違いに響く。
その時ベルナルドの体はすでに動いていた。腰に吊るした剣の柄を握りしめ、石畳を蹴って飛び出す。
(間に合え!)
互いの距離はおよそ六歩。すでに斬り合いであれば間合いに踏み込まれていると言っても良い距離だ。パトリシアは前方左手四歩の位置。対手から見れば右手二歩。
そのわずか数歩の違いが果てしなく遠い。
一歩、腰に吊るした剣の柄を握り込んでベルナルドは石畳を蹴る。大きく踏み込んだ足で溜め込んだ力を地面に叩きつけ、低く態勢を崩すことなく飛ぶ様に前に出る。
対手はゆったりと踏み出して、パトリシアに会釈する。しかしその左手が羽織った短外套に滑り込んだのを、ベルナルドの目は見逃さない。
二歩、ベルナルドは低い姿勢はそのままに、更に大きく踏み出して距離を詰める。剣を抜くのももどかしく鞘を払って打ち捨てる。
パトリシアとすれ違った対手は急接近するベルナルドを見てニタリと口を歪める。短外套から引き出した左手には逆手に鈍く光る短刀が握られていた。
パトリシアの無防備な頸に男の右手がすれ違い様に滑らかに、そして鋭く振るわれる。明らかに無手でも人を害し慣れているその一撃は、少女の細い首をへし折るに十分すぎる。
あと一歩の距離。たった一歩前に出れば剣が届く。しかし、その一歩が足りない。
暗い路地裏にそこだけ光を放つ様に白く浮かび上がる彼女の頸。凶手はそこに滑り込む様に吸い込まれていく。
ベルナルドは時間の流れが引き伸ばされていくのを感じた。
頭に血が上り視界がスッと色を失っていく。
無色の世界の中で、対手の動きだけがひどく克明に鮮明に流れていく。
男の鋭い手刀がゆっくりと動く。徐々に縮まっていく白い頸との距離。
激情が少年の口を衝く。
「パティ!」
声を発した途端に視界に色が戻り、そして世界は加速した。
痩せぎすの男の手刀は完全に振り抜かれ、パトリシアの体がゆっくりと前のめりに倒れ込んでいく。
三歩、ベルナルドはさらに踏み込んだ。そこはもう、手にした直剣の間合い。
一閃
銀光が闇を走り抜ける。
少年は伸び上がる様に手にした直剣を一気に振り抜いた。しなやかな体躯から放たれる鋭い一撃を、短外套の男は逆手に持った短刀で巧みに打ち合わせる。
数度の踏み込みで得られた勢い、その勢いに押し出された全体重、それらを巧みに乗せて振るわれた直剣が、弾き返そうと打ち付けられた短刀を無情にも打ち砕く。
半ばで折れた短刀の刃が、石畳の上で乾いた音を立てた。
ベルナルドの一閃は男の脇腹から胸にかけてを深く切り裂き、その胸元に切っ先を埋めて止まった。男の口から鮮血混じりの絶叫がほとぼしる。
「こいつ! パトリシアをよくも!」
男の死はもはや避け得ないほどに明らかだったが、少年の動きはしかし止まらない。返り血を避ける様に体を一回転させて回し蹴りを放つ。その蹴りの勢いで男の体に埋まっていた直剣を引き抜くと、そのまま踊りかかって喉に切っ先を突き入れた。
ベルナルドが剣を抜いてここまで、瞬く間の出来事だった。
(もう一人、いた筈だがどこだ?)
少年はこの闘いが始まる間際に自分達の後から路地に入って来た人影のことを覚えていた。元来た路地の入り口に向き直り、油断なく剣を構える。
足元には仰向けに転がって恨めしげに夜空を睨む死体がひとつ。そして、振り返ればそこには地面に手をついて蹲った少女の姿があった。
(そうだ、パトリシアは? あいつは無事なのか? 息さえあってくれさえすれば、神殿に連れて行けばあるいは!)
