忍び寄るもの
暗い路地裏を女の子一人で歩かせてはいけませんね
オークション主催者相手にもろもろの手続きが終わった頃にはもう日没も近い時刻となっていた。少し薄暗くなってきた大通りをパトリシアはベルナルドに手を引かれながら少し急足で宿に向かっている。
オークションで師匠に文句を言わせない程度の品は落札し、支払いも王都への配送の手配も終わらせた。これで彼女のザンダでの仕事は一通り終わったことになる。
無事にやり遂げた達成感や解放感といったものがないわけではなかったが、それ以上の憂鬱がパトリシアの表情を曇らせていた。
ベルナルドはパトリシアの浮かない表情とは対照的に少し浮かれた様子で、先ほどからあれこれと話しかけてくる。しかし心のそこから疲れ切っていた彼女はそれに生返事を返すばかりだった。
「やり手の商人相手だって事だったから、なにか吹っかけられるんじゃ無いかって構えてたがなんてことはなかったな」
「ーーそうですね」
「テレサ夫人に押し着せられたこの服装のおかげかもな。子供扱いもされずにすんなり相手してくれたし」
「ーーそうかもしれないですね」
「宿に帰ったら夫人にお礼を言っておかないといけないかな?」
「それは殿下お一人でなさってください!」
テレサ夫人の仕打ちに端を発するこの日の一連の災難が一気に脳裏に浮かんで、ついついパトリシアは大きな声をあげてしまう。
ベルナルドの言っていることを理解はできるのだ。
大人扱いされるにはまだ少し早いベルナルドと自分が対等に扱ってもらえた事には、テレサ夫人の用意した衣装の力があったのは間違いない。場にそぐう装いがあるのだということを、いくらお忍びとはいえ自分達はすっかり失念していた。
(それをこうやって教えてくださったのは感謝しなきゃいけないのはわかっているのですけれど、こんな目立つ服をわざわざ選ばなくても良いではありませんか……)
一連の手続きを進める間、商人の男がずっと自分の剥き出しの肌に好色な視線を送っていたことを思い出して怖気に背筋が少し震える。胸を守る様に両手で肩を抱えると周囲の視線が遮られる様に感じられて少し安心できた。
ベルナルドはそんな彼女の様子に何かを感じ取ったのか、パトリシアの手を強く引いて二人の距離を縮めてくる。耳元に口を寄せて小声で囁いてくる声には少しばかりの怒りの色があった。
「その様子だとあの商人のことまだ気にしてるんだろ? やっぱり手討ちにした方がよかったんじゃないのか?」
「なにもそこまでしていただかなくても…… というよりも、私の貧相な胸元を見たくらいで手討ちにしてたら王族への信頼が地に落ちますよ?」
「何いってんだよ、それだけで万死に値するんだが? 」
パトリシアにはなぜベルナルドがこれほど憤ってくれるのかよくわかなかった。しかし、自分のために真剣に怒りを覚えてくれる彼が身近にいてくれるというのはなんだか安心できる。そう感じる事ができて、少し自分がいつもの調子を取り戻せる様に感じられた。
「見られて気分の良いものではないのですが、こんなものを見て何が楽しいのでしょうか? 私なんて同じ年頃の娘の中では発育悪い方ですよ?」
パトリシアは肩を抱いた手の力を強めたり弱めたりして自身の胸の発育を確かめる。貴族向けの服は体の線を強調する作りになっているせいで、いつになく胸の膨らみがその存在を主張しているが、それはまやかしというものだ。無いものは無いのだ。
「だから、お前はすこし自分の魅力に自覚を持てってこの前も言ったばかりだろうに……」
パトリシアの腕の中で柔らかく形を変える胸についつい視線を吸い寄せられてしまったベルナルドだったが、ひとつ咳払いをして視線を逸らすと話題を変えた。
パトリシアの胸元に揺れる首飾りが普段のものと違う事に気がつけたのはベルナルドにとっては幸運だったかもしれない。
「そういえば、今日はいつもの首飾りはつけてないんだな?」
「今日の装いだとあの首飾りは素朴すぎて負けてしまいますからね。でもほら、こちらにこうやって身につけているのです」
ベルナルドに見やすい様にとパトリシアは利き腕をかざして見せる。その細い手首には彫金の施された腕輪が揺れていた。その腕輪に蔦の様に絡ませて、いつも百日草の首飾りを彼女は身につけていた。
ベルナルドはその素朴な意匠に通じるものをつい先ほど見た様な気がして記憶を探る。落札した商品をあらためているときに、場違いな印象を覚えた品物があったはずなのだ。
(そうか、例のハンカチだ。幸運を呼び込む加護を持つという品物とするなら随分と雰囲気のない品物だったから素朴に感じたのだったな)
パトリシア達は結局例の日用品セットを落札していた。ハンカチの真相を確かめなければ気が収まらなくなっていたからだ。価格は金貨5枚。庶民には大金だったが、加護を受けた名の知れた品物の代金とするなら只も同然の値段だった。
