前髪と悩み①
「あー……今日は三、四時間目がぶっ通しで体育だったから疲れたー」
「こっちが英語と数学に苦しめられている間、まゆは青春してたのかー!良い傾向だね!」
放課後、自転車通学のまゆは駐輪場へ向かって歩いていた。
その隣を、見送るつもりの美波が歩いている。
傾き始めた太陽の光が、美波の栗色の髪をより艷やかに輝かせている。
まゆが自分の自転車を探している間、駐輪場の端に立つ美波は何度も声をかけられていた。
「あ、宇田川ちゃん!またねー!」
「はーい。また明日!」
「チャリ通だったっけ?気をつけてねー!」
「あたしはバスだよー。ありがとー」
「宇田川ー!俺の後ろ乗ってくー?」
「遠慮しておく!また今度ね!」
男女問わず、色んな人に声をかけられては気さくに返答していく美波は、特に男子との接し方を忘れたまゆからしたら神に近い存在だった。
まゆが羨望の眼差しを向けると、美波は呆れたように溜め息をついた。
「まゆ!青春を謳歌したいなら、もう少しその前髪をどうにかしようよ!」
「ええー。これでも、かなり短いと思うんだけどな……」
まゆは片手で自転車を支えながら、もう片方の手で前髪を忙しなく触る。
触るたびに、まゆの大きな瞳がよりハッキリと見えるようになる。
その瞳は、前髪がさらりと揺れ影を落とす動きと同じくらい、不安げに揺れていた。
「──あのね、まゆみたいなキレイな目は、もっと堂々と見せなきゃ勿体ないって!」
「でも……でもね!」
「知ってるよ!西村にデメキンとか、何やら言われたんでしょ?あいつはさ、ガキなんだから無視でいいんだって!」
「……そうだけどさ」
「まゆ?男は、西村だけじゃないんだよ?ほら、あたしのヘアピンあげるからさ」
美波はそう言うと、まゆの前髪を捻ってサイドへヘアピンで停める。
そして、まゆの顕になった顔を見て満足気に頷いた。
「青春を謳歌するための第一歩、これが正解でしょ!」
「視界は開けたけど、目が目立ちすぎるから……」
「目が目立つって、ツケマとかアイメイクしてる人からしたら、ちょーーー羨ましいことなんだからね!?」
美波の凄まじい剣幕に、まゆは慌てて頷きを返す。
「分かれば、よろしい!じゃあさ、明日は絶対にこのヘアピンしてきてよね!」
「──誰かに変なこと言われたら……」
「そん時は、あたしがガツンと言ってあげるから!自信持って!」
人間関係の神に励まされたまゆは、いつより風通しの良い額を気にしながら帰路に着いた。
自転車をいつもよりのんびりとした速度で走らせながら、まゆは過去の記憶を呼び起こしていた。
「中藤と西村は付き合ってる」と冷やかされた慶太が防衛反応で始めた攻撃は、まさに口撃だった。
多感な時期のまゆに対して、容姿をこれでもかとイジってきたのだった。
一つずつ対応していれば、いつか何もされなくなると諦めずに行動してきた。
デメキンと言われれば前髪を伸ばす。
巨人、デカ女と言われれば、背中を丸めて歩く。
目立ち過ぎと言われれば、気配を殺す。
しかし、結果として三年間、慶太からの口撃は止まなかった。
その三年間で、まゆはすっかり自信をなくしただけでなく、男子という存在自体がなんとなく自分とは相容れない、敵のような存在に思えてきてしまっていた。
そんな中でも、慶太の近くにいた達也はまゆが何か口撃される度に
「慶太、いい加減に大人になりなよ」
と、注意してくれていたのを思い出す。
達也は昔から、まゆと慶太の間にクッション材として存在してくれていたが、慶太の口撃はそのクッションを通り越す威力で、まゆの心を殴打し続けた。
「あーー!どうすれば良いか、分からない!!」
結局、悩みに悩んだまゆは、前髪の留め方についてありとあらゆる検索をしまくった。
悩み過ぎて深みにはまったまゆは、美波に連絡をして二人で夜通し、あーでもない、こーでもないと髪型についてのやりとりをした。
そして、散々考え最終的に前髪をサイドに向かって編み込み、最後に美波からもらったピンで留めるという髪型で登校することに決めて、ようやく眠りについた。
翌朝──眠い目をこすりながら、丁寧に編み込んだ前髪により、額を出す髪型となってリビングへと現れたまゆを見た両親は、ほんの少しだけ驚いた表情をしていた。
父親は「やっと貞子から人間に転生できたのか」と、ブラックジョークをぶつけ、母親は「折角、おめめクリクリに産んだんだから、存分に見せつけてやりなさい」と励ましてきた。
両親から「似合わない」と、言われなかったことが、少しだけまゆの自信に繋がっていた。
「いってきまーす!」
学校までの道のり、自転車で風を切るたびに編み込みが崩れていないか気になったまゆは、信号で止まる回数分そっと触れて確認する。
出かける前と変わらない編み込みの手触りに安堵しては、まゆはまたペダルを漕ぎ始めた。
(まさか、私がこんな風に髪型を気にしながら登校する日がくるとは……)
きっちりと編み込まれた前髪は、二十分の自転車移動でもびくともしなかった。
駐輪場に自転車を停めていると、すぐ隣に自転車を停めに来た生徒が目に入った。
まゆが思わず恥ずかしさから額を押さえると、彼女は不思議そうな視線を向けただけで、何事もなかったかのように校舎へと歩いて行った。
(うわー……絶対に変な人って思われたよね……でも、勇気が出ない……)
まゆは、なかなか校舎へ足を向けることが出来ず、駐輪場の端から登校してくる女子を眺めていた。
サラサラのストレートヘア、パッツン前髪、三つ編み、二つ結び、ポニーテール……色々な髪型があって、それぞれ皆とても似合っていた。
何より彼女たちは、自分の髪型に自信を持っているようだった。
(ここまで来たけど、やっぱり解こうかな……)
朝から必死に編み込んできた前髪を撫でる。
編み目に触れる指先の感覚にも慣れてきた頃、見知った顔が登校してきた。
「あ!中藤さん!おはよー!」
朝から明るい笑顔で声をかけてくれたのは、透だった。
きっちりと制服を着ているわけではないが、慶太のようにだらしなく見えないのは、やはり着こなし方に彼のセンスが光るからなのだろうか。
彼の出現に、まゆは慌てて額を押さえる。
「お、おはよう!」
「あれ?中藤さん、おでこ痛いの?」
「いや、そーいうわけではないんだけど……」
まゆは苦笑いを浮かべながら、まだ額を押さえている。
透が立ち止まっていることで、周りに少しずつ彼の友達が集まってきた。