もう一人の敵のことは気になるものの、それ以上に気になるのは連れの少女の安否だった。はやる気持ちを抑えながら、しかし前方から目を離すことなくジリジリと位置を変える。
地面に蹲っていたパトリシアは、ベルナルドが近づくなり身を起こしてベルナルドの服の裾に縋りついてくる。いきなり通りがかりの男に襲われ、気づけば隣に死体が転がっているのだ。剣を握ったこともない彼女が怯えるのも無理からぬことだった。
「殿下、急に剣など抜いて駆け出して、これは一体どういうことでしょうか? というか、この方、死んでる? 一体どうして……」
怯え切っているのはともかくとして、パトリシアは言葉や意識は存外にしっかりとしている様子だった。命に別状はなさそうだと判断してベルナルドは胸を撫で下ろす。
しかし、彼女は首筋を激しく打たれていた筈なのだ。怪我の具合は気になった。場合によっては、すぐにでも撤収して怪我の治療をしなければいけない。
「この男のことはどうでもいい! それよりお前、体は無事か⁈ 怪我はしてないか⁈」
「殿下、ちょっと怖いです、あの、剣、血まみれで、怖いです! 」
「悪いが取り込み中だ! お前、あの男にすれ違い様に殺されかけてたんだぞ? 首筋を打たれて倒れたんじゃなかったのか?」
殺されかけたというのに、加えて今もまだ危機が去ったとは言えないにも関わらず、何とも噛み合わないパトリシアの様子に苛立った声を上げてしまう。
しかし、パトリシアの認識は少し異なる様だった。
「えっと、その、多分大丈夫です。ちょっと転んじゃっただけで、首とか全然痛くないですよ?」
心配しないでください、と言いながらパトリシアは握った掌を開いて見せた。
ベルナルドが横目で確認すると、その掌の上にはいつも彼女の首元にある百日草の首飾りがあった。
「これの鎖が急に切れてちゃったんですよ。それで落としたら無くしちゃうと思って、慌てて手で追いかけたら躓いて転んでしまって。鈍臭いとか笑わないでくださいね?」
転んでしまったことが恥ずかしいのか、照れ臭そうな様子でそう告げる。命の危険にさらされた事よりもつまづいて転んだことの方を気にするズレた様子に、ベルナルドは一瞬気が抜けて天を仰ぎそうになった。
それにしても何という幸運か。
たまたま首飾りの鎖が切れてつまづいたパトリシアを、かの男の手刀は捉えることが出来なかったのだ。つまづいたのがあの瞬間より前でも後でも駄目だった筈だ。前であれば容易く対応されただろうし、後であれば彼女の首は砕かれていただろう。
(だからこれはただの偶然ではないのだろう。エレガナ様に感謝を……)
ベルナルドはパトリシアの故郷で崇められている亜神に心の中で短く、しかし深い感謝を捧げる。
彼女の命を救った出来事を少年は単なる偶然と片付けることはできなかった。この幸運はエレガナ様が彼女に与えた加護に違いない。ベルナルドには確かな確信を持ってそう感じられた。
「それでベルナルド様、取り込み中というのは一体? まだ敵が潜んでいるというのでしょうか?」
自分が命拾いしたということをよく飲み込めてはいないパトリシアが、未だ緊張を解かないベルナルドに問う。
「俺たちの後を追ってこの路地に入って来た人影があった筈なんだ。だが、そいつの姿が見えない」
「でもここにずっといるわけにもまいりませんよね? あの男の方の叫び声を聞いている方も多いでしょうし。姿も見えず手も出してこないのでしたら、すぐこの場を離れてはどうでしょうか?」
ベルナルドは言われて気がついた。パトリシアの命がかかった局面だったからこそ、手加減せずに殺してしまったが、これはいささかまずい状況だ。
もちろん、こちらに非がない事を説明すれば良いだけのことではあるのだ。しかし王都にいるべきベルナルドが、遠く離れたザンダで事件に巻き込まれたというのは存外都合が悪い。
結局、二人はすぐにその場を後にすることになった。何故ならばパトリシアの懸念がすぐに現実のものになったからだった。
「叫び声がしたというのはこっちの方か?」
「はい、あちらの方で剣を打ち合う様な音と男の人の絶叫が……」
警備兵とそれを先導する者の話し声に追い立てられる様に、剣についた血を拭い鞘を拾って二人は足速にその場を立ち去る。
「ゴロツキ同士の喧嘩か? ちっ、もう死んでやがる」
「喧嘩するのは構わねーけど死んでるんじゃねーよ、手間かけさせやがる」
程なくして路地に現れたのは、街娼風の艶っぽい女性と数人の警備兵だった。倒れている男が既に事切れている事を確認すると、やる気がなさそうに現場検証を始める。
通報者と思しき女性は隅の方で警備兵の邪魔にならない様に壁にもたれ、気だるげに警備兵達の動きを眺めていた。
「あの廃嫡王子、あそこまで勘がいいなんて聞いてないわよ? おかげで賢者の弟子すら殺り損なったし、今回の仕事はついてないわね。失敗の報告、気が重いわ……」
面倒臭げな彼女の呟きを警備兵達が聞き咎めなかったのは、きっと彼らにとって幸運だっただろう。
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