人を護るもの
愛だろ、愛
「ザンダのオークションにシアン夫人のハンカチが出品される」
博物誌 編纂局に出入りする龍人商人 グエンは確かにそういった。彼のもたらす情報はおよそ間違うということがない。その彼が言うのだから件のハンカチは必ず出品される。
少なくともパトリシアは、そう信じて疑っていなかった。
(日用品としてひとまとめに出品されてるものが、剣聖様に贈られたシアン夫人のハンカチだとするなら、こんな扱いをされてるのが不思議なのですけれど……)
パトリシアは眉根を寄せて考え込んでしまった。
というのも、シアン夫人のハンカチは幸運をもたらす加護を持つことでよく知られた品なのだ。
パトリシアの様に若い世代にはブライトマン子爵の著書で知ったという人も多い。しかし「幸運をもたらすハンカチがどこかにあるらしい」という噂程度の話であれば、世代を問わず知っているくらいには有名だった。
剣聖スワロフはシアン夫人のハンカチの加護で幸運を得ている。
そんな風に言われるほど、そのハンカチが引き起こした偶然の出来事が幸運にも剣聖の命を救う。そんな逸話がいくつも残されている。
不意に射掛けられる矢弾をハンカチを拾おうとして避ける、風で飛ばされたハンカチを追うと隠された霊泉にたどり着く、ハンカチを奪った鳥を追いかけるうちに間一髪雪崩を避ける、一言で言い表すならご都合主義だろう。
(あれほどまでの幸運を呼び込む品物ですもの、強力な加護を受けていてもおかしくないのですけれど……)
ある品物が何らかの加護を受けているかどうかは、よほど特別でもなければ調べることはそう難しくない。オークションに出品される品物は加護を受けているとされるものも多い。これを主催するような商人たちが調べることを怠るはずはないのだ。
だからこそパトリシアには信じられなかった。他の品物と一緒くたにされて雑な扱いのハンカチが、あの幸運をもたらすハンカチだと言うことを。
「ハンカチが見つかって嬉しくないのか? なんだかっていう小説家のファンとして、絶対に手に入れてみせるって気合い入れてたクセにどうしたんだよ?」
堂々巡りする思考に捕らわれたパトリシアにベルナルドが声をかけてくる。せっかくハンカチの在り処に目星をつけたというのに、いまいち反応が薄い様子にどこか不審を覚えた様子だった。
「シアン夫人のハンカチの情報はグエン様がもたらしたものなので信じたいのです。けれども、あのハンカチがあの様に雑な扱いを受けているという事で、出品されているものが本物なのか、信じられなくて……」
パトリシアは先程まで一人もやもやと思い悩んでいたことを、ベルナルドにもかいつまんで話してみる。頷きながら最後まで聞いたベルナルドだったが、聞き終わる頃には苦笑いを浮かべていた。
「なんだかなぁ。いつも思うんだが、パティは物事を難しく考えすぎなんじゃないか?」
「私が難しく考えているんじゃなくて、ペルナルド様が単純すぎるのではないですか? もうちょっと色々考えて行動されていたら、今だって……」
パトリシアは少し頬を膨らませて、隣に座る銀白色の髪の少年を横睨みする。もう少し思慮深くあってほしかった相手に、難しく考えすぎだと言われれば流石に少し腹も立つというものだ。ベルナルドの直情な行動に振り回された侍女時代。それが自然と思い出されて、胸に生じた腹立ちを少し後押しする。
「なんかパティはユエールに言うことが似てきたな。まあ、今はそんな話よりも……」
そんなパトリシアの虫の居所に気づくこともなく、ベルナルドは得意気に言葉を続ける。
「そのハンカチが、単なるハンカチだったってことだろうさ」
少しはマシな答えを期待していたパトリシアの表情は渋い。何かを期待した自分への後悔でパトリシアの胸が少し傷んだ。
「そんな顔するなよ、そう考えたらみんな丸く収まるんだよ。加護がなければ商人だって『幸運のハンカチ』だなんて気がつけないだろ? そして、気づかれないままこうやって出品されてる。グエンの言葉だって今までと変わらず間違ってないってことになる」
少し得意気な様子のベルナルドは「お前はここで考えすぎなんだよ」とパトリシアの額を指で軽く小突いてくる。その指先を鬱陶しげに払い除けるパトリシアは、ベルナルドの言うことに納得し難い様子だった。
「それは屁理屈というか、そもそもシアン夫人のハンカチが幸運を呼びこむ品ではなくなってしまうじゃないですか」