「素朴といえば例のハンカチもそんな感じだったよな。シアン夫人というのは貴族だったのだろ? その持ち物にしては素朴じゃ無いか?」
「どうでしょうか? 私はよく存じ上げませんけど、王宮のご令嬢方も普段使いはああ言った感じのものを使われてますけど」
「じゃあ確かなことは元の持ち主は女性だってことくらいか。あのハンカチは王都に送ってもらわないんだったか?」
パトリシアは手に持った小さな鞄をそっと撫でて頷く。
「王都までお預けにされるてしまうと、気になってしょうがないじゃありませんか。なんだか師匠に茶化されそうな気もしますし。帰りの馬車の中で時間も余ることですし、帰るまでにたっぷり調べてみるのも良いかなって」
「それもいいかも知れないな。そうだ、宿に戻ったらテレサさんに見せてみるのはどうだ? 何か知ってるかも知れないし」
「ベルナルド様、それだけはやめましょう。テレサ様がかわいそうです」
パトリシアは信じられないものを見たとばかりに、いささか軽蔑のこもった視線をベルナルドに向ける。
(テレサ様の中で剣聖様への想いは過去のものではないというのに、なんで他の女性が贈ったかも知れない品を見せようとするのでしょうか。女性関係のお話をあまり聞かない殿下ですから仕方ないのかも知れませんが……)
とはいえ、女心がわからないにも程がある。
急にベルナルドに手を引かれている事が疎ましい気持ちがもたげて来たパトリシアは、ベルナルドの手を離すと彼を追い越して早足で歩き始めた。
「 一人で歩いたら危ないから戻れってば。そんなに怒る様な事じゃないだろ?」
「ガサツな方にエスコートされるのが嫌なのです。どうせもうすぐ宿ですし、放っておいてください」
カツカツと踵を鳴らして歩くパトリシアの後ろをベルナルドはゆっくり追いかけていく。慣れない靴を履いたパトリシアの足ではそうそう引き離されることもないだろう。そういう予測のもと、ベルナルドは機嫌を損ねた彼女の好きにさせる事にした。
「あんまり離れすぎるなよ?」
一応声をかけてみるものの、却ってそれが彼女の気に障ったようだった。パトリシアは意地になって足を早めて、先に先にと歩いて行ってしまう。
それがちょうど曲がり角だったのが災いした。
ベルナルドの目の前でふっとパトリシアの姿が消えてしまったのだ。
「パティ、さすがにちょっと止まってくれ! 目の届かないところに行かれては困る!」
駆け足でパトリシアの後を追いかけて角を曲がるベルナルドだったが、少し先に彼女の姿を程なく見つけてそっと胸を撫で下ろす。
流石に一瞬目を離した隙に攫われる程ザンダの治安は悪くはないが、今日の彼女は見た目だけなら貴族のご令嬢といった体なのだ。良からぬことを考える輩がいてもおかしくはなかった。
そんな心配をよそにパトリシアは路地の真ん中で腰に手を当てて立ち止まっていた。向き直ってベルナルドを待つ彼女の機嫌はいまだ斜めなようだ。頬を膨らませて不満げな表情を浮かべていた。
「私が早いのではなくて、ベルナルド様が遅いのではないですか?」
「そうかも知れないな。気をつけるよ。それよりもこの辺りは道も入り組んでるんだ。側に寄ることを許してはもらえないかな?」
狷介な彼女の様子に首をすくめて怖がって見せながらも、ベルナルドは足速に彼女の元へと急ぐ。
違和感に気がついたのはそんなときだった。
(この路地にはなぜこんなに人がいないのだろう?)
まだ人通りが絶える時間ではないはずだ。現に先ほどまで歩いていた大通りにはまだまだたくさんの人間が歩いていた。それなのに、この路地にはほとんど人がいない。
何かがおかしい。
警戒心を掻き立てられたベルナルドの手は自然と腰に吊るした剣の柄に添えられていた。肩越しに後ろを小さく確認すれば、ちょうどまた一人路地に入って来た様子だった。
目を戻すとパトリシアの後ろから歩いてくる痩せぎすの男。
近すぎる。
その男の立ち位置は、ベルナルドがパトリシアの身を守るには近すぎた。その男がただの通行人だったならそれでいい。しかし何らかの害意を持って近づいたなら、ものの数歩で事が起きてしまう。
ベルナルドは焦る。
彼がパトリシアから目線を切ったのは一瞬だったはずだ。いつの間に、あの男はあそこまで近づいて来た?
「こんばんわ、道を塞いでしまって失礼しました。どうぞお通りくださいませ」
ようやく足音に気がついたパトリシアは後ろ振り返った。そして思ったよりも近くにいた男に驚いた様子を見せながらも、呑気に挨拶をして道を開けようと一歩動く。
コンッ
石畳に何かが落ちる音。
何かを追いかける様にパトリシアが態勢を崩したのと、その脇を通り抜けようとした痩せた男の手が鋭く彼女に振るわれたのは同時のことだった
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