「そうか? そもそもハンカチの逸話はご都合主義的だって言ったのはお前じゃないか。加護がない可能性だってあるだろ? きっと剣聖を護ってた力は加護とは別のなんかだったんだろうさ」
少しおどけた様子で肩をすくめるベルナルドの様子がまたパとシリアの癇に障る。
「そんなことを言い始めたら、もうなんでもありじゃないですか。一応お仕事絡みですし、真面目に考えていただけないと困ります」
何がこんなに気に触るのだろう? 彼女自身少し不思議に思えた。かつて胸をときめかせたことのある剣聖と彼に恋する少女の物語を疎かにされたからだろうか。
もちろんそれはあるのだろうが、もっと他になにかあるような、しかしそれがわからない。そんなもやもやが声にも現れてしまい、その刺々しい気分をついベルナルドに向けてしまう。
「ちなみお聞きしますけど、別の力とはどんな力だと思われるのですか?」
パトリシアには少し目を眇めて詰問するように問いかけた。ベルナルドはその様子に気圧されたようで狼狽に顔をひきつらせると、少し時間をよこすように手で示した。
気色ばむパトリシアの様子に、流石に適当な答えを返すようでは困ったことになると悟ったのだろう。話している間にも進んでいるオークションにも目を向けることなく、ベルナルドは考え込んでいた。
腕組みをして目を閉じて、思索に没頭しているように見える。
(そろそろ結論を出さないと行けない頃合いなんですけれど、一体何時まで考え込んでいるのでしょうか……)
舞台の方を見れば件の日用品セットのオークションは、そろそろ順番がまわってくる頃合いだ。
考え込んでいるふりして実は寝ているのではないか? その可能性についてパトリシアが検証の必要性を考え始めた頃、漸くベルナルドに変化が見えた。
首をひねって口を開きかけては「いやしかし……」などと言いよどむ。
「なにか思いついたのなら聞かせてくださいませ。ベルナルド様はいったいどんな力が剣聖様の身を護っていたと考えられるのですか?」
いつまでも言い淀むままでは流石に埒が明かない。そう考えたパトリシアはベルナルドの肩を揺すって答えを促す。
目を開けば意外に近い場所にパトリシアの整った顔があった。ベルナルドはとっさに顔を背けたが、それを答えを避けられたとパトリシアは感じてしまう。
逃さぬようにと身を乗り出して、背けられた先に回り込んでくる。目を合わせようとするパトリシアに迫られるようにして、ベルナルドは長椅子の端に追い詰められていった。
ついには追い詰められて、観念したように口を開く。
「笑うなよ?」
「笑うような事を口にされなければいいじゃないですか?」
ベルナルドはここに至ってなおためらいを見せるが、パトリシアはそれに取り合わない。
「その、ハンカチを贈ったシアン夫人というのは、剣聖の事に深く思いを寄せいていたんだよな?」
「それは控えめな表現ですね。熱く燃え上がった思いの強さ、そして想う故に身を引いた哀しみの深さ、最後に伸ばした手でつながった細い糸に縋って生きる寂しさ。それらが濃密に詰まった時間の尊さを、深く思いを寄せていた、などと雑に表現されては……」
「わかった、わかったって。それは後で聞くから。たっぷり教えてもらうから、今は戻ってきてくれ、頼む」
シアン夫人の想いについて熱く語り始めたパトリシアについには押し倒されそうになったベルナルドは、彼女の肩を掴んで身体を押し戻す。
我に返ったパトリシアとほっと一息ついたベルナルドの二人が、居住まいを正して座り直した頃、舞台の上で派手な格好の司会者が会場に触れて回る声が聞こえた。
日用品セットのオークションの順番がついに回ってくるらしい。
「それで、シアン夫人が剣聖様を深く、情熱的に、身を焦がすような想いを寄せられたことが、いったいどの様に関係するのですか?」
ベルナルドはバツの悪そうな様子で頬を掻くと、ぶっきらぼうにその問いに答えた。
「きっと、シアン夫人の愛が、剣聖を護っていたんだろうさ」
パトリシアは我が耳を疑った。
ベルナルドは愛だの恋だのには全く興味を示す様子を見せたことがない。女性との時間を楽しむよりは剣の稽古に狩りや遠乗りの方を好んでいた。
そんな彼から、まさかそんな答えが出てこようとは。
隣に座る少年は本物のベルナルド殿下なのだろうか? そんな思いに駆られて、見慣れたその顔をまじまじと見つめる。
「だから、笑うなと、そういっただろうが!」
ふてくされたベルナルドは、荒々しい動作で長椅子の背に身を預けた。
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